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浅草寺の年の市

浅草寺の年の市新着
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2022-12-3 0:21    
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江戸の「年の瀬」は、13日の煤払いにはじまって、17、18日の浅草寺(せんそうじ)の「年(とし)の市」で盛り上がりをみせた。この2日間は、昼も夜も、浅草寺を訪れる客の絶えることはない。 境内だけでなく、周辺の町までも露店が立ち並び、注連飾(しめかざり、破 魔弓 (はまゆみ)などの縁起物、 さまざまな正月用品が売りさばかれた。多くの人々が群集して歩けないほどの混雑で、人を押しのける 「馬じゃ馬じゃ」の掛け声がとびかってい
図版は、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)が描いた浅草寺の年の市のにぎわい。 仁王門から観音堂の境内に人があふれてい る。 向こうには、羽子板を売る店があり、その隣の店は、五徳(ごとく)や焼き餅用の網を売っており、現代のライターである火打鎌 (ひうちがま)を売る幟(のぼり)も見える。

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コラム:江戸言葉 月ごよみ 「浅草寺の年の市」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=14

大掃除と忠臣蔵

大掃除と忠臣蔵新着
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2022-12-3 0:19    
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暮れの12月13日というと、江戸では大掃除の日で、どこの家もてんてこ舞いだった。これが終わるといよいよ年末の大晦日(おおみそか)と正月を迎えるわけである。大掃除は、竹箒(たけぼうき)で天井の煤(すす)を払ったりするので、「煤払い」とも呼ばれていた。
一家総出で「煤払い」が無事に終わると、家人の誰彼となく胴上げされる習わしがあった。ふだんは嫌なことばかり言って叱る番頭が胴上げされて、放り上げられたまま落下させられたり、ツンとすましている若い女性の奉公人などは、裾(すそ)がめくれて恥ずかしくなるように胴上げされたりという光景もあったようである。
「煤払い」は、武家の屋敷でも行われていた。
赤穂浪士(あこうろうし)たちは、本所(ほんじょ)松坂町の吉良邸の「煤払い」から翌日の茶会に吉良上野介(きらこうずけのすけ)が出席することを確認し、翌14日に討入りすることにしたのである。

図版は赤穂浪士の討ち入りと料理のパロディ作、山東京伝(さんとうきょうでん)の黄表紙『忠臣蔵即席料理(ちゅうしんぐらそくせきりょうり)』より。四十七人の料理人が美味い料理を作り、腹いっぱいの家来たちを追いかけ回して無理やり食べさせるところ。ラストは、満腹で炭部屋に隠れた殿を探し出し、「もう一膳」と迫る。(東京都立中央図書館加賀文庫蔵)

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コラム:江戸言葉 月ごよみ 「大掃除と忠臣蔵」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=14


江戸園芸三花 −朝顔・花菖蒲・菊−   「菊祭り」

江戸園芸三花 −朝顔・花菖蒲・菊− 「菊祭り」
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2022-11-6 15:40    
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栽培から菊人形まで菊は江戸時代以前から多くの人びとに愛された園芸植物。
江戸時代になるとの栽培は、大名から庶民までひろがった。菊人気をあてこんだ近郊の植木屋たちは、菊を使って様々な形をつくる 興行を始め、やがて現代に続く菊人形になった。

千輪咲き>
株元の1茎から摘芯(芽先を摘む)を繰り 返して脇枝を増やし、約240輪の花をドー ム状に8段以上配置して咲かせます。
2色以上の花の場合は、台木に同じキク科 の『中国ヨモギ』を使い、種類の違う苗を2月 頃から挿し木して咲き分けさせます。
冬期に地上部が枯れる菊の特性を出さぬよ、 「う、ビニールハウス内に更にハウスを作り、 常に暖房して冬を越させる必要があります。 「春に摘芯を繰り返して枝を増やし、夏に枝 にまんべんなく日光を当てる定期的な鉢回し、 咲き色を間違えぬようドームに枝の誘引、秋 に予備の枝を確保しつつ、240花に輪台を 付けるなど、大変に時間と手間がかかります。
千輪咲は、すべて愛好家の手作りで奉納し ているため、市場への流通性がありません。 「作り手の高齢化、栽培土地の不足、後継者 が殆どいないなど、当会でもあと十年したら 千輪咲が見られなくなる可能性があります。
写真>湯島天満宮

詳しくは>
第44回 文京菊まつり
https://www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/kanko/event/matsuri/kiku.html

参考サイト>
国立歴史民俗博物館 くらしの植物苑  特別企画「伝統の古典菊」
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/plant/project/index.html

江⼾時代は大園芸ブーム  「菊人形」

江⼾時代は大園芸ブーム  「菊人形」
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2022-11-6 15:24    
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栽培から菊人形まで菊は江戸時代以前から多くの人びとに愛された園芸植物。
江戸時代になると菊の栽培は、大名から庶民までひろがった。菊人気をあて
こんだ近郊の植木屋たちは、菊を使って様々な形をつくる 興行を始め、やがて現代に続く菊人形になった。

菊人形>
「菊人形は、頭や手足は人形、胴体を中小菊 の花で着飾られた等身大の人形です。
江戸時代後期、園芸で有名な染井村(現在 の豊島区駒込) が起源で、約150年前の安 政時代に本郷の団子坂(文京区千駄木3丁目) 周辺で、植木職人同士 (菊氏)が競い合って 人気歌舞伎役者の人形を菊の花で飾って見世 物にしていたのが興行展示の始まりです。
明治に入ってからは、盆庭の回り舞台に人 気役者や時事ネタの菊人形を配置し、団子坂 は秋のテーマパークとして賑わいました。
これが各地の遊園地を巡る興行となり、福 島県二本松や福井県越前市の菊人形展へと広 がっていきました。
このように菊人形は、文京区と深い関わり があることから、湯島天満宮で昭和5年から 展示を再興させております。 - なお、菊まつり開催期間に一回、菊氏が着 せ替え作業を行い、花の鮮度を保っています。

写真>湯島天満宮

詳しくは>
第44回 文京菊まつり
https://www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/kanko/event/matsuri/kiku.html

参考サイト>
国立歴史民俗博物館 くらしの植物苑 特別企画「伝統の古典菊」
https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/plant/project/index.html

冬の風物詩  浅草田圃酉の市

冬の風物詩 浅草田圃酉の市
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2022-11-3 23:04    
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画像は江戸時代の素朴な熊手:「弁慶(べんけい)」スタイル(熊手のディスプレイが弁慶が背中に差した姿に似ている)浮世絵から復制
本年は一の酉(11月4日)二の酉(11月16日)三の酉(11月28日)まである。

酉の市は、日本武尊が戦勝祈願を鷲宮神社で行い、祝勝を花畑の大鷲神社の地で行ったという伝承に基づき、日本武尊が亡くなった11月の酉の日に行われる祭り。11月に西の日が3日あれば、一の酉・二の酉・三の酉と、祭りは3回行われる。 現在最も賑わう浅草の鷲神社の酉の市は、新暦の11月の酉の日に行われるため、江戸時代とは約一月のずれがある。

『たかだかとふけたる月や三の酉』 万太郎


*参考コラム
▶コラム:江戸魂千夜一話「酉の市(とりのいち)」を読むhttp://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd9/index.php?id=3

▶コラム:江戸言葉 月ごよみ 「酉の市と大火」を読む
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=12

▶コラム:江戸言葉 月ごよみ 「酉の市と熊手」を読む
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=12

▶コラム:江戸言葉 月ごよみ 「猫ばば」を読む
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=12



















江戸時代の大道芸 「独楽(こま)まわし」

江戸時代の大道芸 「独楽(こま)まわし」
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2022-11-1 17:48    
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葛飾北斎の「四季昼夜画譜」(しきちゅうやがふ:ボストン美術館蔵)
作画期は、文政(1818年〜1830年)の前半頃とされる。
江戸時代の、一年を通しての主に庶民の生活や、風俗、職業などが描かれている。

*関連コラム>
大道芸から読み解く江戸・東京
『江戸から今に伝わる伝統芸能「大道芸」』
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/

160年以上 酉(とり)の町を眺める猫

160年以上 酉(とり)の町を眺める猫
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2022-11-1 17:38    
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画像:絵師/広重/出版者/魚栄/刊行年安政4/江戸百景の(一部)
 吉原遊女の部屋の窓から酉の町を眺める猫
(吉原妓楼より見た風景︓ 背後の森は正燈寺)

酉の市は、秋の収穫物や実用の農具が並んだ近郊農村の農業市が 江戸市中へと移行するに従い招福の吉兆を満載した飾り熊手などを市の縁起物とする都市型の祭へと変遷してきた。

*参考コラム
▶コラム:江戸魂千夜一話「酉の市(とりのいち)」を読むhttp://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd9/index.php?id=3

▶コラム:江戸言葉 月ごよみ 「酉の市と大火」を読む
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=12

▶コラム:江戸言葉 月ごよみ 「酉の市と熊手」を読む
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=12

▶コラム:江戸言葉 月ごよみ 「猫ばば」を読む
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=12



四谷区民ホール前の玉川上水の碑

四谷区民ホール前の玉川上水の碑
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2022-11-1 1:29    
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史跡説明版(写真:左)
【玉川上水水番所跡】(たまがわじょうすいみずばんしょあと)所在地 新宿区内藤町八十七番地
 玉川上水は、玉川の羽村堰で取水し、四谷大木戸までは開渠(かいきょ)で、四谷大木戸から江戸市中へは石樋・木樋といった水道管を近く埋設して通水した。
水番所には、水番人一名が置かれ、水門を調節して水量を管理したほか、ごみの除去を行い水質を保持した。当時、水番所構内には次のような高札が立っていた。
         定
一、此上水道において魚を取水をあび
  ちり芥捨べからず 何にても物あらひ申間敷
  並両側三間通に在来候並木下草
  其外草刈取申間敷候事
 右之通相背輩あらば可為曲事者也
  元文四巳未年十二月   奉行

東京都指定有形文化財(古文書)
【水道碑記】(すいどうのいしぶみのき)
        指定年月日 昭和五年十二月
 玉川上水開削の由来を記した記念碑で、高さ四六〇センチ、幅二三〇センチ。上部の篆(てん)字は徳川家達、撰文は肝付兼武、書は金井之恭、刻字は井亀泉によるもので、表面に七八〇字、裏面に一三〇字が陰刻されている。
 碑の表面には明治十八年の年紀が刻まれているが、建立計画中に発起人西座真治が死亡したため、一時中断し、真治の妻の努力により、明治二十八年(一八九五)に完成したものである(裏面銘文)。


【四谷大木戸跡碑】(よつやおおきどあとひ)
 四谷大木戸碑(この説明版の裏側にある)は、昭和三十四年十一月、地下鉄丸ノ内線の工事で出土した玉川上水の石樋を利用して作られた記念碑である。
実際の大木戸の位置は、ここより約八〇メートル東の四谷四丁目交差点のところで、東京都指定旧跡に指定されている。
      平成二十四年六月  新宿区教育委員会

*玉川上水は、承応3年(1654) に多摩川の羽村堰〜四谷大木戸まで約43kmを開削
〈「羽村取水口」の標高は126m、43卆茲痢峪傭大木戸」は92mの自然流下〉
玉川上水は武蔵野台地の稜線を流れ南北に分水を引くことができ、33の分水が穿たれ、集落と新田開発に大きく寄与。

関連情報>
玉川上水ネット10周年事業
第5回 地区別展示・講演会  11月17日(木)〜20日(日)
http://plant2.qcweb.jp/tamagawajousui-net/index.html


玉川上水の石枡(千代田区紀尾井町 清水谷公園に展示)

玉川上水の石枡(千代田区紀尾井町 清水谷公園に展示)
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2022-9-3 5:01    
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この石は1970年(昭和45年)に国道20 線(麴町大通り)の共同溝拡幅工事の際に麹町3丁目2番地先で発見された玉川上水施設一部。
玉川上水は、4代将軍家綱の命で1653年(承応2年)に着工し 、翌年に竣工したと伝えられています。多摩川上流の羽村で取水し、四谷大木戸に至る43kmを開渠で導水し、江戸市中へは石樋や木樋による暗渠で配水。
江戸市中へは石樋や木樋による暗渠で配水。 この石枡は江戸市中における本管の一部で、地中深く4段に積んだ大規模な構造。1段と2段目にまたがる部分に木樋の挿入口があります。

玉川上水関連の展示・講演会情報
2022年9月23日(金) 〜9月25日(日)
展示会 ・「武蔵野台地の新田開発と玉川上水」
講演会 ・「新田開発の面影を留める玉川上水・中流部」
    ・「玉川上水・分水網関連遺構100選について」
    ・「玉川上水の歴史的文化的価値について」

詳しくは> http://plant2.qcweb.jp/tamagawajousui-net/images/tj10/tj10_3.pdf

令和四年 赤坂氷川祭

令和四年 赤坂氷川祭
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2022-9-3 4:58    
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2022年9月15日〜9月18令和四年赤坂氷川祭

8代将軍徳川吉宗ゆかりの赤坂氷川神社(社殿は、8代将軍徳川吉宗の建立により、享保15年(1730)に完成・現存)

この例祭で有名なのが江戸型山車。山車(だし)は江戸時代、著名な神社の多くの例祭に用いたが現在では都内からほとんど姿を消した。
本年、山車の巡行は「翁二人立」「日本武尊」(やまとたけるのみこと)。「日本武尊」山車のお披露目。従来の山車は2層式が3層式となり、最大高さは約7ⅿ。

*「江戸型山車」
二輪車の上に三層の構造物。この三層部分の最上部は人形の部分で
つぎの層は水引幕に囲まれた枠で、人形はこの二層目の枠内を上下できるようにつくられている。
二段上下可変式のカラクリ(機構)をもつ。二段の台の上に人形がすわるようになっている。

詳しくは>赤坂氷川祭公式HP
https://www.akasakahikawa.or.jp/hikawasai-r04/

新発刊 ! 江戸っ子と江戸ことば〜『吉原と江戸ことば考』

新発刊 ! 江戸っ子と江戸ことば〜『吉原と江戸ことば考』高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2022-7-15 3:05    
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山東京伝の黄表紙や洒落本から江戸ことばを厳選。「いざこざ」「とんちき」「きざ」など、いまでもつかわれている江戸ことばの由来を考察しながら、江戸の経済や政治、吉原の成り立ち、風俗や習慣について解説する

棚橋 正博(著/文)  発行:ぺりかん社  A5判  395ページ  定価 4,800円+税

関連コラム>江戸言葉 月ごよみ
遊女のアリンス言葉 「ざんす」「チャキチャキ」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=3

関連書籍>江戸文庫
江戸文藝 黄表紙・洒落本・狂歌・川柳コーナー
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd5/

吉原といへば花魁(おいらん) !

吉原といへば花魁(おいらん) !高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2022-7-15 2:39    
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江戸吉原の花魁は、素足に大きな三本歯の下駄を履き、その足の運び方が爪先が外に向く八の字なので「外八文字」歩きでゆっくりと歩いた。

関連コラム>江戸言葉 月ごよみ
>廓言葉(さとことば)で読み解く吉原遊郭
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/

*新吉原 | 錦絵でたのしむ江戸の名所 -  国立国会図書館
https://www.ndl.go.jp/landmarks/sights/shinyoshiwara/

*知られざる遊女たちの実像―― 新吉原遊郭最新研究
水の文化センター 『水の文化』57号 江戸が意気づくイースト・トーキョー
https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no57/06.html

江戸時代 七夕の伝統飾り再現

江戸時代 七夕の伝統飾り再現高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2022-7-8 12:32    
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>写真〜「江戸時代 七夕の伝統飾り再現(令和四年七月七日 浅草神社)

・「五色の糸」〜織り姫が機織をしていたので、また、陰陽五行説の五色。
・「供え物」〜夏から秋の野菜や果物など。
・「梶の葉」〜梶は 楮のことで、紙の原料となる木。 葉に歌を書いたりしました。
・「着物」〜七夕の飾り物として使ったほか、着物の虫下しの意味もあります。
・「たらい」〜 織姫の星(こと座)を写したり、梶の葉を浮かべたりしました。
・「箏」〜箏の演奏の上達を祈って飾りました。

            (七夕飾り説明版より)

*詳しくは>江戸言葉 月ごよみ 七月「七夕 」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=8

七夕祭り 浅草神社(三社さん)

七夕祭り 浅草神社(三社さん)高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2022-7-8 12:21    
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>写真〜神社境内の七夕飾り(令和四年七月七日 浅草神社)

「七夕の歌尽くし」
七夕の歌は江戸時代、手本集や往来物などもいろいろ出回って、それを下に短冊に書いたりした。

『星の爲め洗ふ硯も紫の色濃きほどの言の葉もかな』

『七夕の今宵と頼む影なれやゆふべの月のつまむかへ舟』
"
*詳しくは>江戸言葉 月ごよみ 七月「七夕 」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=8

お江戸の夏は祭り時  やっと夏が来ました !

お江戸の夏は祭り時  やっと夏が来ました !高ヒット
投稿者渋柿渋柿 さんの画像をもっと!   前回更新2022-7-6 14:19    
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日枝神社の祭礼は将軍が上覧する「天下祭」

氏子による「みこし」も隔年で行われたが、コロナの影響で2018年を最後に中止。

2022年6月11日 新型コロナウイルスの終息を願い、三番町:東郷平八郎元帥 二番町:大獅子頭 九段三丁目:神輿「山車」が千代田区の町内を日枝神社までを練り歩きました。

*関連コラム>江戸言葉 月ごよみ   
六月「山王祭と喧嘩」
"http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=7

*2018-06-10  日枝神社山王祭_下町連合渡御_町内祭り半纏大紋(背紋)一覧
http://www.edoshitamachi.com/modules/myalbum/images/2018-06-10-180711.pdf


日枝神社の祭礼は将軍が上覧する「天下祭」

日枝神社の祭礼は将軍が上覧する「天下祭」高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2022-7-3 13:41    
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当時は山車(だし)が中心で、第1番は大伝馬町の諫鼓鶏(かんこどり善政が行われ、天下泰平の象徴)、2番の南伝馬町は山王権現の使いである御幣(ごへい)をかついだ猿と決まっていた。

2022年6月11日 新型コロナウイルスの終息を願い「山車」が皇居半蔵門・国会議事堂などのそばを通り、日枝神社までを練り歩きました。

関連コラム>江戸言葉 月ごよみ   
六月「山王祭と喧嘩」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=7



江戸時代、浴衣の丈(たけ)は 短かかった?!

江戸時代、浴衣の丈(たけ)は 短かかった?!高ヒット
投稿者渋柿渋柿 さんの画像をもっと!   前回更新2022-7-3 13:37    
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>絵は式亭三馬の滑稽本『浮世風呂』4編(文化10年〈1813〉刊)の口絵より。

 もともと浴衣というものは、江戸時代、浴場(銭湯)から出て、ほてった体を冷ますときに着るものだったから、丈が短いのは仕方のないことなのだ。江戸時代は、夏冬の季節に関係なく、浴場(銭湯)を出ると「つんつるてん」の浴衣に着替えたらしい。
。江戸時代は、夏冬の季節に関係なく、浴場(銭湯)を出ると「つんつるてん」の浴衣に着替えたらしい

*関連コラム>江戸言葉 月ごよみ   
七月「「つんつるてん」と「テンツルテン」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=8

七夕祭の江戸の風景

七夕祭の江戸の風景高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2022-6-26 5:10    
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絵の笹竹売りと短冊売りは『年中故事附録』絵師:北尾政美/寛政4年(1792)より

 七夕について「守貞漫稿」には、「七月七日今夜を七夕と云、たなばたと訓ず、 五節の一也。
江戸にては児ある家もなき屋も貧富大小の差別なく毎戸必ず青竹に短冊色紙を付て高く屋上
に建る」とある。
 江戸時代の七夕飾りは今のように軒に飾るのでなく、色紙や短冊、吹き流しなどの飾りをつけた葉竹を屋根上に立てていた。
そのため七夕前になると、笹竹売り・短冊売りの呼び声が響いたという。
  江戸時代には、年少子女用に七夕の短冊の手本集や往来物などもいろいろ出回っていた。
その中から代表的なものを紹介(七夕の歌尽くし)

・『君が代の數に競べん天地と共に絶せぬ星合のそら』

・『七夕の今宵と頼む影なれやゆふべの月のつまむかへ舟』

*詳しくは>江戸言葉 月ごよみ 七月「七夕 」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=8

池袋駅構内にあるフクロウの石像 「いけふくろう」

池袋駅構内にあるフクロウの石像 「いけふくろう」高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2022-6-20 18:53    
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>写真は待ち合わせ場所の定番となった「いけふくろう」の像。 (地下1階JR改札付近)

>駅の待合せ場所として、渋谷駅のハチ公、東京駅の銀の鈴、新宿駅のアルタ前などと共に定番になっている。
「いけふくろう」とは、「池袋」の地名はかつて湿地帯で池があり、そこに多くのふくろうが生息していたので
「池+ふくろう」で「池袋」となったという説に由来。
今は池袋のシンボル、フクロウのモニュメントとして池袋の各所に「いけふくろう」がいる。
 
 昔から雑司が谷の「すすきみみずく」は、お土産や安産と子育てのお守りとして有名。
明治末期から大正にかけて「雑司ヶ谷の梟」のあだ名で呼ばれた人物がいた。
こよなく雑司が谷を愛した秋田雨雀で、仲間たちを呼び、鬼子母神境内の茶屋に文人や画家たちが参集した。

関連コラム>神田川界隈物語
こよなく雑司が谷を愛した秋田雨雀
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd6/

「ガチャ ガチャ 多葉粉(たばこ)」売り

「ガチャ ガチャ 多葉粉(たばこ)」売り高ヒット
投稿者sibugakisibugaki さんの画像をもっと!   前回更新2022-6-20 18:50    
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>写真は「熈代勝覧」より引用
文化二年(1805)ころの江戸日本橋通りを描いた長大な絵巻物。(ベルリン東洋美術館 所蔵)

江戸時代から明治にかけて、刻み煙草をキセルで吸うのが普通。
>「ガチャ ガチャ 多葉粉(たばこ)」売り
小箪笥程なる曳出しの多く付いた箱に、刻み煙草をいれ蕨手(わらびで)の鐶を引き出し毎につけ、肩へ片掛にして売り歩く。鐶がガチャ ガチャと鳴り
その音を聞いて呼び入れて買った。

  引キ出シの ひやうしであるく きさみ売 (古川柳)
  (引出しの環の鳴るのに合わせて)
 
だが、「ガチャ ガチャ煙草」売り以外に風呂敷や提げ箱をさげ、刻み煙草を玉にして紙帯で結んだり、袋に入れて行商した商人もあり、この種のものは明治初期まで続いた。

>羅宇屋(らうや)
刻みたばこを吸うための道具である「きせる」の掃除をし、きせるの“雁首”と“吸口”をつなぐ竹の管である「羅宇」を挿げ替えることを生業とする商人。
下町では、昭和の戦後も羅宇屋がリヤカーなどに大きな箱を乗せ、蒸気を煙突様のものから「ピーッ」と音をたてて吹かせて巡った。

  たいこ持チ らうのすげかへ 見てにげる。(古川柳)
  (勘当になった息子の業)

関連コラム> 江戸言葉 月ごよみ
「歩きタバコ」の禁止
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/



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地名から読み解く江戸・東京
水から読み解く江戸・東京
大道芸から読み解く江戸・東京
本から読み解く江戸・東京
人から読み解く江戸・東京
味から読み解く江戸・東京
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