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【飛脚屋 (ひきゃくや)】江戸時代、手紙を出すのは、かなり手間とお金のかかることだった。

【飛脚屋 (ひきゃくや)】江戸時代、手紙を出すのは、かなり手間とお金のかかることだった。
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2023-9-6 22:03    
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わざわざ飛脚屋(ひきゃくや)まで足を運んで頼まなければならなかった。送り先が遠ければ、飛脚が走って届けるだけに日数もかかり料金は高くなるなど、料金は距離によってまちまちだった。
でも、当時としては私信を届けてもらう唯一の手段だったのだから、飛脚に頼らざるを得なかったわけである。

絵>町飛脚 納る時をまつ尽くし (郵政博物館蔵)

関連コラムはこちら> 
江戸言葉 お金の話 「先払い」と「着払い」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=16

【江戸山車】 江戸の祭の華は山車(だし)。江戸型山車は著名な神社の多くの祭に曳き出された。

【江戸山車】 江戸の祭の華は山車(だし)。江戸型山車は著名な神社の多くの祭に曳き出された。
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江戸型山車の最大の特徴は、徳川将軍の上覧に際し、江戸城門をくぐるために最上部の人形が上下するカラクリを備えている。城門をくぐる際に人形をさげ、くぐり抜けた後に人形を上げていた。
明治以降、「天下祭」が廃絶すると山車は衰退の一歩をたどり、関東大震災・東京大空襲が都心部を襲い、徐々にその姿を消したが赤坂氷川神社に9台現存。その赤坂氷川祭りが令和5年9月15日〜17日に予定。

写真>神武天皇(じんむてんのう)飾り幕(上段)鳳凰/飾り幕(下段)桐紋

関連情報はこちら> 
・「江戸山車」について NPO法人赤坂氷川山車保存会
https://www.hikawadashi.or.jp/

・コラム 江戸言葉 月ごよみ「山王祭と喧嘩」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=7

【九月節句】 9月9日は五節句の1つである「重陽の節句」。「菊の節句」とも呼ばれた。

【九月節句】 9月9日は五節句の1つである「重陽の節句」。「菊の節句」とも呼ばれた。
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2023-9-6 21:49    
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菊酒を飲んだり、栗ご飯を食べたりして無病息災や長寿を願った。 最近はあまりなじみがない節句ですが、旧暦を使用していた頃までは五節句を締めくくる最後の行事として盛んに行われていた。
絵は當時遊芸を習う女性は必ず五節句には師匠の許へゆき賀儀を申しあげた。その往来の様を写し出した図。

絵>菊池貴一郎 (芦乃葉散人) 著「江戸府内絵本風俗往来」
 『九月佳辰の図』 (国立国会図書館蔵)

関連コラムはこちら> 
江戸言葉 月ごよみ 「重陽(ちょうよう)の節句」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=10

【江戸の範囲】初めて正式に示された江戸の範囲で、「朱引内(しゅびきうち)」、「御府内(ごふない)」、などとも呼ばれる。

【江戸の範囲】初めて正式に示された江戸の範囲で、「朱引内(しゅびきうち)」、「御府内(ごふない)」、などとも呼ばれる。
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2023-9-6 20:52    
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「朱引内(しゅびきうち)」の範囲。文政元年(一八一八)に目付からの問い合わせにたいして絵図面に朱線をもって示した評定所の決定による範囲。
この朱引の範囲は、東は中川まで西は神田上水まで、南は目黒川周辺まで、北は荒川・石神井川下流あたりまでとなっており、目黒付近で町奉行支配場の境界線である黒引が外へ突出している。

絵>旧江戸朱引内図(東京都公文書館所蔵)

関連コラムはこちら> 
コラム 江戸十万日 月日の鼠「江戸下町は文化創造センターだった」
http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/2021/04/

【いろは48組】 8月7日享保5年(1720)町火消し組合が改正、「いろは」48組となる。

【いろは48組】 8月7日享保5年(1720)町火消し組合が改正、「いろは」48組となる。
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2023-7-31 23:55    
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江戸は火事の多い都市だった。三度の大火以外にも、毎年のように火事に見舞われ、
長屋の密集した下町では、焼かれては建て直すことを数年ごとに繰り返していた・・・・・

関連コラムはこちら>
・江戸十万日 月日の鼠 「偉大ではないが、しぶとく消極的であることがもつ価値」
http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/2019/12/

絵>歌川広重画 「江戸の華-いろは組の内“を組”組を立て火に迎ふの景」国立国会図書館蔵



【永代橋崩落】 8月19日文化4年(1807)深川富岡八幡宮祭礼の人出で永代橋が崩れ落ち、730余人が死亡・・・・・

【永代橋崩落】 8月19日文化4年(1807)深川富岡八幡宮祭礼の人出で永代橋が崩れ落ち、730余人が死亡・・・・・
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2023-7-31 23:03    
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絵>永代橋崩落の図(江戸東京博物館蔵)

江戸時代の橋梁は、木製で老朽化が激しく (耐用年数、 約20年)、さらに水害による流失があって、維持管理するのが大変でした。
両国橋は、架け替えの度に道幅を狭くしてコスト縮減され、また幕府が維持管理しない橋梁は、地元 (町方)に委譲されていき・・・・・

関連コラムはこちら>
・武蔵國・江戸物語 〜 『永代橋にみる民間活力導入の惨劇』
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo46.pdf



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【隅田川川開き】 令和5年(第46回)隅田川花火大会 令和5年7月29日(土)4年ぶりに開催

【隅田川川開き】 令和5年(第46回)隅田川花火大会 令和5年7月29日(土)4年ぶりに開催
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2023-7-31 19:15    
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写真>2023年7月29日撮影 突然飛来したUFO型花火(?)

隅田川の「川開き」といえば、すぐに両国の花火を連想するのは、江戸時代も同じ。 両国で花火を打ち上げるようになったのは享保19年(1733)から。前年に始まった大飢饉(享保の飢饉)とコレラの大流行に伴い、江戸でも多くの死者を出した。  
そんな死者の霊を慰めるためと病魔退散を願い、幕府は両国で水神祭を実施した。その際に花火を打ち上げたのが、隅田川花火の始まり。

関連コラムはこちら>
・武蔵國・江戸物語 〜  No42 享保の厄災と、隅田川川開き
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo42.pdf

・江戸の夏行事〜今に継承されているものの由来〜「隅田川の「川開き」
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/

【玉川上水】7月19日(水)水都江戸 東京復活・再生シンポジウム開催

【玉川上水】7月19日(水)水都江戸 東京復活・再生シンポジウム開催
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2023-7-31 19:08    
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【 開催趣旨】
玉川上水・分水網上下流連携総括シンポジウム実施。

コロナ渦の影響で延期に次ぐ延期で羽村市から始まった本シンポジウムですが、 やっと最下流にあたる日本橋川に到達することができました。 最終回の本ンポジウムは、これまでの活動を総括する 「総括シンポジウム」と位置づけ、中央区にて開催。

江戸城下に水を運ぶために掘削された玉川上水を再生することで、江戸城外濠や日本橋川が抱える水環境を改善し、さらに、そこから未来につながる東京の水辺のあり方について、 玉川上水上・中・下流の皆さまに夢を語ってもらいました。
基調講演では、江戸文化の第一人者である田中優子先生に 「江戸文化と玉川上水」と題して、 また、直木賞作家である 門井慶喜先生に 「江戸東京の水回り」と題して講演。

【日時】令和5年7月19日 (水) 14時17時
【会場】 銀座ブロッサム中央会館 ホール
【プログラム】
■基調講演 「江戸文化と玉川上水」 法政大学前総長 田中 優子氏 他
■パネルディスカッション/パネリスト: 沿川市区長  
コーディネーター: 水文・ 水資源学会長 沖 大幹 氏 (東京大学教授)


開催情報はこちら>
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd10/

【玉川上水】 7月19日(水) 第6回玉川上水・分水網上下流連携総括シンポジウム開催

【玉川上水】 7月19日(水) 第6回玉川上水・分水網上下流連携総括シンポジウム開催高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2023-6-29 18:48    
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【開催趣旨】
コロナ渦の影響で延期に次ぐ延期で羽村市から始まった本シンポジウムですが、 やっと最下流にあたる日本橋川に到達することができました。 最終回の本ンポジウムは、これまでの活動を総括する「総括シンポジウム」と位置づけ、中央区にて開催いたします。

江戸城下に水を運ぶために掘削された玉川上水を再生することで、江戸城外濠や日本橋川が抱える水環境を改善し、さらに、そこから未来につながる東京の水辺のあり方について、 玉川上水上・中・下流の皆さまに夢を語って頂きたいと考えています。
基調講演では、江戸文化の第一人者である田中優子先生に 「江戸文化と玉川上水」と題して、 また、直木賞作家である 門井慶喜先生に 「江戸東京の水回り」と題して御講演頂きます。

多くの皆さまに御参加頂き、 東京の水循環を知り、歴史的 価値に目を向ける機会になればと思っています。

【日時】令和5年7月19日 (水) 14時から (17時終了予定)
【会場】 銀座ブロッサム中央会館 ホール/住所: 東京都中央区銀座2-15-6 /住所: 東京都中央区銀座2-15-6
【プログラム】
■基調講演1 「江戸文化と玉川上水」 法政大学前総長 田中 優子氏 他

■パネルディスカッション/パネリスト: 沿川市区長 (調整中) 
 コーディネーター: 水文・ 水資源学会長 沖 大幹 氏 (東京大学教授)


詳細情報、申し込みはこちら> 参加無料
http://www.edoshitamachi.com/pdf/2023.7.19tamagawajousui.pdf

今までの、活動情報はこちら>
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd10/




【天明の浅間焼け】 7月6日天明3年(1783) 浅間山が大噴火、江戸に灰がふる。

【天明の浅間焼け】 7月6日天明3年(1783) 浅間山が大噴火、江戸に灰がふる。
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2023-6-29 18:46    
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1783年(天明3年)7月6日、浅間山が噴火し、降下した火砕物により家屋の焼失や倒壊、用水被害や交通遮断等が起こすとともに、鎌原火砕流/岩屑なだれと天明泥流により浅間山北麓から利根川流域を中心とする関東平野に甚大な被害をもたらした。(死者:1624人、流失家屋:1151戸、焼失家屋51戸、倒壊家屋130戸余り)

絵>浅間山の天明大噴火を描いた「浅間山夜分大焼之図」

関連コラムはこちら>
・武蔵國・江戸物語 〜  No45「浅間山噴火により、 関東郡代が潰れる」
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo45.pdf

【隅田川川開き】4年ぶりに開催  令和5年(第46回)隅田川花火大会 7月29日(土)   "

【隅田川川開き】4年ぶりに開催 令和5年(第46回)隅田川花火大会 7月29日(土)   "
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2023-6-29 17:57    
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隅田川の「川開き」といえば、すぐに両国の花火を連想するのは、江戸時代も同じ。 両国で花火を打ち上げるようになったのは享保19年(1733)から。前年に始まった大飢饉(享保の飢饉)とコレラの大流行に伴い、江戸でも多くの死者を出した。  
そんな死者の霊を慰めるためと病魔退散を願い、幕府は両国で水神祭を実施した。その際に花火を打ち上げたのが、隅田川花火の始まり。

絵>歌川広重画 『名所江戸百景』 両国花火:東京都ライブラリー)


関連コラムはこちら>
・武蔵國・江戸物語 〜 No42 享保の厄災と、隅田川川開き
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo42.pdf


・江戸の夏行事〜今に継承されているものの由来〜「隅田川の「川開き」
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/


【浅草天文台】 7月2日天明2年(1782) 浅草片町裏に頒暦調所司天台を設ける。

【浅草天文台】 7月2日天明2年(1782) 浅草片町裏に頒暦調所司天台を設ける。
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2023-6-29 17:20    
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1782年(天明2年)7月2日に建てられた浅草天文台は、正式の名前を「頒暦所御用屋敷」(はんれきしょごようやしき)といい、暦を作る役所「天文方」の施設。周囲約93.6メートル、高さ約9.3メートルの築山の上に、約5.5メートル四方の天文台が築かれ、43段の石段があった。寛政暦の改暦のための観測に用いられ、改暦の後も幕末まで観測が行われた。

絵>葛飾北斎画『富嶽百景』浅草鳥越の図 国立国会図書館デジタルコレクション
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関連資料はこちら>
国立天文台 > 暦計算室 > 貴重資料展示室 > 江戸時代の天文台
https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/exhibition/006/





6月3日嘉永6年(1853)【黒船来航】ぺリーが浦賀に来航!

6月3日嘉永6年(1853)【黒船来航】ぺリーが浦賀に来航!高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2023-6-13 20:23    
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絵>いかにも恐ろし気に書かれたかわら版。 
怖さを強調し、船首には巨大な人頭、船尾には口を開けた巨大な獅子頭が据えられた黒船。江戸っ子は大騒ぎ。 

「蒸気船たったしはいで夜もねらず」(狂歌)

来航に際しおびただしい数の瓦版がつくられ、江戸時代に「読売」「一枚摺」「摺物」と呼ばれた「瓦版」は、明治時代以降に定着したといわれる。


関連コラムはこちら>
・コラム 江戸十万日 月日の鼠 第二十二回 『彼らは貧乏だ、しかし高貴だ』
 http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/

絵は江戸時代の富士登山スタイル 6月1日は富士山や大山などの山開

絵は江戸時代の富士登山スタイル 6月1日は富士山や大山などの山開高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2023-6-13 20:21    
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絵>富士講の一行(東都歳事記)

当時の登山は宗教活動の一環で、登拝する人は、水垢離(みずこり)などで身を清めて山へ向かった。
数ある山のなかでも富士山は古くから霊峰と呼ばれ、別格の存在。とりわけ角行東覚(かくぎょうとうかく<1541〜1646>) の始めた富士講は、庶民に富士山信仰を広めるきっかけとなった。

関連コラムはこちら>
・江戸から今に伝わる伝統芸能「大道芸」『山開き』
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/

6月15日元和元年(1615)【山王祭り】山車・神輿がはじめて江戸城に入る。

6月15日元和元年(1615)【山王祭り】山車・神輿がはじめて江戸城に入る。
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2023-6-13 18:57    
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絵>歌川広重の名所江戸百景「糀町一丁目山王祭ねり込」(安政三年(1856)七月 国立国会図書館所蔵

山王権現(現:日枝神社)は、太田道灌が江戸に築城する際、鎮護の神として川越の山王社を勧請し、
その後、徳川家康も山王権現を城内鎮守の社とし、将軍家や江戸城の守護神として手厚く保護したため、6月15日の例祭である山王祭も将軍が上覧する「天下祭」となった。

絵は山王祭の山車(ダシ)の行列を半蔵門の南側から桜田堀越しに半蔵門を描いたもので、
当時の風景がそのまま現在にも残っている。

関連コラムはこちら>
・江戸ことば月ごよみ 『山王祭と喧嘩』
 http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/

江戸時代 夏の夜の楽しみ、夜店で「麦茶」!風紀を乱すとして取り締まりを受ける。

江戸時代 夏の夜の楽しみ、夜店で「麦茶」!風紀を乱すとして取り締まりを受ける。高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2023-6-13 18:52    
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6月24日嘉永3年(1850)近年増加した麦湯茶見世(麦湯店)が、
風紀を乱すとして取り締まりを受ける。

絵>江戸府内絵本風俗往来「むぎゆ店納涼」図 国立国会図書館所蔵

六月二十四日 町奉行は最近になって往還に出店した
麦湯店の過剰サービス規制に乗り出し、問題のある店は即刻取り払いとする通告を市中に発した。
夏の宵涼み客を目当てに麦茶を供する店はすっかり江戸の風物詩として定着。
火災のリスクと風俗取締観点から一昨年にも統制が試みられていた。
ところが、最近になって若い女性を雇って接待をさせたり、涼み台で客と酒食を共にさせる店が増え、 問題となっていた。さらに門付けと称して、若い女性芸 能者を呼び、酒の相手をさせる店も相次ぎ、とうとう 強硬措置に踏み切った。(今様大江戸瓦版より)


関連コラムはこちら>
・江戸の四季を彩る「物売り」
http://www.edoshitamachi.com/web/edonomonouri/2023/05/post.html


三社祭り 季節の色香を感じる素敵なカラーの大紋(だいもん)

三社祭り 季節の色香を感じる素敵なカラーの大紋(だいもん)高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2023-5-16 12:48    
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写真>
花川戸一丁町会 祭り半纏の大紋。_二房の藤の花を左右に輪型に配置した「上がり藤」のデザイン。
お気に入りの大紋を見つけるのも祭りの楽しみの一つ。

2023年5月三社祭り日程
日時 2023年5月19日(金)〜21日(日)
日程 ■5月18日(木) 本社神輿神霊入れの儀 20:〜
■5月19日(金) 大行列 13:00〜
              びんざさら舞奉納14:20〜
        各町神輿神霊入れの儀15:30〜
■5月20日(土)  町内神輿連合渡御 12:00〜
        巫女舞奉奏(神楽殿) 16:00〜
■5月21日(日) 宮出し 6:30〜
           本社神輿各町渡御 宮出し終
           宮入り 20:00〜

場所
■十八ヶ町(江戸末)
氏子 諏訪町、駒形町、三間町、西仲町、田原町、東仲町、並木町、茶屋町、材木町、花川戸町、山之宿町、聖天町、浅草町、聖天横町、金竜山下瓦町、南馬道町、新町、北馬道町、田町、(材木町、花川戸町、聖天町/宮本三ヶ町)
■四十四ヶ町(現在)
浅草寺を中心に東/隅田川、西/かっぱ橋道具街通り、南/春日通り、北/吉原のエリア

<東部>花川戸一 浅草馬一 花川戸二 聖天 猿若 田聖睦 浅草馬二 浅草象一 浅草象潟 浅草象三 浅五会 浅草馬三
<西部>浅草二 芝崎東 芝崎西 芝崎中 西浅三北 堤 千草 浅草中 浅草千和 千二西 千二光月 千一南 浅三東 浅草町一 浅草町二 浅草清三
<南部>仲見世 浅草東 浅草中央 浅草西 浅草公園 浅一三栄 西浅草一 寿二 寿一 寿三東 駒形 寿四 雷門田原 雷門西部 雷門中部 雷門東部


宮神輿
■一之宮(鳳凰) 吹き返しがない延軒屋根と蕨手が軒下から巻き上がっている 胴に晒を巻く
祭神/土師真仲知命 台座/三尺七寸(112僉法〃造/昭和25年 製作者/浅草・宮本重義
■二之宮(疑宝珠) 吹き返しがない延軒屋根と蕨手が軒下から巻き上がっている 胴に晒を巻くく
祭神/槍前浜成命 台座/三尺七寸(112僉法〃造/昭和25年 製作/浅草・宮本重義
■三之宮(疑宝珠) 吹き返しがない延軒屋根と蕨手が軒下から巻き上がっている 胴に晒を巻く
祭神/槍前竹成命 台座/三尺七寸(112僉法〃造/昭和27年 製作者/浅草・宮本重義

概要>
東京の初夏を代表する風物詩の一つ。江戸風情の残る下町浅草に三日間で約200万人の人出を超え1年でもっとも活気つく。浅草神社の祭礼。土曜は氏子44カ町約100基の神輿の連合渡御が行われ、日曜には本社神輿3基の渡御が実施される。

由来>
推古天皇三十六年(西暦六二八年)三月十八日の早朝、隅田川で漁をしていた檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)の兄弟の投網に仏像がかかり、土地の長の土師中知(はじのなかとも)がこれを観音像と確認、中知が屋敷を寺に改め、出家して深く帰依したのが浅草寺の起こりとされる。寺に隣接する浅草神社には、この三人が神として祭られ、五月には三社祭が催される。(浅草寺縁起)

連絡先>浅草神社  東京都台東区浅草2-3-1 TEL: 03-3844-1575

HP>https://www.asakusajinja.jp/sanjamatsuri/



「三社祭り」 初夏の風物詩

「三社祭り」 初夏の風物詩高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2023-5-16 12:45    
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写真>
花川戸一丁町会(松屋デパートのある町会)神輿

5月20日(土)町内神輿連合渡御にて浅草寺裏手に⼤集合したのち、
浅草神社境内にて順番にお祓いを受け、神社⿃居より町内に繰り出す。
浅草近辺の多数の町内神輿が集合・離散する様もまた圧巻。

2023年5月 三社祭り 行程

日時 2023年5月19日(金)〜21日(日)
日程 ■5月18日(木) 本社神輿神霊入れの儀 20:〜
■5月19日(金) 大行列 13:00〜
                      びんざさら舞奉納14:20〜
          各町神輿神霊入れの儀15:30〜
■5月20日(土)  町内神輿連合渡御 12:00〜
           巫女舞奉奏(神楽殿) 16:00〜
■5月21日(日) 宮出し 6:30〜
           本社神輿各町渡御 宮出し終
           宮入り 20:00〜

場所
■十八ヶ町(江戸末)
氏子 諏訪町、駒形町、三間町、西仲町、田原町、東仲町、並木町、茶屋町、材木町、花川戸町、山之宿町、聖天町、浅草町、聖天横町、金竜山下瓦町、南馬道町、新町、北馬道町、田町、(材木町、花川戸町、聖天町/宮本三ヶ町)
■四十四ヶ町(現在)
浅草寺を中心に東/隅田川、西/かっぱ橋道具街通り、南/春日通り、北/吉原のエリア

<東部>花川戸一 浅草馬一 花川戸二 聖天 猿若 田聖睦 浅草馬二 浅草象一 浅草象潟 浅草象三 浅五会 浅草馬三
<西部>浅草二 芝崎東 芝崎西 芝崎中 西浅三北 堤 千草 浅草中 浅草千和 千二西 千二光月 千一南 浅三東 浅草町一 浅草町二 浅草清三
<南部>仲見世 浅草東 浅草中央 浅草西 浅草公園 浅一三栄 西浅草一 寿二 寿一 寿三東 駒形 寿四 雷門田原 雷門西部 雷門中部 雷門東部


宮神輿>
■一之宮(鳳凰) 吹き返しがない延軒屋根と蕨手が軒下から巻き上がっている 胴に晒を巻く。祭神/土師真仲知命 台座/三尺七寸(112僉法〃造/昭和25年 製作者/浅草・宮本重義
■二之宮(疑宝珠) 吹き返しがない延軒屋根と蕨手が軒下から巻き上がっている 胴に晒を巻く。祭神/槍前浜成命 台座/三尺七寸(112僉法〃造/昭和25年 製作/浅草・宮本重義
■三之宮(疑宝珠) 吹き返しがない延軒屋根と蕨手が軒下から巻き上がっている 胴に晒を巻く。 祭神/槍前竹成命 台座/三尺七寸(112僉法〃造/昭和27年 製作者/浅草・宮本重義

概要> 東京の初夏を代表する風物詩の一つ。江戸風情の残る下町浅草に三日間で約200万人の人出を超え1年でもっとも活気つく。
浅草神社の祭礼。土曜は氏子44カ町約100基の神輿の連合渡御が行われ、日曜には本社神輿3基の渡御が実施される。

由来>
推古天皇三十六年(西暦六二八年)三月十八日の早朝、隅田川で漁をしていた檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)の兄弟の投網に仏像がかかり、土地の長の土師中知(はじのなかとも)がこれを観音像と確認、中知が屋敷を寺に改め、出家して深く帰依したのが浅草寺の起こりとされる。寺に隣接する浅草神社には、この三人が神として祭られ、五月には三社祭が催される。(浅草寺縁起)

連絡先>浅草神社  東京都台東区浅草2-3-1 TEL: 03-3844-1575


HP>https://www.asakusajinja.jp/sanjamatsuri/



四年ぶりの神田祭り 20年振りに宮入した「水神神輿」

四年ぶりの神田祭り 20年振りに宮入した「水神神輿」高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2023-5-16 12:40    
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魚河岸水神社 魚河岸会の由来>
魚河岸水神社の歴史は古く、天正一八年(一五九〇) 徳川家康の入府とともに江戸へ移り住んだ日本橋魚市場の開祖、森孫右衛門が、徳川家の武運長久と子孫繁栄を祈り、併せて大漁安全を祈願するため、武蔵国豊嶋郡柴崎村神田明神境内(今の千代田区大手町)に一社を建設し、祭神「彌都波能売命(ミズハノメノミコ ト)」を祀ったことにはじまるという。
元文五年(一七三九) 八代将軍吉宗の時代には、魚問屋仲間により、社殿を新築再建し、神輿を修理して大祭を執行したという。
しかし、明治初年社殿が頽破したため、明治六年(一八七三)から明治三三年(一九〇〇)までは、当時魚市場内にあった長浜町の常盤稲荷神社に合祀されていた魚市場の関係者が旧来の姿に戻すべく努力され、明治三四年(一九〇一)に、神田明神境内に社殿を新築し、魚河岸水神社と社名を 変更し、日本橋魚市場の守護神としたという。【神田祭公式ブログ】より引用

関連情報はこちら>
・江戸言葉 月ごよみ〜コラム 「山王祭と喧嘩」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=7

・国立国会図書館〜コラム「神田明神と祭礼」
https://rnavi.ndl.go.jp/imagebank/column/post-60.html

・神田祭公式ブログ〜魚河岸水神社 魚河岸会の特徴
https://kandamatsuri.ch/report/2726

・なぜ、平将門が神田神社の主祭神なのか ?
水都江戸・東京物語〜「第一部「武蔵國・江戸物語」No10.
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/2022/12/post.html


四年ぶりの神田祭り  神幸祭(じんこうさい)風景

四年ぶりの神田祭り  神幸祭(じんこうさい)風景高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2023-5-16 12:38    
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日時>2023年(令和五)5月13日

概要>
江戸・東京の町を巡行し、祭礼絵巻を繰り広げる神田祭で最も盛大な神事。

三柱の御神霊を遷した 「一の宮鳳輦」 「二の宮神輿」「三の宮鳳輦」はじめ、
諫鼓山車(かんこだし)や獅子頭山車などからなる行列が東京都心の氏子108町会を巡り、
神々の力によって各町会を祓い清める。

写真>
昭和通り 秋葉原駅前巡行


関連情報はこちら>

・江戸言葉 月ごよみ〜コラム 「山王祭と喧嘩」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=7

・国立国会図書館〜コラム「神田明神と祭礼」
https://rnavi.ndl.go.jp/imagebank/column/post-60.html

・なぜ、平将門が神田神社の主祭神なのか ?
水都江戸・東京物語〜「第一部「武蔵國・江戸物語」No10.
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/2022/12/post.html


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