デジタル化と国際化は加速し、そこに近年の新型コロナによるパンデミックが加わって、今や世の中の仕組み自体が大きく変わろうとしている。封建主義と民主主義との違いはあるが、ともに転換期の時代であるという点で、文化文政時代と現代は似ていなくもない。
*詳細は>江戸十万日 月日の鼠 第十八回「実正の侍は十人に二、三人ならんか覚束なし」
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江戸の時間と時計の話、
時の鐘で生活するのは時計を持たない下層町人だけで、奉公人のいる商家では置時計や柱時計があった。黄表紙(きびょうし)などには、時計が家具としてよく描かれている。時がくると時計の頭に備え付けの鐘を金属棒が叩くようになっていて、ギィーガチャンと鳴る仕掛けだ。
*詳細は>コラム 江戸言葉 月ごよみ 「江戸の時計と季節 」
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豊島区の水と土から生まれた焼き物「竹本焼」。
三代の栄枯盛衰記
*詳細は>神田川界隈物語 雑司ヶ谷物語〜隼太から三代目・皐一へ 竹本焼の終焉
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徳川幕府が開かれて213年、明治維新の52年前の文化13年(1816年)に書かれた「世事見聞録。町人文化全盛の時代に、なぜ国家が衰退していると著者が考えたのかについて考察する。
*詳細は>「江戸十万日 月日の鼠」第十七回 「花を咲かせるやうに見えて根本は衰ふるなり」
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親しかった人などに無愛想で相手にされなかったりすると、「にべもない」態度だったと今日でも言うが、この「にべ」というのは、「ニベ」という魚のことである。
漢字では「鮸」とも「鮸膠・鰾膠」とも書く。
*詳細は>コラム 江戸言葉 月ごよみ 「「にべもない」
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旧暦では7月、8月、9月が秋の季節ということで、真ん中の8月の月であることから仲秋(中秋)の名月と呼びならわした。
旧暦の9月13夜の月も名月と呼ぶ。これは別名「栗名月」。とれた栗を月に供える風習が江戸時代からあり、それに対して仲秋の名月は別名「芋(いも)名月」
*詳細>コラム 江戸言葉 月ごよみ 「名月」
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高田1丁目の坂(日無坂)の途中西側あたりで、明治6年、ここに含翠園を再興した隼太は西欧の技術を積極的に導入する。
辰砂(赤色) や蕎麦釉など釉薬の開発にも力を注ぐ。その後国内外の博覧会で高い評価をえる。
*詳細>神田川界隈物語 雑司ヶ谷物語〜「豊島の土」を美術品として海外へ送り出した竹本隼太
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「芝浜」の単なるオマージュや、パロディではない。むしろ「芝浜」を現代風にアレンジしたのが「芝カマ」である。
それは名演奏者が古典的な名曲を大胆にアレンジ(編曲)して、原曲にはなかった新しい価値を生み出すのに似ている
*「寄席à la carte(アラカルト)」「柳家喬太郎の『芝カマ』で考えたこと」
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江戸の戯作者(げさくしゃ)十返舎一九(じっぺんしゃいっく) のベストセラー『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』に登場する主人公、弥次郎兵衛(やじろべえ)・北八のこと。「弥次さん・北さん」という言葉は、この作品が生まれてから200年も生きている。
*詳細>コラム 江戸言葉 月ごよみ 「弥次さん北さん 」
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川柳ご愛好家の皆様へ !『誹風柳多留』の篇数刊行年を中心に纏めました。
*詳細>http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd8/PDF/nenpyo20210801.pdf