円朝作「怪談乳房榎」に所縁のある南蔵院
天保5年(1834)から7年にかけて刊行された「江戸名所図会」見ると下高田村付近(現高田一丁目)の様子が分かる。中央に南蔵院があり、境内には薬師(堂)と、江戸幕府三代将徳川家光が植えたといわれる鶯宿梅(おうしゅくばい)がある。南蔵院の前方には右橋、高札場、茶店があり、道には籠・馬なども描かれていて、当時の様子がうかがえる。道を隔てたところにはたところには氷川神社がある。
南蔵院、氷川神社、面影橋の一帯は砂利場(じゃりば)と呼ばれ、神田川沿いの砂利の採取所であったのではないかと思われる。 これらの位置関係や道の曲がり方などは、現在もほとんど変わらず、江戸時代のなごりをとどめているといえる。
現在南蔵院の門の右には「名作怪談乳房榎ゆかりの地」と掲示されているが、これは三遊亭円朝*1作「怪談乳房榎」*2に所縁のある寺であるからである。
現存はしていないが、南蔵院杉戸の龍の絵を見て創作したものだと言われる。

▲天保5年(1834)~7年『江戸名所図会』
*1三遊亭円朝 初代 (さんゆうてい えんちょう)
天保10年4月1日(1839年5月13日) - 明治33年(1900年8月11日)
幕末‐明治に活躍した落語家。三遊派の総帥、宗家。三遊派のみならず落語中興の祖として有名。
*2「怪談乳房榎」(かいだんちぶさえのき)
三遊亭圓朝によって創作された怪談噺。
絵師菱川重信が南蔵院に依頼され杉戸や天井に絵を描く。
龍の眼を入れれば完成するというところで、弟子の磯貝浪江は重信の妻おきせに横恋慕し、重信を蛍狩り誘い、落合の田島橋付近で殺める。
夫の死のショックで乳の出なくなったおきせの元に、死んだ重信の亡霊が現れ、乳を出す不思議な榎が松月院にあると教え、やがてその榎の乳で育った子・真与太郎は父を殺した浪江を討ち仇を取る。
取材協力:豊島区立郷土資料館 (『豊島の選択』より加筆転載)
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