��.静炎お嶋
��-2.小石川
小石川昌林院の一室である。義父が亡くなってから、お嶋は度々訪れるようになっていた。
耳を澄ますと、牛天神下に構える直心影流「堀内道場」の、門弟たちの気合と竹刀の激しい音がここまで聞こえてくる。
剣術道場といえばこれまでは木刀稽古だったが、それが最近は竹刀と防具を使った打ち込み稽古に変わってきた。そういう風にしたのは、実はこの道場主の堀内源左衛門正春だった。その新しさが受けて、堀内道場は「江戸一番」ともいわれるほどに門弟を抱えるようになっていたが、その中にはあの赤穂藩の奥田孫太夫重盛、堀部安兵衛武庸、間十次郎光興が通っていたというから大変である。
討ち入った旧赤穂藩の浪人たちは、本懐を遂げたあと全員揃って腹を切ったものの、その後も江戸での人気は鰻登、お蔭で堀内道場までが評判となって、弟子が増えているという。
その道場主の堀内源左衛門は還暦を過ぎたころから、息子に道場を任せるようになり、近頃は牛天神下から安藤殿坂を上ってよく昌林院にお茶を飲みにやって来るのだ、と昌林院の住職が語った。
「それにしても･･･」と住職は、感心し切ったように首を縦に振りながら言う。また赤穂義士の話のようだ。「菅野六郎左衛門と村上庄左衛門の、高田馬場の決闘に、助太刀をして名を揚げた堀部安兵衛が、八年後には討ち入りという快挙！ 安兵衛というお人はいかなる星の下に生まれた御仁であろうかのう。」
「･･･かのう」と問われても、正座して住職の話に耳を傾けていたお嶋には返事のしようもなかった。
その討ち入り事件の翌年であった。小石川では、傳通院16世然蓮社湛誉門秀が増上寺へ移り、後任として飯沼(水海道)弘経寺の明蓮社顕誉祐天という世に名高い上人が傳通院17世に就いた。小石川界隈の人たちの間では大変な評判になっていた。
この祐天という僧侶は有名な「呪術師」であった。というのは、祐天は弘経寺の修行僧だったころ、羽生村の百姓累の怨霊を済度した、いわゆる「狐落し」の実績があった。事実はどうなのか判からないが、村の百姓から「神様の祟りなら陰陽師、物の怪なら僧の修法」とばかりに頼まれて、偶々「狐落し」に似たような成功があったのも事実だろう。その後、祐天は何を思ったか成田山新勝寺に参篭し、不動尊から剣を喉に刺し込まれる夢を見て智慧を授かったとして帰ってきた。分かりやすくいえば、チンピラ「呪術師」が「成田山新勝寺」という金ピカの箔を付けて戻ってきたようなものであった。
【祐天上人：『利根川図志』挿絵より】
村人たちはいろんなことを噂した。「祐天様は、強力な怨霊に襲われている者たちを救済してくれるそうだ」とか、「その怨霊を念仏の力で成仏させるそうだ」とか。そうした風評がまた風評をよび、祐天はさらに大きな「呪術師」へと膨らんでいった。それから祐天は、弘経寺を離れて江戸に出て、今度は六字名号の功徳、念仏の弘通を中心とする布教活動を始めた。「狐落し」の実績をまとった祐天は徹底して「南無阿弥陀仏」の「六字名号」を推し進めた。人々は彼に飛びつき、祐天が配った「六字名号」のお札は何と30万枚を越えたという。またこの間に『死霊解脱物語聞書』、すなわち「狐落し」の体験談を中心にした自叙伝を弟子に書かせ、祐天の虚像と実像は巨大となり、江戸では�犖僂陵甘鍬瓩箸泙埜討个譴訖裕ぜ圓砲覆辰拭�
お蔭で、5代将軍綱吉（在任：1680 - 1709）、またその生母桂昌院らの帰依を受け、大奥の女たちの支持を獲得、とうとう桂昌院の強い要望で傳通院17世の地位を得るまでになった。もちろん浄土教団は猛反対したが、「�犖僂陵甘鍬瓩海術Ｄ民，砲佞気錣靴ぁ廚箸いΨ望傘，慮世な�が通った。
「ふさわしい」とはどういう意味かというと、話は傳通院中興のころに戻らなければならない。傳通院中興の祖は廓山上人(在職：元和二年〜八年)、号を定蓮社正誉といった。甲斐武田氏の家臣高坂昌信の次男だともいわれているが、家康の信任がかなりあつかった。
その廓山上人が在す傳通院の、西方にある学寮の主、極山和尚の夢に一僧が立った。僧は「余は澤蔵司という者なるが、浄土の修学の大望あるが故、明日当寺へ来るべし」と託して消えた。それは元和四年四月七日の夜半のことだったという。
果たして翌日、30歳くらいの僧が訪ねてきて、「余は澤蔵司という者なるが、来世得脱利益拡大なることは浄土の法門に過ぎたるなし。願わくは今より当山に留まって修学せん」と述べた。極山和尚が廓山上人に伝えると、上人も同じ夢を見たと言う。そこで速やかに入室を許したところ、果たせるかな澤蔵司なる僧は才識絶倫わずか3年にして、一切浄土経の奥義を究めてしまった。そうして、元和六年五月七日の夜、再び廓山上人と極山和尚の夢に澤蔵司が現れ、「そもそも余は太田道灌が千代田城に勧請した稲荷大明神であるが、浄土の法味を受けて多年の大望を達することができた。今より元の神に戻るが、永く当山を守護し恩に報いたいから、一社建立せよ」と告げる。驚いた廓山上人は傳通院の一隅に慈眼院を建立し澤蔵司稲荷を祀ったと伝えられている。
【傳通院鎮守 慈眼院澤蔵司稲荷】
つまり、「澤蔵司稲荷に鎮守される傳通院17世には�犖僂陵甘鍬瓩海修佞気錣靴ぁ廚箸いΔ里任△襪�、桂昌院の発言力の背景には傳通院そのものの性格が大きかったのはいうまでもない。それは傳通院で眠っておられる徳川将軍家の方々を見れば、分かる。於大の方様はむろんのこと、家康妾於奈津様、2代将軍秀忠娘千姫様･初姫様、3代将軍家光室孝子様、家光娘亀姫様、甲府宰相綱重室様、5代将軍綱吉養女喜知姫様･磯姫様･･･、つまりは徳川家子女の菩提寺であるゆえ、家光の側室で、綱吉の生母である方の希望が通らないはずはない、というわけである。
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