| 豊島区雑司ヶ谷作の花瓶が世界で激賞! sibugaki 2023-7-13 0:22 816 0
竹本焼は、明治初年から大正期にかけ旧旗本の竹本家3代(要斎・隼太・皐一)にわたって作った陶磁器です。窯と工場は神田川に近い竹本家の屋敷「含翠園」にありました。やきものに必要な水は敷地から湧き出る豊富な清水を利用し、土は瀬戸などから取り寄せたほか、地元雑司が谷や落合の粘土も使用していました。竹本焼はまさしく豊島区の水と土から生まれたやきものです。
写真はシカゴ・コロンブス万国博覧会出品(1893年) 『紫紅釉花瓶』(しこうゆうかびん) 竹本隼太作 東京国立博物館蔵
*詳細>神田川界隈物語 雑司ヶ谷物語〜豊島区の「水」と「土」から生まれた竹本焼 http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd6/
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| 富士山噴火が鎌倉幕府を創った? sibugaki 2023-7-13 0:22 310 0
富士山噴火が鎌倉幕府を創った?
平安遷都の6年後の800年 (延暦19) そして864年(貞観6) に、 富 士山が噴火。 噴火により、大量の火山灰が相模国に降り長期間かけ沿岸域の陸化を促進。 それを地域豪族が開拓し私領地化して力をつけてゆく・・・・・ [ 画像 : 宝永噴火を描いた古絵図(滝口文夫氏所蔵) ]
詳細はこちら> 水都江戸・東京物語〜「第一部「武蔵國・江戸物語」 No8. 富士山噴火が荘園化を加速! http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/
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| 飛ぶ宝石 渋柿 2017-2-19 21:57 944 0
「しぐれつつ翡翠翔(か)けて蘆(あし)に消ゆ」 水原秋桜子 撮影/衣斐啓 |
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| 飛ぶ宝石 渋柿 2017-2-19 21:59 937 0
「かんざしをよくも落とさぬ翡翠かな」 溝口素丸 撮影/衣斐啓 |
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| 幕末の物価騰貴の諷刺画。 sibugaki 2023-7-13 0:22 578 0
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| 幕末、慶応の打ちこわし sibugaki 2023-7-13 0:22 306 0
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| 朝靄に飛ぶ鶴 渋柿 2018-2-12 1:57 998 0
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| 赤穂事件の発端、江戸城・松之廊下刃傷の図 sibugaki 2023-7-13 0:22 585 0
元禄14年(1701)3月14日、勅使接待役の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、指南役の高家(こうけ)吉良上野介(きらこうずけのすけ)に切りつけた場面。 その後、浅野内匠頭は即日切腹、御家は断絶。元禄15年(1702)12月14日、浅野家家老・大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を含む赤穂浪士(四十七士)は元禄15年(1702)12月14日、吉良を討取り主君の無念を晴らす。天下泰平の世の中を騒がせた一連の事件は、赤穂事件と呼ばれる。
絵は忠雄義臣録 第三(ちゅうゆうぎしんろく だいさん)歌川豊国(うたがわとよくに/三世)画 弘化4年(1847)刊 (東京都立中央図書館蔵)
*関連コラム> 大掃除と忠臣蔵 江戸言葉 月ごよみ>十二月 「大掃除と忠臣蔵」 http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/
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| 池袋駅構内にあるフクロウの石像 「いけふくろう」 sibugaki 2023-7-13 0:22 581 0
>写真は待ち合わせ場所の定番となった「いけふくろう」の像。 (地下1階JR改札付近)
>駅の待合せ場所として、渋谷駅のハチ公、東京駅の銀の鈴、新宿駅のアルタ前などと共に定番になっている。 「いけふくろう」とは、「池袋」の地名はかつて湿地帯で池があり、そこに多くのふくろうが生息していたので 「池+ふくろう」で「池袋」となったという説に由来。 今は池袋のシンボル、フクロウのモニュメントとして池袋の各所に「いけふくろう」がいる。 昔から雑司が谷の「すすきみみずく」は、お土産や安産と子育てのお守りとして有名。 明治末期から大正にかけて「雑司ヶ谷の梟」のあだ名で呼ばれた人物がいた。 こよなく雑司が谷を愛した秋田雨雀で、仲間たちを呼び、鬼子母神境内の茶屋に文人や画家たちが参集した。
関連コラム>神田川界隈物語 こよなく雑司が谷を愛した秋田雨雀 http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd6/
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| 昔から、旅は道連れ二人旅! sibugaki 2023-7-13 0:22 799 0
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| 雪晴れ 渋柿 2018-2-12 1:58 1055 0
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| 5月15日、上野の山で戦争 sibugaki 2023-7-13 0:22 271 0
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| 4月11日明治元年(1868) 江戸城が開場 sibugaki 2023-7-13 0:22 338 0
4月11日明治元年(1868) 江戸城が開場
1867年(慶応) 11月9日、 大政奉還。 江戸城総攻撃が3月15日と決まり、事態は緊迫。 その前日に、江戸の薩摩藩邸において、幕府側の勝海舟と新政府側の西郷隆盛の会談が行われ、 交渉は無事成立。 こうして1868年4月11日、江戸城無血開城が実現しました。 この会議に当って、勝海舟は、交渉決裂を想定し、徹底抗戦に備え江戸焦土作戦を立てて・・・・・
画像 > 西郷・勝無血開城会見の碑 (東京都港区芝 5-33-11 三菱自動車ビルの一角に存在) ( 細見寛撮影)
関連コラムはこちら> ・水都江戸・東京物語り 第一部「武蔵國・江戸物語」≪東京への改称≫ http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo53.pdf
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| 3月3日、日本橋架橋 今年420年。 sibugaki 2023-7-13 0:22 261 0
慶長8年(1603)3月3日、 家康はどうして、日本橋をかけのか? 関東に入府した家康は、 江戸を拠点とすることとし、江戸城を築きながら、 戦いに備えたインフラを築造します。 水と米と塩です。 家康は、江戸を人流物流の中心にするため、 日本橋を築造して五街道の起点 とするとともに、 江戸湊を造成し・・・・・ 詳細はこちら> 「武蔵國・江戸物語」戦いに備えた江戸の最初のインフラ http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo30.pdf
画像 : 歌川豊広「江戸八景 日本橋清風」1790年代(ボストン美術館蔵)
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