コラム 「寄席à la carte(アラカルト)」
白滝清流(しらたきせいりゅう)氏 プロフィール

江戸文芸評論家。元新聞社勤務。寄席、落語、まつり、浮世絵、そばなど江戸の文化全般。 このコラムでは江戸人が生み出して育て、時代から時代へと引き継がれてきた寄席の魅力を、様々な角度から伝えたいと思っております。  
◎第一回 寄席でデート
 年に数回寄席に浸る日がある。
それがいつなのかは特に決めていないが、場所は新宿三丁目の末廣亭である。
 その日は昼の部開演から夜の部閉演までずっと寄席にいて、ほかのことはいっさいしない(末廣亭は特別興行を除いて昼夜入れ替えなし)。ランチを新宿三丁目界隈で済ませてから寄席に入り、以後ずっと中ですごす。夕食は売店で購入した助六寿司とペットボトルのお茶である。大半は笑い、ときどき泣いたり、感心したり、眠ったり。ゆったりした、癒しとリフレッシュのひとときである。

 長時間寄席にいると、いろんなお客さんに出会う。
一度、デート目的で末廣亭にやってきたカップルに遭遇したことがある。
男の方はセンスのよい、少し派手目のブランドもののジャケットをはおり、女の方もこれまたおしゃれなワンピース姿で、およそ寄席には似つかわしくないいでたちである。普段着がほとんどの聴衆の中では、否が応でも目立ってしまう。年のころは30代半ばくらいか。男は伊勢丹の大きな紙袋を下げていた。カップルは一階席最後尾の右端に座った。
同じ列にいたので会話が聞こえてくる。
「わあ、すご〜い。寄席って一度来てみたかったの。レトロな感じですてき!」
「たまにはこうゆうところもいいだろ。なかなか一人では来にくいからね」
なるほど、そうゆうことか。「たまには」の一言に、考えうるあらゆるデートスポットを制覇してきた自負と自信がにじみ出る。
サプライズはこれで終わらなかった。
男はおもむろに伊勢丹の袋に手を入れると、そこからワインボトルと2脚のワイングラスが出てきた。さらにおつまみの高級オードブルも。「乾杯しようか」
男の思惑はざっとこうゆうことだろう。
ワイン片手に寄席で古典落語に聴き入る。テーマは和洋折衷と、モダンとクラシックの融合、これである。未体験の空間は、きっと彼女を満足させるに違いない。すべてが順調に思えた。
ところが、である。 男がワインを注ごうとするまさにそのとき、末廣亭のお兄さんがやってきた。
そして(このふたりにとってだけであるが)無情な一言が放たれた。
「お客さん、ここは禁酒です」
寄席は禁酒なのである。男はそれを知らなかった。
酒を飲みながら寄席を楽しむなんて、誰もが考えそうなことだ。禁酒でなければ、酒を飲む客はほかにいてもいいはずである。いないのは、禁酒だからである。
では、なぜ禁酒なのか。
まず考えられるのは、酔っ払いに芸の邪魔をされたくないから。
酒の勢いで気の大きくなった客がヤジをとばしたり、ひどいときには舞台上に乱入したりしかねないことは容易に想像できる。けんかもありそうだ(一度飲酒した客が入場を断られて暴れているところを見たことがある)。
さらにやっかいなのは居眠りである。
そうでなくても気持ちよくなって眠ることがあるのに、酒が入ったらほぼまちがいなく熟睡してしまう。かつて、最前列で居眠りしていた客に、談志師匠が激怒したことがあったが、いびきがうるさいと噺家も聴衆も落語に集中できない。ひとりでもうるさいのに、何人も居眠りしていびきの大合唱になったら、これはもう芸を楽しむどころではなくなってしまう。
寄席では、酒ではなく芸に酔いたい。
目の覚めるような話芸にすっかり引き込まれてしまうことはよくあることだ。鳥肌が立つことだってある。そうゆうときは噺家も聴衆も一種の陶酔状態に陥る。
飲むのは寄席を出てからである。終了後に気の置けない仲間と一杯やりながら、寄席談義をするのは楽しい。
デートはこれではだめなのか。
残念ながらこのカップルはだめだった。
男の無知がばれて(むしろこちらの方が痛手だった)気まずい空気が流れる中、カップルは前座の落語を聞き終わると、夜の部の開演前にひっそりと末廣亭を後にしていた。

 寄席でデートするならまずは演芸を楽しむことを第一としたい。
映画館や劇場がレトロで味わい深いというだけで、デートに出かけたりはしないのと同じである。やはりそこで上演する作品や演目、演者を選んでから出かけるはずだ。
芸に酔いしれることができたら、ワインなど必要はない。
寄席でデートを考えているカップルには、これはと思う噺家や芸人の出演する日を特定してから出かけることをお勧めしたい。笑いと涙そして感動は、きっとふたりの絆を深めるに違いない。     次回につづく


*新宿・末廣亭 新宿末廣亭(suehirotei.com)




















▲定番の助六寿司








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