コラム 「寄席à la carte(アラカルト)」
白滝清流(しらたきせいりゅう)氏 著述家。

江戸町人文化研究家。元新聞社勤務。文献とフィールドワークを通じて江戸町人文化を探求している。本コラムでは「寄席」にスポットを当て、現代へ引き継がれた江戸の民衆文化を考察します。  
◎第十一回 「アカデミー賞でビンタされたコメディアン」


今年のアカデミー賞授賞式でちょっとしたハプニングがあった。
司会者のクリス・ロック*1が俳優のウィル・スミス*2に壇上で平手打ちされたのだ。発端はウィルの妻、ジェイダ・ピンケット・スミス*3の短く刈り上げた髪型をネタにしたクリスのジョークだった。

クリス・ロックは前回紹介した「テレビで会えない芸人」松元ヒロと同じスタンダップ・コメディアンだ。ネタは身近な話題から教育、人種差別や時事、宗教まで幅広い。が、その過激さは半端ではない。アカデミー賞の司会を務めるほどの人気者で、アメリカではテレビでももちろん会える。ただ、イベントはいつも満席だから、無理してテレビに出なくてもやっていける。それは松元ヒロと同じである。もうひとつ、終始笑顔を絶やさないところも同じだ。

話をもどそう。当初は、なんでウィルがそんなに怒るのか、聴衆にもクリスにも、そしておそらく視聴者にもわからなかった。そんなに悪質なジョークとは思えなかったからだ。ウィルだって最初は笑っていた。クリスも訳がわからずきょとんとしていた。ジョークなのに、ウィルはいったいどうしちゃったの、という感じである。
しかし、実はジェイダは脱毛症を患っていた。短髪はそのせいでもあり、本人はそのことに触れてほしくなかった。ウィルは、最初は笑って聞き流していたものの、ジェイダの表情を見て改めてその苦しみの深さに気づき、怒りがこみあげてきたのだと思われる。

ジェイダは2018年にFacebookのトークショー「Red Table Talk (レッド・テーブル・トーク)*4」で自らの脱毛症を公表している。そして2021年には、スキンヘッドにした娘のウィローに触発されて自分もそうしたことをSNSで発信していた。
しかし、公表しているからといって、みんなが知っているとは限らない。
聴衆の間で、ジェイダの脱毛症はどの程度知られていたのだろうか。もしそれが周知のことだったら、会場でブーイングが出てもおかしくなかったし、そもそもクリスはこんなジョークを言わなかったのではないだろうか。ウィルやジェイダにしても会場が反応してくれていたら、平手打ちをしようとまで思わなかったはずだ。

クリスはジェイダが脱毛症であることを本当に知らなかったのではないだろうか(クリスの弟もそう証言している)。であれば、これは事故である。
しかし、仮に事故だとしても、ウィルの平手打ちは許されないことだ。暴力でことばを封じることは断じてあってはならない。ウィルの暴挙に聴衆はしらけ、そのせいで栄誉あるアカデミー賞授賞式は台無しになりかけるところだった。
もし、クリスが暴力で応酬していたらどうだろう。壇上は修羅場と化して、アカデミー賞の歴史にぬぐいがたい汚点を残したに違いない。舞台裏には騒ぎを聞きつけて、警官がかけつけていたというから、クリスの対応次第では、ウィルは逮捕されるところだった。最優秀主演男優賞受賞者(ウィルが数時間後に受賞した)が、授賞直前に逮捕されるなんて、前代未聞のことだ。

しかし、幸いなことに、ウィルは逮捕されなかったし、授賞式も(多少混乱したかもしれないが)無事終了することができた。
クリスは、平手打ちのショックで司会を続けられるかどうか心配されたが、冷静さを保ってなんとか持ち直し、最後まで司会をやり通した。クリスが訴えなかったので、ウィルも逮捕を免れた。結果としてクリスはアカデミー賞とウィルの両方を守ったことになる。

ウィルは事の重大さを理解して、最優秀主演男優賞の受賞スピーチで、自らの暴挙を涙ながらに謝罪した。その後、アカデミー会員も辞任している。
つい最近になって、アカデミー賞を主催する全米映画芸術アカデミーの理事会が、ウィル・スミスの暴挙に採決を下した。それは「2022年4月8日からの10年間、スミス氏がアカデミーのイベントやプログラムに出席することを許可しない」というものだった。
最優秀主演男優賞は剥奪されなかった。10年間アカデミー賞授賞式に出席できないが、ノミネートは妨げられない。要するに、ウィルの暴力は決して認めないが、その才能は認め、今後もそれは閉ざさないということだろう。ウィルもこれを受け入れた。

ジェイダが脱毛症であることを知らなかったにしても、クリスがジェイダの心を傷つけたことは事実だ。しかしクリスはいまだ公式には謝罪していない(一度それらしきものがネット上で流布されたが、後にフェイクであることが判明している)。お互いに知らない仲でもないようだし、プライベートでは既にクリスは謝罪しているのではないかと私は思う。

今回の件でスタンダップ・コメディアン、クリス・ロックの知名度はがぜん向上した。このチャンスを生かさない手はない。悪かったことは素直に認めて謝罪し、さっさと気持ちを切り替えて、クリスは今、世間の期待を裏切らない、最も効果的な公式声明の出し方を考えているのではないだろうか。 了



*1 クリス・ロック(Chris Rock、1965年2月7日 - )は、アメリカ合衆国サウスカロライナ(アンドリュース)出身のスタンダップ・コメディアン、俳優。脚本家、プロデューサー、映画監督としても活動している。米コメディ専門チャンネル“コメディ・セントラル”が選ぶスタンダップ・コメディアンベスト5位。エミー賞3回、グラミー賞を3回受賞している(Wikipediaより)。(追記)スタンダップ・コメディアンとしてのクリス・ロックには、ネットフリックスで会うことができる(「タンブリン」という作品で通常版と拡大版がある)。自らの離婚体験や子育てなどをネタに聴衆に本音で語りかける芸風でその話術に思わず引き込まれてしまう(清流)。

*2 ウィル・スミス ウィラード・キャロル・スミス・ジュニア(Willard Carroll Smith Jr. 1968年9月25日 - )は、アメリカ合衆国の俳優、映画プロデューサー、ラッパー。ラッパーとしては「ザ・フレッシュ・プリンス(The Fresh Prince)」を名乗っていた。ジャンルを問わず出演作がメガヒットを放つ、アメリカを代表する「ドル箱俳優」のひとりである。身長188cm(Wikipediaより)。

*3 ジェイダ・ピンケット・スミス (Jada Koren Pinkett Smith, 1971年9月18日 - )は、アメリカ合衆国メリーランド州ボルティモア出身の女優である。小柄で、身長は152cmほど。インディアン、クレオール、アフリカ系アメリカ人、ユダヤ系ポルトガル人の家系に生まれる(Wikipediaより)。

*4Red Table Talk(レッド・テーブル・トーク) ジェイダ・スミス、ジェイダの娘で歌手・女優のウィロー・スミス、ジェイダの母親エイドリアン・バンフィールド・ノリスが出演するアメリカのトークショー。2018年5月7日にフェイスブック・ウオッチで初公開された。




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