書名「アンソロジー そば」(PARCO出版)

著者 池波正太郎他

蕎麦を愛する著名人が、それぞれの蕎麦へのこだわりを綴ったアンソロジー。
池波正太郎のしびれるひと言で本書は幕を開ける。
「ひとりで町を歩いていて、ひとりで酒がのみたくなったら、私はまず蕎麦屋でのむ」
もちろんどんな蕎麦屋でもいいというわけではない。
「蕎麦だけは、洋食や天ぷらなぞとちがって、どこで、どのようにして食べさせてもよい、というものではない。(中略)蕎麦も鮨と同様に、きわめて清らかにつくられてなくてはならない。そしてしかるべき店で、これを食べると、味のみでない雰囲気がかもし出され、それをたのしむことができる」
蕎麦は特別なのである。

しかるべき店にこだわったのが杉浦日向子である。
タイトルは「並木藪蕎麦 江戸前ソバ屋の原点」。
「並木には、江戸前ソバ屋に求められるものはすべて揃っている。(中略)並木でなくてはダメなんだという午後がある」
同じ並木藪蕎麦派の山口瞳も言う。
「黙っていても酒が出てくる。『蕎麦屋の酒が一番うまい』のだから仕方がない」

登場するのは正統派の蕎麦好きばかりではない。
昭和天皇の侍従長入江相政は、電車や車に乗っているときも蕎麦屋の看板が気になるほどの蕎麦好きなのだが、その嗜好が少し変わっている。水気の引いた乾いた蕎麦が好みなのだ。
「泥臭かろうが、田舎じみていようが、私はとにかく、水気のいくらか枯れた蕎麦の味を礼賛する。(中略)『へいお待ち遠さま』と前に置かれてから、十三分がいいか、十五分がいいか」

もちろん反対派はいる。色川武大は言う。
「ソバなんてものは茹でたてが値打ちで、茹であげてから三分とたたないうちに、香りは飛ぶし、ノビるし、クタクタのソバなんて喰えたもんじゃない」
しかしその色川は「そばはうどん粉に限る」なぞと言うのだから、嗜好というものはわからない。

 「ヨーロッパに滞在しているときに、いちばん食べたいのは蕎麦である」
というのは立原正秋。この気持ちはよくわかる。
「パリのホテルから鎌倉の家に電話をかけ、明日帰るから蕎麦を用意しておけ、と言ったことがあった。この電話代が八千円かかった。私はこの八千円を惜しいとは思わなかった。とにかく帰宅すれば手打ちの蕎麦を食べられるので、金にはかえられなかった」
本物である。

故郷においしい蕎麦屋がなかったため、上京してから蕎麦の虜になった文化人もいる。
尾辻克彦は「そばというのはもともと食べたことがなかった。大分にはそば屋なんてないのだ。だいたい九州にそば屋がないのである」と言う。もちろん昔の話である。
タモリも「僕は出身が博多ですから、麺類となるとそもそもはうどん、博多うどんなんですよ」。それが「いま、週に4回、最低でも三回はそば屋へ行きます」
いったい蕎麦屋のどこがよかったのか。
「昼間の楽しみというやつだね。まずはビール、それから日本酒。これで癒される。そば屋って本当にいいものだなと思うのは、まさにこのときでね」

関西出身の作家中島らもも同じようなことを言う。
「昼さがりの人気のない店でもりそばを肴に冷たい一杯をやるのは東京人の粋であるようだ。ただし、あまり若い者のすることではない、と僕はずっと控えていた。(中略)一度やるとやみつきになってしまった。とにかく気持ちがいいのだ」
そしてその気持ちのよさを分析して言う。
「ここが肝心なのだが、そば屋には『酔っ払いがいない』のだ。見たことありますか?そば屋で大酒飲んで隣の客にからんだり、友人にかつがれて帰ったりしている人を」
確かに見たことはない。そうゆうやぼな客がいないのが、そば屋という空間なのだ。

他にもたくさん紹介したい話がある。例えばカレー蕎麦(カレー南蛮ではない)にこだわる吉行淳之介や、昼飯が全て蕎麦(ただし立ち食いそば)であることが細やかな幸せなのだと言う田中小実昌、酒の肴にと自宅で「そばがき」を作る島田雅彦などである。
画家や音楽家、芸能人から経営者まで総勢38人、各人各様のこだわりが思い入れたっぷりに語られていて、蕎麦の多様な魅力に気づかされる。そこに、地域や世代を越えて愛され続けるゆえんがあるのだと思う。
読み終わって蕎麦屋に行きたくなるのは当たり前、ただしどんな蕎麦を食べたいかは読者しだいである。これもそば、あれもそばである。

●夜蕎麦売 「守貞漫稿」.jpg


蕎麦うりの呼び声
 「そばきりゝ。」 「鹿の子餅」(明和9)
そばィそばィ引、ぶっかけなんばん。」   「髄酎気質」(文化2)風鈴蕎麦の声かすかに遠く、風につれて、 「はな巻、天ぷら、あられでどざゐ、そばィゝ引。「春告鳥」(天保8)
*時代とともにそばの種類がふえることがわかる。
▲風鈴蕎麦の圖 (守貞漫稿所載)







●深川江戸資料館-蕎麦 .JPG

 江戸川柳

「朝顔のひらいたを見ぬ夜そば売」
 「御屋敷の窓から蕎麦に釣を垂れ」
 「現金にかけを売るのは夜鷹そば」
▲江戸時代の蕎麦屋の屋台 
 (深川江戸資料館所蔵)


                     



●『鬼あざみ清吉』歌川豊国 名古屋市博物館所蔵 .JPGのサムネール画像のサムネール画像





▲三代歌川豊国の『鬼あざみ清吉』

 屋台には「二八そば」の看板。
 男は稀代の大盗人、鬼あざみ清吉。
(名古屋市博物館所蔵) 



蕎麦屋の屋台は簡単な屋根・柱つきの台で、
立ち売りをする移動可能な小さな店 



書名「江戸の編集者」(岩波書店「図書」9月号より)
著者 横田冬彦

 江戸時代の出版事情について、岩波書店が毎月発行している雑誌「図書」9月号におもしろい話が載っていた。日本ではじめて発行された農業に関する専門書の話である。その専門書とは、教科書で一度は目にしたことがある宮崎安貞の「農業全書」である。
 この本がどういういきさつで書かれ普及していったのか、京都大学の横田冬彦名誉教授が詳しく解説している。そこには今日で言う編集者とプロデューサーの存在があった。
 日本の商業出版は1630年代頃から本格的に普及し始め、元禄九年(1696年)版の出版目録によれば、当時既に7000点以上の本が出版されていた。
 しかしその中に農業の専門書はまだ一冊もなかった。安貞は自らも農業経営を行いながら各地の先進地農法や農術を研究していた。やがて海外の農業技術にも関心を示すようになり、中国の「農政全書」(明の時代に徐光啓が著した)を参照しながら、日本にも適用できる中国農法がないか模索するようになった。こうして実に40年以上研鑽を続けた成果が「農業全書」であった。
 安貞は自らの研究成果を広く世に示し、多くの農家に活用してもらいたいと思ったに違いない。しかし、果たして当時の農民にこの本は読まれるのか、それ以前に農民に本を読む習慣はあるのか。それが問題であった。この問題を解決したのが、これも教科書で見覚えがある、「養生訓」で有名な貝原益軒である。
安貞から相談を受けた益軒は新興の書肆(出版社兼書店)であった柳枝軒に話を持ち込んだ。益軒と柳枝軒が吟味した結果「農業全書」の出版が決まった。
 なぜ益軒と柳枝軒は「農業全書」が農民に受け入れられると確信できたのか。益軒は元禄元年に奉じていた福岡藩から「筑前国続風土記」という地誌編纂を命じられ現地調査のために領内全域の村を訪れたことがあった。そのときの経験から 益軒は庄屋クラスの農民が本を読むことを知っていたのである。
 もちろん、読むというだけで読んでもらえるほど甘くはない。益軒はより多くの農民に読んでもらうために、様々な工夫を凝らした。図版を効果的に挿入したりして、表記法や体裁を工夫して読みやすくするのはもちろん、福岡藩の後援や御三家徳川光圀の推薦文を得るなど、本の権威付けにも奔走した。
柳枝軒も負けてはいない。「農業全書」の利用法を詳細に解説した別巻「付録」を発行し、どのように読み、利用すべきかの具体例を示して、読者の理解を助けた。
こうした努力のかいがあって「農業全書」は期待通りに普及していったのである。
 伝承によって引き継がれてきた「経験知」は、限られた地域でしか普及することができなかったが、「農業全書」によってもたらされた「書物知」は地域を越えて広がっていった。日本の農業は、それまでの「経験知」による農法から「書物知」を活用する農法へと変わっていったのである。 
それだけではない。「農業全書」以後に発行された農業専門書は、中国農書ではなく「農業全書」を基準書として書かれるようになった。すなわち「農業全書」は農民を単なる受け手としての読者から、自ら思考して意見を表明する読者へと変えたのである。
 「書物知」による洗練された農法が広く普及していくにつれて、日本の農業は格段に進歩した。日本初の農業専門書「農業全書」は日本農業に革命をもたらしたと言っても過言ではないだろう。
 益軒と柳枝軒は「農業全書」の価値とその可能性とをいち早く見抜いた。その発想の柔軟性と先見性そして思考の合理性に学ぶべきところは多い。
江戸初期の二人の出版人がもたらした功績はどんなに称賛しても足りない。

農業全書 宮崎安貞  著 出版者_.学友館 出版年月日_明治27年10月jpg.jpgのサムネール画像のサムネール画像のサムネール画像











農業全書 宮崎安貞 著 
出版者_学友館 
出版年月日_明治27年10月

国立国会図書館デジタルコレクション















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農業全書 宮崎安貞 著 
出版者_学友館 
出版年月日_明治27年10月

国立国会図書館デジタルコレクション









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江戸の出版量グラフ

平成24年4月27日 神田雑学大学定例講座
講師 橋口侯之介氏(誠心堂書店店主・成蹊大学文学部講師)
「江戸の出版事情」講演録より引用



第一回 幕末の生き証人が語る江戸風俗

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書名「幕末の江戸風俗」(岩波文庫)

著者 塚原渋柿園  

 

著者の塚原渋柿園(じゅうしえん)は1848年(嘉永元年)江戸市谷生まれ。80石の根来(ねごろ)百人組(江戸幕府の鉄砲隊のひとつ)与力で、維新のとき21歳だった。まさに幕末における江戸風俗の生き証人である。「江戸の変遷の有り様を、私が見た通り、否、むしろ出逢ったままのそのままを少しも飾らずに、小説気を離れて話してみようと思う」と言うように、当時の江戸の様子がいきいきと具体的に記されている。維新で生活が一変した武士たちが家禄を没収されて都落ちするときの悲惨な境遇や、武家の商法でまたたくまに全財産を失い没落していく様子が詳細に描かれていて、悲哀を感じないではいられない。

 

一方、庶民はいつもしたたかでしぶとく元気だった。年末最大の行事だった「煤掃い(すすはらい)」の話がおもしろい。陣羽織を着たりひょっとこのお面をつけたりして大騒ぎでばたばたやり、終わったあとは「目出た目出たの若松さアまアよー、えーだ(枝)もさアかアえー(栄え)て、葉もしいげる(茂る)御目出たや。アーヨイ、ヨイ、ヨイ」とみんなで唄って貴賤上下の関係なく胴上げをしたという。おもしろいのはその際に、日頃意地悪な輩を、その復讐とばかりに、「アーヨイ、ヨイ、ヨイ」の最後の「ヨイ」で落としたこと(これを俗に「揚げっ放し」といった)。落とされた方は地面にたたきつけられて目がくらんだり、鼻血を出したり、ひどいときには腰をくじいたり膝を折ったりしたらしいのだが、まわりの「おめでたい」に圧されて苦情も言えず、したがって落としてもおとがめなし。女中たちはこれが楽しみで何日も前から胴上げのときの歌の内容を話し合っていたという。



江戸の教育事情の話もおもしろかった。幕府が庶民の文教を奨励したため、寺子屋(江戸では手習い師匠と言った)が栄えて、幕末には400件以上あったらしい。何でこんなに多かったかというと、寺子屋を開いて弟子を40~50人もとれば、幕府が当時武士の特権であった「苗字帯刀」を許したから。さして儲からなかったが名誉欲しさに競って寺子屋を開いたという訳である。驚いたのは物理学や天文学を教えていたこと。当時は「日の中には烏(からす)がいて、月の中には兎(うさぎ)がいて、地の底には大鯰(なまず)が棲んでいて髭を動かすと大地震になる」といったいわゆる「須弥山(すみせん)説」が支配的であったにも関わらず、である。禁書とされた洋書の翻訳が、実際にはかなり出回っていたことになる。庶民の多くは西洋の文明がはるかに進んでいることを理解していたらしい。黒船が来た時も人びとはさして不思議に思わず、これではとてもかなうまいとただただ落胆するばかりだったという。草創期の新聞事情が、ほのぼのとしていておもしろい(著者は日本の日刊新聞第一号である横浜毎日新聞の記者だった《その後東京日日新聞に移籍》)。発刊当初は4ページを記事で埋めることができず、最終ページを白紙で出して「読者がご自由にお書きください」と添え書きしていたなんていう話も出てくる。当時新聞界の二大巨頭であった東京日日新聞の福地桜痴(源一郎)と朝野新聞の成島柳北が、新聞体裁論で大激論した話がよほど印象に残ったのか、本書には2回出てくる。ただ、おもしろいのはこの激論の内容よりもその終わり方である。双方が意地の張り合いで決着がつかず、場が気まずくなりかけたころあいを見計らって、「烏森(からすもり)の春本いく」というお婆さんが登場し「書生じゃあるまいし、こんな席でわけのわからない議論なんておよしなさいよ。さあお前たち、何をまごまごしているんだよ。かっぽれでも早く踊りな!」と一喝、これを合図に17~8人の芸妓がなだれこんで来ていっせいに「かっぽれ、かっぽれ!」とやりだして、一同これを幸いに笑っておしまいという終わり方である。このお婆さんは「留め女」と呼ばれていた。こんな呼び名があるところを見ると、議論で喧嘩になることはよくあったのだろう。「留め女」は庶民の知恵のひとつと言えよう。

 

江戸市民に税金がなかったことや江戸ことばの変遷、武士のファッションなど、本書には他にもおもしろい話がたくさんあるがここでは紹介しきれない。興味のある方はぜひご一読を。


女性の先生が教える女の子のための寺子屋(『絵本栄家種(えほんさかえぐさ)』より/勝川春潮 画).JPGのサムネール画像のサムネール画像




女児専門の寺子屋の授業風景

絵本栄家種(えほんさかえぐさ)/勝川春潮 画

寛政2年(1790)








年末 煤払い .JPGのサムネール画像





十二月煤拂 下女胴上げの圖 三代豊国画








.カバー図版 「大横町の夜景」(山本松谷「新撰東京名所図会  明治36年10月JPG.JPGのサムネール画像のサムネール画像






カバー図版 「大横町の夜景」

(山本松谷「新撰東京名所図会 」明治3610

Profile

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2018-08-04 青山富有柿 顔写真イメージ .JPGのサムネール画像

青山富有柿プロフィール

随筆家。東京在住。楽しみは祭りと蕎麦。趣味は書店めぐり





江戸十万日「月日の鼠」概説

  

江戸のおもしろい(ためになることも少し)話が

書かれている本を紹介します。

ためになるよりおもしろいを優先します。書評ではありません。

読者の江戸への興味関心が広がれば幸いです。