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【物価高騰の風刺凧】 1月2日
sibugaki
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2024-1-2 12:55
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大凧揚禁止令 1月2日弘化2年(1845)。
度重なる凧揚げ禁止の町触で下火になったかと思うと、そうではなく子どもより大人のほうが夢中になって様々な凧を揚げていた。
その絵の「子供遊凧あげくらべ」は、幕末動乱期の市場物価の高騰を揶揄している物価高騰の風刺絵。子供たちが揚げる凧には米や酒、水油、雑穀などの品名が書かれており、高く揚がっているほど物価が高騰していたことを示している。
絵>幕末の物価高騰の風刺画-「子供遊凧あげくらべ」歌川芳虎画
慶応元年(1865)貨幣博物館蔵
関連コラムはこちら>江戸言葉 月ごよみ「大人の凧揚げ」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=15
【明治神宮外苑】
sibugaki
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2024-1-2 12:58
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明治神宮の内苑が完成して今年で103年、外苑が完成してから97年が経った。
外苑の中心施設は、やはり聖徳記念絵画館であった。聖徳記念絵画館は、
普通の美術館とは違って、明治天皇の事歴を再現した絵画80枚が、
現在に至るまでそのまま展示され続けている。
写真>聖徳記念絵画館 (せいとくきねんかいがかん)
聖徳記念絵画館は、わが国最初期の美術館建築で、直線を強調した造形表現により、記念性の高い重厚な外観意匠を実現しており、高い価値が認められる。
鉄筋コンクリート造、建築面積2348.52平方メートル、地下1階、銅板葺。重要文化財指定(2011.06.20)(国指定文化財等データべースより)
詳細はコラムはこちら> 「江戸十万日 月日の鼠」
『明治神宮外苑はなぜつくられたのか(後編)』
http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/2023/12/
明治神宮外苑はなぜ創られたのだろうか?
sibugaki
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2023-12-6 5:46
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明治神宮(内苑)が完成したのは大正9年(1920)11月。外苑はその約6年後の大正15年(1926)10月に完成している。
明治天皇が亡くなったのが明治45年(1912)7月30日だから、内苑完成まで約八年、外苑まで約十四年が経過していた。明治神宮の祭神である明治天皇は、日本最初の立憲君主だった。立憲君主の死は、我が国にとって初めての経験だった。天皇の葬儀や陵墓についての法律も整備されていなかった。*2法律も先例もないこの事態にどう対処するべきか。新聞各紙には著名人の意見が多数寄せられ、多くの国民が新聞に投書して意見を述べたという。
写真>1926年に完成した神宮外苑の平面図。
詳細はこちら>> 「江戸十万日 月日の鼠」
『明治神宮外苑はなぜつくられたのか(前編)』
http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/
歌川広重「大橋あたけの夕立」の新解釈
sibugaki
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2023-12-6 5:44
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12月7日元禄6年(1693)新大橋架橋。
「名所江戸百景」の制作時と、天変地異の発生時期、ペリー来航を重ねると、 先行き不透明な世相の中に合って庶民を元気付けるため、
老骨に鞭打ち、 復興や 天下泰平の願いを込めて描いたと考えます。
絵>歌川広重筆 名所江戸百景 『大はしあたけの夕立』 江戸時代 安政4年(1857)
詳しくはこちら>武蔵國・江戸物語
歌川広重 「名所江戸百景」の新解釈
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo49.pdf
【日本橋初売】 正月2日の朝市
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2024-1-2 12:53
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江戸、正月2日の朝市でとくに賑わいを見せたのが魚河岸の初売。
朝市は絵にあるように大勢の買い物客であふれかえっていた。日本橋魚河岸の始まりは、江戸時代初期、徳川家は江戸城内の台所を賄うため大坂の佃村から漁師たちを呼び寄せ、 江戸湾内での漁業の特権を与えました。漁師たちは魚を幕府に納め、残りを日本橋で売るようになった。これが魚河岸の始まりと言われている。
日本橋の魚河岸は関東大震災の被害によって築地に移転されるまで、 江戸および東京の台所として活況を呈していた。
絵>橋本貞秀画「大江戸年中行事之内 正月二日日本橋初売」東京都中央図書館蔵
関連コラムはこちら>「江戸の正月風景」
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/
【江戸第一の梅の名木】 「臥龍梅 (がりょうばい)」
sibugaki
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2024-2-10 1:46
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>歌川広重画「名所江戸百景 梅屋敷」(国立国会図書館所蔵)
水戸光圀が命名したと伝えられ、梅の名所として江戸市中に知られ、数々の浮世絵、書物でも紹介されています。
『本所亀戸天満宮より三丁ほど東方にある、清香庵(せいきょうあん)喜右衛門の庭中に、臥龍梅と唱える名木がある。実に龍が横たわっている如くした形で、枝は垂れて地中に入ってまた地を離れ、いずれを幹とも枝とも定めがたいものである。匂いは蘭麝(らんじゃ)に負けずと張り合うほどで、花は薄紅色である。園中には梅の木が多いと言えども、この臥竜梅は殊に勝れた樹木である。四月の頃に至れば、実梅(みうめ)と号(な)づけて、人々はその詠めながめを楽しむ。』
「江戸名所花暦」(訳文は棚橋正博著 江戸の道楽から引用)
関連コラムはこちら>
・江戸ことば月ごよみ二月 「初卯と梅見」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/
【江戸第一の梅の名木】ゴッホは広重の模写から何をつかみ取ったのか?
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2024-2-10 1:59
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>ゴッホ画「花咲く梅の木」アムステルダム・ゴッホ美術館蔵
最初のコピーには、歌川広重の亀戸の梅の木の茶室を選びました。彼は構図を文字通りコピーしましたが、色をはるかに強く強調しました。彼は木の幹の黒と灰色を赤と青の色調に変えました。また、装飾的でエキゾチックな効果のために、日本の文字で2つのオレンジ色の装飾的な境界線を追加しました。
>ゴッホ画の「花咲く梅の木」を観る
油彩・キャンバス 55.6 cm x 46.8 cm
ゴッホ画「花咲く梅の木」アムステルダム・ゴッホ美術館蔵
https://www.vangoghmuseum.nl/nl/collectie/s0115V1962
内匠頭所縁の謝罪手土産の必須アイテム?「切腹最中」
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2023-12-6 5:20
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元禄14年3月24日に浅野内匠頭長矩が刃傷事件を起こし、浅野内匠頭は一ノ関藩田村右京太夫建顕の上屋敷に預けられ、綱吉により即日切腹が命じられ、田村邸の庭先にて腹を切った。
元は旧田村邸の敷地の一角で商売をしていた縁から「切腹最中」を平成2年より販売する。現在の新正堂は新橋4-27-2へ移転
写真>【新正堂の「切腹最中」:皿 ほしひかる作】
詳しくはこちら>小説「江戸人紀」
第四巻元禄武士道 別巻4:「忠臣蔵」を歩く
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd7/index.php?id=23
【初午(はつうま)】 二月初めの午の日を江戸中至る所で初午祭りを行っていた。
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2024-2-10 2:06
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「伊勢屋稲荷に犬の糞」 と言われるほど稲荷神社(町内毎の祠も含む)が多かった江戸、
町中至る所で初午祭りを行っていた。
>楊洲周延画(ヨウシュウ, チカノブ)『江戸風俗十二ヶ月之内 二月初午稲荷祭之図(ニガツ ハツウマ イナリサイ ノ ズ)』国立国会図書館所蔵
全国稲荷の総本社たる京都の伏見稲荷の祭神 「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」が降臨したのが二月初めの午の日だったからで 、二月初めの午の日を初午と称するようになった。
稲荷神社の「稲荷」は「稲生り」に由来するとされ、その年の豊作を予祝する意味の祭りといえる。
関連コラムはこちら>
・江戸の春の楽しみ〜「初午」と「桃の節句
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/
【明暦の大火】 1月18日
sibugaki
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2024-1-2 12:49
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1月18日明暦3年(1657)本郷丸山町の本妙寺より出火、江戸の4分の3が焼失し焼死者十万二千余人の大火。大火後に江戸の都市改造が行われ、御三家の屋敷や寺社が移転し、市区改正や架橋、防火線などの施策が実施された。
火事の多かった江戸の中でも特に3分の1以上を焼き、多数の死傷者を出した『明暦の大火』『明和の大火』『文化の大火』を江戸三大大火と呼ぶ。
絵>『江戸火事図巻』 田代幸春画 江戸東京博物館蔵
関連コラムはこちら>「江戸十万日 月日の鼠」
http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/2019/12/
【上巳の節句(桃の節句、雛祭り)】
sibugaki
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2024-3-4 1:02
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3月3日は、五節句の1つである上巳(じょうし)の節句で、「桃の節句」とも呼ばれます。中国の水辺での厄払いの風習と、日本の身を清める風習や人形を流す風習が混ざって生まれた祭りです。雛人形はこの人形が源流です。 江戸時代には、京都から江戸に広まり、雛市が立ちました。日本橋十軒店(じっけんだな)が有名で、『江戸名所図会』などに描かれています。江戸後期には、雛人形飾りが豪華になりました。 明治時代には、五節句の廃止で一時期衰退しましたが、明治半ばには復活しました。百貨店でも雛人形が売り出されました。 雛市で人形を買い、家で雛人形を飾る習慣は、今も続いています。
画像>
『江戸名所百人美女_十軒店』歌川豊国(三代)、歌川国久(二代)画 東京都立図書館蔵
内裏雛の前で雛人形の冠を持つ女性、コマ絵(右枠内の絵)には雛人形を売る十軒店の風景があります。十軒店は現在の中央区日本橋室町にあった町で、仮設のお店が10軒並んでいたから名付けられました。 江戸では雛市がいくつかありましたが、十軒店が一番盛況でした。十軒店の人形師・原舟月が作った古今雛は、現代の雛人形の元になりました。江戸時代には豪華な雛人形が禁止されるほど、様々な雛人形が作られました。
関連コラムはこちら>
・江戸の春の楽しみ 『初午」と「桃の節句』
>
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/
【打ちこわし】 1月25
sibugaki
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2024-1-2 12:48
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1月25日享保18年(1733)享保の打ちこわし。
江戸時代最初の打ちこわし。米不足と米価高騰が原因で庶民による米商人(高間伝兵衛)の家屋や米俵を破壊する暴動。」
1732年(享保17年)夏に起こった享保の大飢饉による米不足で米価が高騰した際、庶民の間で米価高の原因は徳川吉宗に協力し、米価の安定に尽力していた米商人の高間伝兵衛が米を買い占め、米価をつり上げようとしているという噂が立った。それに対し、幕府は米を供出するなどして米価を下げようとしたが失敗した。
絵>『幕末江戸市中騒動記』 東京国立博物館蔵
慶応2年(1866)江戸でおこった打ちこわしを描いた絵。
米屋を襲い、家屋を破壊、商品を台無しにする場面。
関連コラムはこちら> 江戸十万日 月日の鼠」
http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/2021/07/
【新着コラム】花見の季節。うきうきと浮かれる気分になるのは、江戸の頃からもおなじ
sibugaki
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2024-3-4 1:04
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花見の落語といえば、「花見酒」や「長屋の花見」、「花見の仇討(あだうち)」が頭に浮かぶ人もあろう。番頭さんが花見で、はめを外して旦那にばったり出会う「百年目」や、頭に桜の木が生えてくるナンセンス噺(ばなし)の「あたま山」を思い浮かべた人は、相当な落語通である・・・・・
コラムの続きはこちら>
・江戸言葉 月ごよみ『「花見酒」の経済』
>
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11
・画像>
『江戸名所図会 隅田川堤春景』長谷川雪旦画(一部) 国立国会図書館蔵
隅田川堤の花見の風景。堤いっぱいに広がって子どもたちや女性たちが歩いている。賑やかな声が聞こえてくるようだ。手前の一行の荷物には毛氈や角樽(つのだる)が見え、若い衆が弁当の包みを解いている。
コラムの続きはこちら>
・江戸言葉 月ごよみ『「花見酒」の経済』
>
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11
【日本橋】慶長8年(1603)3月3日 初めて日本橋架橋。
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2024-3-4 0:55
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関東に入府した家康は、 江戸を拠点とすることとし、江戸城を築きながら、 戦いに備えたインフラを築造します。 水と米と塩です。このため、水を江戸城に引くため神田上水が築造され、 近郊生産地確保のため 亀有にため池が造られ塩を運ぶために小名木川が開削されます。
さらに家康は、江戸を人流・物流の中心にするため、 日本橋を築造して五街道の起点とするとともに、 江戸湊を造成します。
画像>
・『江戸名所図会_日本橋』 国立国会図書館蔵
関連コラムはこちら>
・武蔵國・江戸物語『戦いに備えた江戸の最初のインフラ』
>
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo30.pdf
【江戸城無血開城】3月13日慶応4年(1868)勝安房・西郷隆盛、江戸城会場につき会談
sibugaki
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2024-3-4 0:59
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いよいよ、江戸城総攻撃が3月15日と決まり、事態は緊迫。その前日に、江戸の薩摩藩邸において、幕府側の勝海舟と新政府側の西郷隆盛の会談が行われ、交渉は無事成立。
こうして1868年4月11日、江戸城無血開城が実現しました。この会議に当って、勝海舟は、交渉決裂を想定し、 徹底抗戦に備え江戸焦土作戦を立てていました・・・・・
・画像>
勝・西郷血開城会見の碑 (東京都港区芝5-33-11 三菱自動車ビルの一角に存在) (細見撮影)
関連コラムはこちら>
・水都江戸-東京物語〜第一部武蔵國・江戸物語「No53 東京への改称 」
>
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo53.pdf
【江戸の見世物】 寛永4年(1851)この4月、浅草寺奥山に鯨の見世物
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2024-4-7 8:29
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日本人は舶来ものが大好きである。江戸時代には、ラクダ、ゾウ、ロバ、ヒョウなど、異国の動物が次々と日本にやってきている。そして珍獣の見世物として庶民に親しまれていた。
文政4年(1821)、長崎に雌雄一組の「らくだ」が輸入され、翌年から大坂・江戸で見世物として評判になった。
画像>
『和合駱駝之世界』(2巻)江南亭唐立作・歌川国安絵 文政8年(1825)国立国会図書館蔵
「和合駱駝之世界」は、江戸時代に浅草奥山と両国河岸で行われた見世物小屋の一つ。この興行は、駱駝をテーマにしたもので、人々にエキゾチックな体験を与えた。
関連コラムはこちら>
・江戸言葉 月ごよみ「らくだの見世物と落語」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/
【願人坊主(がんにんぼうず)】 取り締まりを受ける。
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2024-4-7 17:07
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4月26日享保14年(1729) 判じ物などで金銭をとる願人坊主が取り締まりを受ける。
願人坊主(がんにんぼうず)は、江戸時代に神仏への代参を生業(なりわい)としながら、日頃は門付芸(かどつけげい)を見せてお施せを求めていた日本の大道芸人。彼らはさまざまな芸を披露し、米や銭を乞うことで生計を立てていました。住吉踊りやかっぽれなどは、願人坊主によって諸国に広まりました。
画像> 絵本御伽品「鏡願人坊主」長谷川光信画 元文4年 (1739)国立国会図書館蔵
関連コラムはこちら>
・江戸の四季を彩る「物売り」
http://www.edoshitamachi.com/web/e/
・江戸から今に伝わる伝統芸能「大道芸」
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/
101 番〜 117 番を表示 (全 117 枚)
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