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江戸の正月風景「初日の出」

江戸の正月風景「初日の出」高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   カテゴリー新着PHOTO    前回更新2022-12-29 17:29    
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江戸の正月は、静かだが朝は早い。中でも「初日の出」を拝む人たちは、月明かりの全くない大晦日 《(おおつごもり)大月籠(おおつごもり)・新月)》の夜道を、 目的地まで黙々と歩きました。 当時、初日の出を迎える名所は高輪、 芝浦、 愛宕山、神田、湯島、深川洲崎堤防などです。いずれも海に面しているか、海の見える高台にありました。

絵は江戸城のほうから町の中心を俯瞰。
左側を斜めに流れているのは日本橋川。
手前の橋から日本橋、江戸橋、永代橋、
遠景には「上総」、「安房」を望む図。

*画像〜『江戸名所図会』巻之一 天樞之部 第一冊 
江戸東南の市街より内海を望む図 挿絵: 長谷川雪旦

詳しくは>〜「江戸の正月風景」 
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/

江戸の正月風景 「若水(わかみず)汲み」

江戸の正月風景 「若水(わかみず)汲み」高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   カテゴリー新着PHOTO    前回更新2022-12-29 17:29    
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家長を中心に若水(わかみず)を汲み、その水で雑煮を煮、福茶(ふくちゃ)を飲んで新年を祝うためです。
「若水」は新年の最初に汲みあげる井戸水のことです。
その井戸から最初に汲みあげる水が若水です------

画像〜汲若水 広重画「狂歌四季人物」メトロポリタン美術館蔵

詳しくは>〜「江戸の正月風景」 
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/

江戸の正月風景 「女太夫」

江戸の正月風景 「女太夫」高ヒット
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「女太夫」は普段から2、3人連れで三味線や胡弓を弾き語り歌う、いわばストリートミュージシャンのことです。 これを元日(実際には2日)から15日までの間に限り「鳥追」と呼びました。普段の菅笠を編笠に換え一段とおめかしして着飾り、目出度(めでた)い歌を歌い、金銭を受けていました。江戸の鳥追が女太夫であったのは、江戸が極端な男社会だったからです。 単身赴任の武士が人口の半分、 残り の半分も農家の次男、 三男などの出稼ぎ者が多かったからです。 そんな男社会だから、女太夫にとっては普段でも武家屋敷長屋は最も稼げる場所でした。

*画像〜「江戸名所百人美女」女太夫 歌川国貞画 ボストン美術館蔵

「江戸名所百人美女」>大判の錦絵の中央に国貞が美人画、画面内の四角い枠内(コマ絵)に門人国久が江戸の名所を描いた共作。安政4(1857)年から5年にかけて制作

詳しくは>〜「江戸の正月風景」 
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/


江戸の正月風景 「鳥追い」

江戸の正月風景 「鳥追い」高ヒット
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「鳥追」は元来、農村での害鳥駆除と豊作を願う小正月(こしょうがつ)行事です。拍子木や太鼓などを賑々(にぎにぎ)しく敲きながら大声をあげて歌い歩くのは、害鳥を追い払うための有効手段だからです。これを真似たのが年末に現れる「節季候」(せきぞろ)であり、年始の「鳥追」です。『嬉遊笑覧』が「毎年臘月《ろうげつ (12月)より節季候となり、元日より15日まで鳥追となる」》と書いているように、現れる時期が違うだけで、元は同じものでした。

*画像〜「江戸名所百人美女」鳥追い 歌川国貞画 ボストン美術館蔵

「江戸名所百人美女」>大判の錦絵の中央に国貞が美人画、画面内の四角い枠内(コマ絵)に門人国久が江戸の名所を描いた共作。安政4(1857)年から5年にかけて制作

詳しくは>〜「江戸の正月風景」 
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/

江戸の正月風景 「小鰭の鮨売り」

江戸の正月風景 「小鰭の鮨売り」高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   カテゴリー新着PHOTO    前回更新2022-12-28 23:22    
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正月 、 渋いながらもよく通る声で売り歩いたのが「小鰭の鮨売り」です。「坊主騙して還俗(げんぞく)させて小鰭の鮨でも売らせたい」という都々逸が流行ったほど、声の魅力で売っていました。蓋の上に紅木綿(べにもめん)をかけた鮨箱を重ねて肩へ担い、水浅葱(みずあさぎ)の染手拭はもちろん、衣類股引腹掛から足袋(たび)草履(ぞうり)にいたるまで新調し、正月2日の朝から「こはだのすしイ」と呼び歩いていました。『守貞謾稿』も「重ね筥(ばこ)に納めて之を肩にす。 (中略) 初春には専ら小はだの鮨を呼び売る」とあります。 これも江戸の正月には欠かせない光景でした。

*画像〜小鰭の鮨売り『狂歌四季人物」 国立国会図書館蔵

>『狂歌四季人物」:天明老人尽語楼内匠編, 歌川広重画  安政2年(1855)

詳しくは>〜「江戸の正月風景」 
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/

江戸の正月風景 「払扇箱買」

江戸の正月風景 「払扇箱買」高ヒット
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当時年始の挨拶廻りにつきものだったのが、扇を入れた「扇箱」(おうぎばこ)でした。 扇といっても立派なものより、「ばらばら扇」などと陰口をたたかれた粗悪品が多かったようです。 それでも売れたのは、来客の多さを誇る見得のため、箱のまま井桁に組んで玄関先へ積み上げておく風習があっ たからです。ですから貰いの少ない家では、わざわざ扇箱を買ってまで積み上げていたといわれます。
そうまでして集めた扇箱も、松の内を過ぎると不要になります。心得 たもので、来年用に扇箱を買い集める人がいました。それが 「扇箱買」です。「売る内にもう買いに来る扇箱」という川柳は、人より先に買い集めようと繰り出す扇箱買を皮肉ったものです。

*画像〜払扇箱買 『狂歌四季人物」国立国会図書館蔵
>『狂歌四季人物」:天明老人尽語楼内匠 編, 歌川広重 画 安政2年(1855)

詳しくは>〜「江戸の正月風景」 
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/

江戸の正月風景 「吉原の正月」

江戸の正月風景 「吉原の正月」高ヒット
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吉原の正月は静かである。
元日の朝は居続けの客もなく、メインストリートである仲之町(なかのちょう)通りには人影がない。ひっそりとした音のない世界でもある。時折、時を告げる金棒引(かなぼうひき)が、金棒を引きずり鐶(かん)を鳴らし歩き、時を告げる柝(き)を打つ音がするだけである。
吉原の大晦日(おおみそか)から元旦にかけて、若い者(妓牛〈ぎゅう〉とも言う)は大忙しである。「引け四ツ」が過ぎて客がいなくなると、通りに門松を出し、妓楼に向けて門松を飾る。通りに背を向けるのは、客が入りやすくするためのスペースを作るためだという。
この「引け四ツ」は、吉原独特の時報で、九ツ(午前零時)を告げる直前に四ツ時(午後10時頃)を触れ回ることである。明暦3年(1657)の振袖火事で元吉原(中央区堀留町付近)も全焼し、浅草日本堤千束(せんぞく)村へ移転(新吉原)させられた。遠い郊外の地となったことから、吉原遊びは夜の営業が許されるようになった。しかし、四ツ時で営業を終了して大門(おおもん)を閉め、客を帰していたのでは夜の商売にならない。
誰か頭の切れ者がいたらしく、九ツまでは四ツ時なのだから、九ツの直前に四ツ時を告げて回ればよかろうとなって「引け四ツ」が生まれた。

*画像〜仲之町の年礼の様子。花魁や禿たちが吉原の大通りを行き交う。右中央の禿は羽子板を持っている。左端には大黒舞(だいこくまい)の芸人たちがいる。十返舎一九作・喜多川歌麿画『吉原青楼年中行事(よしわらせいろうねんちゅうぎょうじ)』(享和4年〈1804〉刊)より。

詳しくは>〜江戸言葉 月ごよみ 「吉原の正月」 
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=15

江戸の正月風景 正月の餅「賃餅屋(ちんもちや)」

江戸の正月風景 正月の餅「賃餅屋(ちんもちや)」
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江戸時代には、餅を搗く「賃餅屋(ちんもちや)」という商売があった。お客さんの自宅を回って搗く形もあったし、搗いた餅を届ける店もあった。そして、餅の値段は目方(重さ)によって付けられていた。図版は、賃餅屋の店の様子。左では、蒸籠(せいろ)で米を蒸しており、店先にはいろいろな形の餅が並べられている。

*画像〜お客さんの注文に応じて餅を搗いたり、店でいろいろな餅を売ったりした。「ちんもち」と書かれた看板が出ている。(黄表紙『縁組連理鯰〈えんぐみれんりのなまず〉』天明元年〈1781〉刊より)

詳しくは>〜江戸言葉 月ごよみ 正月の餅「賃餅屋(ちんもちや)」 
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=15

「万葉集に見る武蔵国の水土」

「万葉集に見る武蔵国の水土」
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東京の未来づくりには、地歴を抜きに考えられません。
この物語は、土木技術者の視点から、地理や文化を織り交ぜ、豆知識としてどこを読まれても良いスタイルになっています。 東京の未来づくりを議論されるとき、この物語が、ささやかでもお役に立てば、望外の喜びです。

《万葉集に見る武蔵国の水土≫
奈良時代編纂の万葉集には、東歌や防人 (さきもり) 歌が特集され、そこには、武蔵国の水士が色濃く滲み出ています。 ここでは、東歌3 首、防人歌1首を紹介しましょう。
まず「多摩川に曝 (さら)す手作り さらさらに何そこの子のここだ愛 (かな)しき」 という歌があります。 カラムシから織った布を多摩川に晒している女性を愛でている詩です。“さらさら”という言葉から、流れの速さが連想されるとともに、“更 更に”愛情が増す意味も加わり、秀作といえるでしょう。
次に、「埼玉の津に居る船の風をいたみ綱は絶ゆとも言(こと)な絶えそね」という歌があります。
“港の船を繋ぎ止める 綱が風で切れても好きな人の便りは絶えませんように” と願っている詩です。
読まれた場所は行田市であり、船が生活上欠かせない低湿地であったことが分かります。----------

詳しくは>〜水都江戸・東京物語〜「第一部 「武蔵國・江戸物語」No4「万葉集に見る武蔵国の水土」
      http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/

*画像〜No4. 「万葉集に見る武蔵国の水土」

「男神が多い武蔵国」

「男神が多い武蔵国」
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東京の未来づくりには、地歴を抜きに考えられません。
この物語は、土木技術者の視点から、地理や文化を織り交ぜ、豆知識としてどこを読まれても良いスタイルになっています。 東京の未来づくりを議論されるとき、この物語が、ささやかでもお役に立てば、望外の喜びです。

8世紀頃、地球温暖期を迎え、西欧も東洋も開墾が盛んとなり、食物生産を押 し上げました。
そして文明が、古代から中世へ移行。この時代の特徴が、国際宗教の誕生です。宗教が国際化できるほど、 広範囲に生産力が向上したことを示唆しています。
中国では、隋唐が国家を再統一し、仏教治国政策が行われます。 日本は中国に学び、豪族たちの氏神を日本神話の体系に位置付け、氏神に冠位を与えてそれに応じた供物を与える仕組みとし、また仏教治国政策も取り入れ、全国に国分寺を立てました。
では辺境の武蔵国では、どのような状況だったのでしょうか?
国司は、大国魂神社敷地 (東京都府中市) に置かれ、有力豪族の氏神を順番に詣りました。それは豪族の所有地の調査も兼ねてのことだったでしょう。その順番が一之宮等の神社のランクになったといわれています。
武蔵国の神様で特徴的なことは、開墾開拓に相応しい“力の男神”が圧倒的に多いということです------

詳しくは>〜水都江戸・東京物語〜「第一部「武蔵國・江戸物語」 No5.「男神が多い武蔵国」
      http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/

*画像〜No5.「男神が多い武蔵国」

浅草寺の年の市

浅草寺の年の市高ヒット
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江戸の「年の瀬」は、13日の煤払いにはじまって、17、18日の浅草寺(せんそうじ)の「年(とし)の市」で盛り上がりをみせた。この2日間は、昼も夜も、浅草寺を訪れる客の絶えることはない。 境内だけでなく、周辺の町までも露店が立ち並び、注連飾(しめかざり、破 魔弓 (はまゆみ)などの縁起物、 さまざまな正月用品が売りさばかれた。多くの人々が群集して歩けないほどの混雑で、人を押しのける 「馬じゃ馬じゃ」の掛け声がとびかってい
図版は、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)が描いた浅草寺の年の市のにぎわい。 仁王門から観音堂の境内に人があふれてい る。 向こうには、羽子板を売る店があり、その隣の店は、五徳(ごとく)や焼き餅用の網を売っており、現代のライターである火打鎌 (ひうちがま)を売る幟(のぼり)も見える。

*続きを読む
コラム:江戸言葉 月ごよみ 「浅草寺の年の市」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=14

大掃除と忠臣蔵

大掃除と忠臣蔵高ヒット
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暮れの12月13日というと、江戸では大掃除の日で、どこの家もてんてこ舞いだった。これが終わるといよいよ年末の大晦日(おおみそか)と正月を迎えるわけである。大掃除は、竹箒(たけぼうき)で天井の煤(すす)を払ったりするので、「煤払い」とも呼ばれていた。
一家総出で「煤払い」が無事に終わると、家人の誰彼となく胴上げされる習わしがあった。ふだんは嫌なことばかり言って叱る番頭が胴上げされて、放り上げられたまま落下させられたり、ツンとすましている若い女性の奉公人などは、裾(すそ)がめくれて恥ずかしくなるように胴上げされたりという光景もあったようである。
「煤払い」は、武家の屋敷でも行われていた。
赤穂浪士(あこうろうし)たちは、本所(ほんじょ)松坂町の吉良邸の「煤払い」から翌日の茶会に吉良上野介(きらこうずけのすけ)が出席することを確認し、翌14日に討入りすることにしたのである。

図版は赤穂浪士の討ち入りと料理のパロディ作、山東京伝(さんとうきょうでん)の黄表紙『忠臣蔵即席料理(ちゅうしんぐらそくせきりょうり)』より。四十七人の料理人が美味い料理を作り、腹いっぱいの家来たちを追いかけ回して無理やり食べさせるところ。ラストは、満腹で炭部屋に隠れた殿を探し出し、「もう一膳」と迫る。(東京都立中央図書館加賀文庫蔵)

*続きを読む
コラム:江戸言葉 月ごよみ 「大掃除と忠臣蔵」
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江戸園芸三花 −朝顔・花菖蒲・菊−   「菊祭り」

江戸園芸三花 −朝顔・花菖蒲・菊− 「菊祭り」高ヒット
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栽培から菊人形まで菊は江戸時代以前から多くの人びとに愛された園芸植物。
江戸時代になるとの栽培は、大名から庶民までひろがった。菊人気をあてこんだ近郊の植木屋たちは、菊を使って様々な形をつくる 興行を始め、やがて現代に続く菊人形になった。

千輪咲き>
株元の1茎から摘芯(芽先を摘む)を繰り 返して脇枝を増やし、約240輪の花をドー ム状に8段以上配置して咲かせます。
2色以上の花の場合は、台木に同じキク科 の『中国ヨモギ』を使い、種類の違う苗を2月 頃から挿し木して咲き分けさせます。
冬期に地上部が枯れる菊の特性を出さぬよ、 「う、ビニールハウス内に更にハウスを作り、 常に暖房して冬を越させる必要があります。 「春に摘芯を繰り返して枝を増やし、夏に枝 にまんべんなく日光を当てる定期的な鉢回し、 咲き色を間違えぬようドームに枝の誘引、秋 に予備の枝を確保しつつ、240花に輪台を 付けるなど、大変に時間と手間がかかります。
千輪咲は、すべて愛好家の手作りで奉納し ているため、市場への流通性がありません。 「作り手の高齢化、栽培土地の不足、後継者 が殆どいないなど、当会でもあと十年したら 千輪咲が見られなくなる可能性があります。
写真>湯島天満宮

詳しくは>
第44回 文京菊まつり
https://www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/kanko/event/matsuri/kiku.html

参考サイト>
国立歴史民俗博物館 くらしの植物苑  特別企画「伝統の古典菊」
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/plant/project/index.html

江⼾時代は大園芸ブーム  「菊人形」

江⼾時代は大園芸ブーム  「菊人形」高ヒット
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栽培から菊人形まで菊は江戸時代以前から多くの人びとに愛された園芸植物。
江戸時代になると菊の栽培は、大名から庶民までひろがった。菊人気をあて
こんだ近郊の植木屋たちは、菊を使って様々な形をつくる 興行を始め、やがて現代に続く菊人形になった。

菊人形>
「菊人形は、頭や手足は人形、胴体を中小菊 の花で着飾られた等身大の人形です。
江戸時代後期、園芸で有名な染井村(現在 の豊島区駒込) が起源で、約150年前の安 政時代に本郷の団子坂(文京区千駄木3丁目) 周辺で、植木職人同士 (菊氏)が競い合って 人気歌舞伎役者の人形を菊の花で飾って見世 物にしていたのが興行展示の始まりです。
明治に入ってからは、盆庭の回り舞台に人 気役者や時事ネタの菊人形を配置し、団子坂 は秋のテーマパークとして賑わいました。
これが各地の遊園地を巡る興行となり、福 島県二本松や福井県越前市の菊人形展へと広 がっていきました。
このように菊人形は、文京区と深い関わり があることから、湯島天満宮で昭和5年から 展示を再興させております。 - なお、菊まつり開催期間に一回、菊氏が着 せ替え作業を行い、花の鮮度を保っています。

写真>湯島天満宮

詳しくは>
第44回 文京菊まつり
https://www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/kanko/event/matsuri/kiku.html

参考サイト>
国立歴史民俗博物館 くらしの植物苑 特別企画「伝統の古典菊」
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/plant/project/index.html

冬の風物詩  浅草田圃酉の市

冬の風物詩 浅草田圃酉の市高ヒット
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画像は江戸時代の素朴な熊手:「弁慶(べんけい)」スタイル(熊手のディスプレイが弁慶が背中に差した姿に似ている)浮世絵から復制
本年は一の酉(11月4日)二の酉(11月16日)三の酉(11月28日)まである。

酉の市は、日本武尊が戦勝祈願を鷲宮神社で行い、祝勝を花畑の大鷲神社の地で行ったという伝承に基づき、日本武尊が亡くなった11月の酉の日に行われる祭り。11月に西の日が3日あれば、一の酉・二の酉・三の酉と、祭りは3回行われる。 現在最も賑わう浅草の鷲神社の酉の市は、新暦の11月の酉の日に行われるため、江戸時代とは約一月のずれがある。

『たかだかとふけたる月や三の酉』 万太郎


*参考コラム
▶コラム:江戸魂千夜一話「酉の市(とりのいち)」を読むhttp://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd9/index.php?id=3

▶コラム:江戸言葉 月ごよみ 「酉の市と大火」を読む
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=12

▶コラム:江戸言葉 月ごよみ 「酉の市と熊手」を読む
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=12

▶コラム:江戸言葉 月ごよみ 「猫ばば」を読む
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=12



















江戸時代の大道芸 「独楽(こま)まわし」

江戸時代の大道芸 「独楽(こま)まわし」高ヒット
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葛飾北斎の「四季昼夜画譜」(しきちゅうやがふ:ボストン美術館蔵)
作画期は、文政(1818年〜1830年)の前半頃とされる。
江戸時代の、一年を通しての主に庶民の生活や、風俗、職業などが描かれている。

*関連コラム>
大道芸から読み解く江戸・東京
『江戸から今に伝わる伝統芸能「大道芸」』
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/

160年以上 酉(とり)の町を眺める猫

160年以上 酉(とり)の町を眺める猫高ヒット
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画像:絵師/広重/出版者/魚栄/刊行年安政4/江戸百景の(一部)
 吉原遊女の部屋の窓から酉の町を眺める猫
(吉原妓楼より見た風景︓ 背後の森は正燈寺)

酉の市は、秋の収穫物や実用の農具が並んだ近郊農村の農業市が 江戸市中へと移行するに従い招福の吉兆を満載した飾り熊手などを市の縁起物とする都市型の祭へと変遷してきた。

*参考コラム
▶コラム:江戸魂千夜一話「酉の市(とりのいち)」を読むhttp://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd9/index.php?id=3

▶コラム:江戸言葉 月ごよみ 「酉の市と大火」を読む
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=12

▶コラム:江戸言葉 月ごよみ 「酉の市と熊手」を読む
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=12

▶コラム:江戸言葉 月ごよみ 「猫ばば」を読む
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=12



四谷区民ホール前の玉川上水の碑

四谷区民ホール前の玉川上水の碑高ヒット
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史跡説明版(写真:左)
【玉川上水水番所跡】(たまがわじょうすいみずばんしょあと)所在地 新宿区内藤町八十七番地
 玉川上水は、玉川の羽村堰で取水し、四谷大木戸までは開渠(かいきょ)で、四谷大木戸から江戸市中へは石樋・木樋といった水道管を近く埋設して通水した。
水番所には、水番人一名が置かれ、水門を調節して水量を管理したほか、ごみの除去を行い水質を保持した。当時、水番所構内には次のような高札が立っていた。
         定
一、此上水道において魚を取水をあび
  ちり芥捨べからず 何にても物あらひ申間敷
  並両側三間通に在来候並木下草
  其外草刈取申間敷候事
 右之通相背輩あらば可為曲事者也
  元文四巳未年十二月   奉行

東京都指定有形文化財(古文書)
【水道碑記】(すいどうのいしぶみのき)
        指定年月日 昭和五年十二月
 玉川上水開削の由来を記した記念碑で、高さ四六〇センチ、幅二三〇センチ。上部の篆(てん)字は徳川家達、撰文は肝付兼武、書は金井之恭、刻字は井亀泉によるもので、表面に七八〇字、裏面に一三〇字が陰刻されている。
 碑の表面には明治十八年の年紀が刻まれているが、建立計画中に発起人西座真治が死亡したため、一時中断し、真治の妻の努力により、明治二十八年(一八九五)に完成したものである(裏面銘文)。


【四谷大木戸跡碑】(よつやおおきどあとひ)
 四谷大木戸碑(この説明版の裏側にある)は、昭和三十四年十一月、地下鉄丸ノ内線の工事で出土した玉川上水の石樋を利用して作られた記念碑である。
実際の大木戸の位置は、ここより約八〇メートル東の四谷四丁目交差点のところで、東京都指定旧跡に指定されている。
      平成二十四年六月  新宿区教育委員会

*玉川上水は、承応3年(1654) に多摩川の羽村堰〜四谷大木戸まで約43kmを開削
〈「羽村取水口」の標高は126m、43卆茲痢峪傭大木戸」は92mの自然流下〉
玉川上水は武蔵野台地の稜線を流れ南北に分水を引くことができ、33の分水が穿たれ、集落と新田開発に大きく寄与。

関連情報>
玉川上水ネット10周年事業
第5回 地区別展示・講演会  11月17日(木)〜20日(日)
http://plant2.qcweb.jp/tamagawajousui-net/index.html


玉川上水の石枡(千代田区紀尾井町 清水谷公園に展示)

玉川上水の石枡(千代田区紀尾井町 清水谷公園に展示)高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   カテゴリー新着PHOTO    前回更新2022-9-3 5:01    
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この石は1970年(昭和45年)に国道20 線(麴町大通り)の共同溝拡幅工事の際に麹町3丁目2番地先で発見された玉川上水施設一部。
玉川上水は、4代将軍家綱の命で1653年(承応2年)に着工し 、翌年に竣工したと伝えられています。多摩川上流の羽村で取水し、四谷大木戸に至る43kmを開渠で導水し、江戸市中へは石樋や木樋による暗渠で配水。
江戸市中へは石樋や木樋による暗渠で配水。 この石枡は江戸市中における本管の一部で、地中深く4段に積んだ大規模な構造。1段と2段目にまたがる部分に木樋の挿入口があります。

玉川上水関連の展示・講演会情報
2022年9月23日(金) 〜9月25日(日)
展示会 ・「武蔵野台地の新田開発と玉川上水」
講演会 ・「新田開発の面影を留める玉川上水・中流部」
    ・「玉川上水・分水網関連遺構100選について」
    ・「玉川上水の歴史的文化的価値について」

詳しくは> http://plant2.qcweb.jp/tamagawajousui-net/images/tj10/tj10_3.pdf

令和四年 赤坂氷川祭

令和四年 赤坂氷川祭高ヒット
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2022年9月15日〜9月18令和四年赤坂氷川祭

8代将軍徳川吉宗ゆかりの赤坂氷川神社(社殿は、8代将軍徳川吉宗の建立により、享保15年(1730)に完成・現存)

この例祭で有名なのが江戸型山車。山車(だし)は江戸時代、著名な神社の多くの例祭に用いたが現在では都内からほとんど姿を消した。
本年、山車の巡行は「翁二人立」「日本武尊」(やまとたけるのみこと)。「日本武尊」山車のお披露目。従来の山車は2層式が3層式となり、最大高さは約7ⅿ。

*「江戸型山車」
二輪車の上に三層の構造物。この三層部分の最上部は人形の部分で
つぎの層は水引幕に囲まれた枠で、人形はこの二層目の枠内を上下できるようにつくられている。
二段上下可変式のカラクリ(機構)をもつ。二段の台の上に人形がすわるようになっている。

詳しくは>赤坂氷川祭公式HP
https://www.akasakahikawa.or.jp/hikawasai-r04/

21 番〜 40 番を表示 (全 673 枚)« 1 (2) 3 4 5 6 7 8 9 10 11 ... 34 »



物売りから読み解く江戸・東京
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