投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-9-10 2:27:11 (169 ヒット)

会場>台東一丁目区民館 多目的ホール
住所>台東区台東一丁目25番5号
問い合わせ>台東区 文化振興課 03-5246-1118

講師>小澤 弘
江戸東京博物館名誉研究員・淑徳大学人文学部客員教授

日時>
第1回 開催日時 10月19日(土)14時〜(90分)  
第2回10月26日(土)14時〜(90分)

観覧料> 無料

公式サイト >https://www.culture.city.taito.lg.jp/ja/events/00001c00000000000002000000541714

概要
>【第1回】浮世絵の成立から錦絵の誕生へ
「浮世絵」は、近世に江戸で興った新しい絵画様式です。その成立の背景には、近世初期風俗画がありました。
17世紀後半、菱川師宣が創始したという浮世絵は、新興都市江戸の歌舞伎と遊里吉原の当世風俗を画題とした作品で、当時「江戸絵」と呼ばれました。浮世絵は、肉筆画のみならず木版画による制作により、多くの人びとの目に触れる情報媒体となりました。また上方から芝居絵を画業とした鳥居派が江戸へ来たことによって、江戸の役者絵、芝居絵が作られるようになり、また版元兼絵師の奥村政信による画題の広がりや浮絵の工夫により、より多くのタイプの浮世絵が世の中に広まりました。

>【第2回】浮世絵の黄金期と版元・蔦屋重三郎
浮世絵は、18世紀中頃に大きな展開がありました。それが「吾妻錦絵」と呼ばれた多色摺り木版画の誕生です。その錦絵草創期に活躍したのが鈴木春信です。
その背景には、旗本大久保巨川や文人平賀源内などがおり、安永天明期の狂歌の流行と大小絵暦の交換会が拍車をかけました。その後、役者似顔絵の勝川春章などが出ましたが、とくに新興版元の蔦屋重三郎が喜多川歌麿を登用し、大首絵という新機軸をたてて浮世絵の黄金期を迎えました。

蔦屋重三郎は、遊里吉原の入口で細見売りの店から始め、通油町に耕書堂の店を構え、錦絵をはじめ多くの版本を出版しました。蔦屋重三郎は、寛政の出版取締令によって罰せられましたが、東洲斎写楽による雲母摺りの役者大首絵を手がけて再起を図りました。その後の浮世絵界は、歌川豊春、広重、豊国などの歌川派や「冨嶽三十六景」で有名な葛飾北斎などを輩出し、幕末明治維新期の赤絵、大正期の新版画へと受け継がれて現在に至ります。


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-6-5 15:25:38 (275 ヒット)

玉川上水の取水口である羽村堰付近にある銅像。
正面から見て、右側に立っているのが兄の庄右衛門。左側が弟の清右衛門。
庄右衛門が持っている縄のようなものは「間縄(けんなわ)」、清右衛門が持っている棒状のものは「間竿(けんざお)」でどちらも当時の測量道具。

画像を見る>
http://www.edoshitamachi.com/modules/myalbum/photo.php?lid=779&cid=50

関連情報はこちら
>「暦から読み解く江戸東京」 玉川上水年表
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd8/PDF/tamagawanenpyo.pdf

>水から読み解く江戸東京「玉川上水物語」
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo36.pdf

>「羽村市郷土博物館蔵」
https://www.city.hamura.tokyo.jp/0000001544.html


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-6-5 14:57:56 (231 ヒット)

6月1日寛永13年 (1636)芝・浅草と近江坂本に銭座を置き、初めて【寛永通宝】を鋳造。
幕末までに造られた銅銭はすべて「寛永通宝(かんえいつうほう)」の文字が打ち出され「寛永通宝」と呼ばれた。

貨幣価値は、裏面に波形が刻まれているものが4文、刻まれていないものが1文として通用。
当時96文を銭通しに通してまとめると100文として通用(短陌・省陌)し、通し100文と呼ばた。

画像を見る> http://www.edoshitamachi.com/modules/myalbum/photo.php?lid=776&cid=50
寛永通寳:寛永13年(1636)称浅草銭 御蔵銭 (Wikimediaより」

1枚の重量は1匁(3.75グラム)、銭径は8分(2.4センチ)が標準であったが、
後には軽量、縮型のものや、鉄銭も鋳造された。

関連コラムはこちら
>江戸ことば月ごよみ 『藤の花と銭の花』
 http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=4

関連情報はこちら
・「日本銀行貨幣博物館」 『17世紀金・銀・銅の貨幣の統一』
 https://www.imes.boj.or.jp/cm/history/content/#HistoryEarlyModern


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2023-6-29 20:20:02 (286 ヒット)

【 開催趣旨】
コロナ渦の影響で延期に次ぐ延期で羽村市から始まった本シンポジウムですが、 やっと最下流にあたる日本橋川に到達することができました。 最終回の本ンポジウムは、これまでの活動を総括する 「総括シンポジウム」と位置づけ、中央区にて開催いたします。

江戸城下に水を運ぶために掘削された玉川上水を再生することで、江戸城外濠や日本橋川が抱える水環境を改善し、さらに、そこから未来につながる東京の水辺のあり方について、 玉川上水上・中・下流の皆さまに夢を語って頂きたいと考えています。

基調講演では、江戸文化の第一人者である田中優子先生に 「江戸文化と玉川上水」と題して、 また、直木賞作家である 門井慶喜先生に 「江戸東京の水回り」と題して御講演頂きます。多くの皆さまに御参加頂き、 東京の水循環を知り、歴史的 価値に目を向ける機会になればと思っています。

【日時】令和5年7月19日 (水) 14時から (17時終了予定)
【会場】 銀座ブロッサム中央会館 ホール/住所: 東京都中央区銀座2-15-6 /住所: 東京都中央区銀座2-15-6

【プログラム】
■基調講演1 「江戸文化と玉川上水」 法政大学前総長 田中 優子氏 他
■パネルディスカッション/パネリスト: 沿川市区長 (調整中) 
コーディネーター: 水文・ 水資源学会長 沖 大幹氏 (東京大学教授)



詳細情報、申し込みはこちら> 参加無料
http://www.edoshitamachi.com/pdf/2023.7.19tamagawajousui.pdf

今までの、活動情報はこちら>
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd10/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2022-7-3 16:24:31 (384 ヒット)

「つんつるてん」と「テンツルテン」
衣服の丈が短くて、手足や膝〈ひざ〉が現れていることを「つんつるてん」という。
「つんつるてん」と似たような語感の「テンツルテン」という言葉が「近世語」(江戸時代語)にあり、「三味線の音を表す語」だとしている。
江戸時代には、この「テンツルテン」という言葉がよく使われていた。

詳細はこちら>
江戸言葉月ごよみ 七月
「つんつるてん」と「テンツルテン」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=7


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2022-6-4 3:53:46 (400 ヒット)

元禄8年(1695)10月、江戸町奉行は「歩きタバコ」を禁止した。キセルでの喫煙「キセルタバコ」で往来を歩くと捕まったのである。この年の2月に江戸大火、それによって定火消(じょうびけし。今の消防隊。5割増しに増設)を整備し、9月に放火犯罪が増えたことなど、火災をおそれての禁止だった。宝暦13年(1763)の町触れでは、くわえギセルで往来を喫煙するのは、もってのほかのことだと触れているので、江戸の街中での歩きタバコ厳禁は、江戸っ子のあいだではマナーになっていたのかも知れない

詳細はこちら>
江戸言葉月ごよみ
「歩きタバコ」の禁止
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=7


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2022-6-4 3:51:02 (359 ヒット)

文士たちは雑司が谷に行けば誰かに会えると雑司ヶ谷めぐりが始まった。「雑司ヶ谷の梟」のあだ名で呼ばれた雨雀は寂しがり屋で人好き。仲間たちを呼び、鬼子母神境内の茶屋に文人や画家たちが参集する。

詳細はこちら>
神田川界隈物語
「こよなく雑司が谷を愛した 秋田雨雀」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd6/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2021-12-8 20:45:04 (472 ヒット)

ドイツの医師クルムスの解剖書「AnatomischeTabel-in」のオランダ語訳を日本語訳した、日本最初の西洋解剖学の本格的な翻訳書。安永3年(1774)発行。
翻訳作業は困難を極め、完成までに約4年の歳月を要した。
翻訳の中心になったのは小浜藩医杉田玄白、中津藩医前野良沢で、原書にある精緻な銅版解剖図は、秋田藩士の小田野直武が木版画に直した。
本書はこれまで漢方医学で知られていなかった膵臓、リンパ管を指摘するなど大きな成果を生み出した。杉田玄白は晩年に、『解体新書』翻訳のときの様子を『蘭学事始』に記している。翻訳の際に「神経」「軟骨」「動脈」などの語が作られ、それは今日でも使われている。

関連コラム
▶江戸十万日「月日の鼠」>. 
「原理を学び習得してから、治療の方法を理解する」
http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2021-12-5 23:25:36 (398 ヒット)

「とどのつまり」とは、「行き着く先、結局」という意味。
その由来を紹介すると-----------
・「とど」は、出世魚の鯔(とど)のことで、イナ→ボラ→トドと変わり、
最後は「とど」となって成長が終わるところから、「終わる、詰まる」という説。
・「とどのつまり」の「とど」は魚ではなく、歌舞伎用語「演技の終り、終了」から借用した説。

関連コラム
とどのつまり
江戸言葉 月ごよみ>十二月 「とどのつまり」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2021-12-5 23:21:20 (376 ヒット)

それは寄席で見られる曲芸ではないだろうか。
単に技術を修得すればよいというわけではなく、お金を払って見に来てくれるお客様に、満足して帰ってもらえる芸を修得することが、修行の目指すところである。
AIが越えなければならないハードルはかなり高いように思える。

関連コラム
神田川界隈物語>ボンボンブラザーズ VS AI(人工知能)
「寄席à la carte(アラカルト)」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd8/


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