江戸言葉 月ごよみ
棚橋正博(たなはしまさひろ)氏プロフィール
1947年秋田県生まれ。 早稲田大学エクステンション(中野校)講師。神奈川大学エクステンション(横浜KUポートスクエア)講師。早稲田大学大学院講師。早稲田大学大学院修了。日本近世文学専攻。文学博士。 黄表紙研究の第一人者で、知られざる江戸の風俗文化を多くの人々に伝えることを使命としている。テレビや講演会などでも活躍中。著書は『式亭三馬』(ぺりかん社)、『十返舎一九』(新典社)、『江戸の道楽』(講談社)、『江戸戯作草紙』『教科書が載せられない名文』『捏造されたヒーロー遠山金四郎』(小学館)など多数 (Web日本語より加筆転載)  

 私たちが何気なく使っていることばの多くが、じつは江戸生まれだってご存じでしたか? 「江戸っ子」なことばたちを、江戸の人たちがどうやって生み出し、どのように育てていったのか、「へえ〜」と思わずいいたくなる知識を、黄表紙や浮世絵の絵などとともにご紹介していきます。 

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 四月





江戸の虫除けと油虫

 4月8日はお釈迦様の誕生日の灌仏会(かんぶつえ)、仏生会(ぶつしょうえ)、花祭りといって、江戸では釈迦像にかけた甘茶をもらった参拝者が、その甘茶を飲んで祝った日である。
江戸の人びとは、台所や便所などに、「千早振(ちはやふ)る卯月八日(うづきようか)は吉日(きちにち)よ、かみ下虫(さげむし)を成敗ぞする」と書いた紙を逆さにして貼り、ゴキブリやウジ虫などの虫除(むしよ)けの呪(まじな)いとしていた。
 
  山東京伝(さんとうきょうでん)の黄表紙(きびょうし)『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』(天明5年〈1785〉刊)では(図版)、便所の隣の最下級の部屋で寝そべっている艶二郎(えんじろう)は色男気分になっている。間夫(まぶ)の色男が馴染みの遊女とこっそり密会する部屋である。ここは吉原の大見世(おおみせ。高級遊女屋)である扇屋の二階の様子であるとされ、便所の様子が詳しく描かれている。食器が無造作に置かれた横に下駄があって、客はこれを履いて用を足す。板囲いの下方に札が貼ってあるが、これが「ちはやふる」の歌を書いて逆さに貼ったものである。
 この歌が、どうして虫除けの呪い歌として詠まれたのか、今ひとつ理由は不明だが、旧暦の4月8日頃には暖かくなって花の季節となり、ゴキブリなどが這(は)い回るので御用心、ということで詠(よ)み込まれたのかもしれない。
 
 ゴキブリと聞くだけで悲鳴をあげる女性もいる。これほど嫌われた虫もいない。その姿がちょっと不気味で、台所とか便所などの湿気のおおい所を徘徊することから、とくに女性に嫌われているようだ。
 もともとは熱帯に棲息(せいそく)していた昆虫で、本州以南にしかいないとされたが、最近では飛行機などの交通手段の発達で北海道でも見られるという。熱帯性の昆虫なので江戸時代は春頃から動きだしていたものが、家屋の暖房が行き届いてきたせいでもあろう、近年は年中、この虫に悩まされるようになった。
 ところで、江戸時代は、「ゴキブリ」という名で呼ばずに「油虫(あぶらむし)」と呼んでいた。
 井原西鶴(いはらさいかく)の浮世草子(うきよぞうし)『懐硯(ふところすずり)』(元禄7年〈1694〉刊)には、「麹屋(こうじや)から蝉の大きさしたる油虫どもわたり来て、五器箱(ごきばこ)をかぶり」とある。五器は御器、つまり食器のことで、五器箱はそれを入れた箱である。また、『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』の「蜚蠊(あふらむし)」にも、「俗云油虫/大キサ五六分…色ヤ油ノ如シ。故ニ油虫ト名ヅク…蠅ト同ジク憎ムベキ者也/五器囓(ゴキカフリ)」とあって、「油虫」は江戸時代から嫌われものだったようである。
 
 諸国の方言を集めた『物類呼称(ぶつるいこしょう)』(安永4年〈1775〉刊)にも、「あぶらむし ○伊勢にて、ごきくらひむし…肥州(ひしゅう)にて、ごきかぶらう」とある。明治になって、「御器かぶり」→「ゴキブリ」と誤って書かれて学術名になったとの説もあり、明治維新で肥州(佐賀や熊本地方)の方言が標準語になったとの説もある。
 
 ところで江戸時代には、「油虫」というと、もうひとつの意味があった。
歌舞伎芝居などで、無料の見物客のことも「油虫」と言った。「油虫故(ゆえ)、舞台の後ろにて見物する」と山東京伝作『無匂線香(においんせんこう)』(天明5年〈1785〉刊)にある。おそらく劇場の隅っこで、ただ見客はコソコソと油虫のように動くことから名付けられたもので、嫌な奴を罵倒(ばとう)する言葉にもなってゆく。





▲『江戸生艶気樺焼』(天明5年〈1785〉刊)より

山東京伝…1761〜1816。江戸後期の戯作者(げさくしゃ)・浮世絵師。黄表紙・洒落本(しゃれぼん)の第一人者。『江戸生艶気樺焼』は、京伝黄表紙の代表作。醜男(ぶおとこ)なのにうぬぼれ屋の仇気屋艶二郎(あだきやえんじろう)が、色男の浮名を流したいため、さまざまな芝居を打つが、すべて失敗する話。



井原西鶴…642〜93。江戸前期の浮世草子作者・俳人。大坂の人。写実的な庶民文学である浮世草子の代表的作者であり、『好色一代男』『好色五人女』など多くの名作を残した。『懐硯』は、行脚僧(あんんぎゃそう)による回顧談形式の諸国怪奇物語。

『和漢三才図会』…江戸時代中期の図入百科事典。全105巻。寺島良庵著。正徳2年(1712)自序。明(みん)の『三才図会』にならい、和漢古今の万物を天・地・人三才に分けて、絵図を付して漢文で解説したもの。








卯の花と豆腐

  「卯(う)の花をかざしに関の晴着かな」。芭蕉に随行して奧の細道に旅出った門弟の河合曾良(かわいそら)が、元禄2年(1689)4月20日、奥州への玄関口である白河の関址(せきし)を越えるときの挨拶句である。
 「卯の花」は、空木(うつぎ)の花のことで、初夏に白い花が咲き乱れる。江戸時代まで、俳諧では初夏4月の季語とされていたが、明治5年11月に新暦(太陽暦。グレゴリオ暦)が公布されてから5月の季語となった。
 
江戸では、4月8日のお釈迦様の誕生祝いの日である「灌仏会(かんぶつえ)」には、家ごとにお釈迦様の花とされる卯の花を棹(さお)の先に付けて高く掲げる風習があった。寺院の境内では(図版参照) 、今でも見られる光景である。
 
さて、「卯の花」といえば、豆腐の「おから」の別名でもある。雅味がある名前で面白い。「おから」はまた、「雪花菜(きらず)」とも書く。豆腐を作ったあとの絞りカスは、細かくて切る必要がないところから「切らず」と呼ばれ、それはまるで卯の花か、雪のように白いということで、「雪花菜」の漢字を宛てたとされる語源説に従ってよかろう。
 どの世界でも忌(い)み言葉というものがあって、結婚式では、「終わる・切る・去る・出る・別れる」が禁句、閉会を告げる司会者が出口を「お開き口」と言い、苦笑させられることがある。豆腐のおからは、「から(空)」に通じて忌み嫌うから、空っぽの反対に得られることと変えて「得(う)る」、そして、色合いが白いことから「卯の花」と言うようになったという。烏賊(いか)のスルメのことを、バクチなどで使い果たす意の「スル」を嫌い「当たりめ」、スリッパのことを無理して「アタリッパ」と言うのと似ている。

ところで、江戸時代の豆腐は今より大きかったと、江戸の料理専門家などが言うので通説となっているが、実際はどうだったのであろうか。現在でも地方によっては、豆腐屋へ直接買いに行くと、スーパーマーケットの棚に並ぶバック入りの豆腐より大ぶりなものが売られている。江戸の料理専門家の言う大きさ云々は、どの豆腐を基準にしているのかは曖昧で、表現が不親切である。
 
じつは江戸の豆腐は、宝永3年(1706)に値段が高騰し、それ以後、なかなか値段が下がらなかった。それは大豆の不作がずっと続いたからである。幕末の天保15年(1844)には、高い豆腐の値段に手を焼いた幕府は豆腐のサイズを縦7寸(約21僉法横6寸、厚さ2寸の木製の型箱で作るように規定した。それを9つに分割して売り、油揚は豆腐1丁を12等分して作られていた。豆腐屋の店先で豆腐庖丁でいくつかに切ってもらったという体験は、年配の方ならあるだろう。大家族の家では1丁のまま、少人数の家では半丁か4半分に小売りしてもらう。豆腐が大きかったのではなく、家族構成に応じ小売りする合理的な商売だったのである。
 
ちなみに、寛政3年(1791)には、豆腐1丁38文、油揚4文、半世紀後の幕末天保13年(1842)には、サイズは変わらず、豆腐1丁52文、油揚5文に高騰していた。
  幕末まで生きた俳人小林一茶の句に、「卯の花の垣(かき)に名代(なだい)の草鞋(わらじ)哉(かな)」がある。名代は名高いの意味、卯の花が咲き誇る垣根に丈夫だと評判の草鞋が何足かぶら下がっていて、お代は竹筒に入れて下さいというわけである。今日でも路傍で自家製の野菜などが売られている光景と同じであった。旅の田園風景のなかに、のどかで純朴な信用商売を見て一茶は詠(よ)んだのである。






▲芝・増上寺(ぞうじょうじ)の灌仏会。大勢の参拝客でにぎわっている。右中央にあるのが花御堂。釈迦像が安置され、像に甘茶をかけているところ。子どもを連れた男性、外出用の揚帽子(あげぼうし)をかぶった女性、日傘をさした一行もいる。(『絵本吾妻抉〈えほんあずまからげ〉寛政9年〈1797〉刊より』


河合曾良…1649〜1710。江戸時代前期の俳人。信濃の国の人。芭蕉に師事。「鹿島紀行」「奥の細道」の旅に随行して師を助けた。主著「曾良日記」。

小林一茶…1763〜1827。江戸後期の俳人。信濃柏原の人。14歳の時に江戸に出る。俳諧を二六庵竹阿(にろくあんちくあ)に学び、全国俳諧行脚(あんぎゃ)の生活を送ったのちに、晩年は故郷に帰り俳諧の宗匠となるが、妻子を亡くすなど不幸であった。日常生活を平明に表現した多くの句を残す。主著に「おらが春」「父の終焉日記」など。








デパート商法は、江戸時代からはじまった?

 4月になると、新入社員の真新しいユニフォームがまぶしい季節となるが、今年は新型コロナウイルスでどうなることか。
 社員のユニフォームといえば、駅員や銀行員などとならんで、デパートの女性店員が思い浮かぶ。そのデパートも閉店が相つぐご時世となった。
  デパートといえば、昔の楽しみは食堂であった。以前、江戸っ子を自認する人に、親に三越デパートへ連れて行ってもらうと、食堂で御子様ランチを食べるのが楽しみだったと言われたことがある。戦後の地方生まれの私も、デパートの食堂へ行くのは嬉しかったと答えると、「戦前の東京のデパートの話ですよ」と、自慢げに懐かしそうに言い返された。
 この「デパートに食堂」というのは、江戸時代の呉服店からはじまったことである。
江戸の川柳に、次のようなものがある。


 盗人(ぬすっと)にあつて三井の飯を喰ひ
      (『誹風柳多留』10編、安永4年〈1775〉刊)
 
  三井とは三井呉服店(越後屋=三越伊勢丹デパート)のこと。泥棒に入られて着物をごっそり盗まれてしまい、仕方なく三井呉服店へ着物を誂(あつら)えに行くと、おなじみのお得意様だったので、昼食の接待を受けることになったという句意である。
 大店(おおだな)の呉服店に食堂があったのは、明治になってデパート商法が普及してからではなく、江戸の昔からあったことなのである。御子様ランチまではなかったろうが。
戯作者(げさくしゃ)の曲亭馬琴(きょくていばきん)も潤筆料(原稿料)などで稼いでいたせいか、呉服屋の上得意であったようで、『曲亭馬琴日記』には、妻と孫を連れて大丸呉服店へ買い物に行ったと見える。


お百・太郎同道にて大伝馬町大丸へ、おさち宮参(みやまいり)衣服、其外(そのほか)とも買物罷越(かいものまかりこし)、大丸にて昼飯食べ

                (天保4年〈1833〉11月8日)

  大丸呉服店(大丸松坂屋デパート)でも、なじみの顧客には昼食をサービスしていた。
  とくに大丸呉服店の場合、荷商いも盛んで、顧客の要望があれば店員が荷を担いで客宅へ伺い営業した(図版参照)。上顧客の家に最新流行の反物(たんもの)を持参して顧客の購買意欲を高めていたのである。今で言えば、デパートの外商部といったところであろう。現代のデパート商法は、海外から来た新しい商法ではなく、何のことはない、江戸時代からの呉服屋商法として存在していたのである。
 
呉服屋の店頭では、流行の反物が引き立つように店員たちが地味な着物を着ていたのは、客の注目を集める現代のデパートガールのユニフォームとは趣が違うが、ひとつの商法である。顧客の家を回る店員の場合は違って、流行の反物を上手に着込み、客の目を引く商売をしていたのである。






一夜で三百両使ってもよいと言われた女房が、日頃着てみたいと思っていた着物をこしらえようと、呉服屋(大丸)を呼び出して、あれこれ反物を見ているところ。
山東京伝(さんとうきょうでん)作の黄表紙(きびょうし)『江戸春一夜千両(えどのはるいちやせんりょう)』(天明6年〈1786〉刊)より。

曲亭馬琴…1767〜1848。江戸後期の戯作者。代表作に、長編の読本(よみほん)『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』など。



*参考書籍
『絵でよむ江戸のくらし風俗大事典』  棚橋 正博 (編集), 村田 裕司 (編集)
単行本: 589ページ 出版社: 柏書房 (2004/09)
江戸がもっとも輝いていた時代、「江戸っ子」が生まれた今から200年前、西暦1800年の江戸市中。同時代の黄表紙、絵本の挿し絵3000点を収録。想像や憶測、思い込みを廃した、江戸庶民生活を読み解く事典。
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd5/





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