投稿者: 江戸 渋 投稿日時: 2021-2-15 2:08:44 (412 ヒット)

明治維新のとき著者(鹿島萬兵衛)は二十歳であり、本書(江戸の夕栄)は薄れゆく
江戸の面影を後世に伝えるべく書き綴られた貴重な記録を紹介。

詳細>コラム「もうひとつの火事の話」
http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/


投稿者: 江戸 渋 投稿日時: 2021-2-15 1:05:36 (405 ヒット)

「べらぼうに・・・」の言い方は江戸時代に既にされていた表現で
落語のマクラなどで紹介する語源説等など詳しく紹介。

詳細>江戸ことば月ごよみ 「べらぼうめ」と「べらんめえ」について
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=5


投稿者: 江戸 渋 投稿日時: 2021-2-15 1:04:38 (376 ヒット)

神田川の渡河点(とかてん)に成立した豊島区内で最も早い時期の町場(まちば)であり、高田という地名から「高田宿」と呼ばれた。
詳細>神田川界隈物語「鎌倉街道高田宿 〜神田川の渡河点に宿が存在していた!
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd6/


投稿者: 江戸 渋 投稿日時: 2021-2-15 0:59:00 (368 ヒット)

商売をする人たちは「二八(にっぱち)」と言って、2月と8月は商売にならないと嫌う。江戸時代の2月については、現代事情と少し様相を違えていた。そのわけを詳しく紹介。
詳細>江戸ことば月ごよみ 「二八(にっぱち)と品川遊郭」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=5


投稿者: 江戸 渋 投稿日時: 2021-1-8 4:32:24 (472 ヒット)

江戸時代、めったに見られない一面の銀世界となった江戸の名所を愛(め)でる風流人たちもいて、隅田川へ雪見舟を漕(こ)ぎ出し、仲間で向島や浅草の雪景色を望んだあと、川を下って深川の茶屋街へ出向いて雪見酒と洒落ていた。

詳細>江戸ことば月ごよみ 「江戸の大雪」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/


投稿者: 江戸 渋 投稿日時: 2021-1-8 4:30:59 (372 ヒット)

江戸時代、年賀の挨拶回りに欠かせなかったのは、名前と屋号などを書いた(印刷した)細長い札(「名札」(なふだ))。明治時代になると、古来「名刺」と呼ばれていた自己紹介の風習と、年始回りに使った名札とが合体し「名刺」に統一された。

詳細>江戸ことば月ごよみ 「旧正月と名刺」 
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/


投稿者: 江戸 渋 投稿日時: 2021-1-2 17:56:00 (490 ヒット)

 江戸時代には、餅を搗く「賃餅屋(ちんもちや)」という商売があった。お客さんの自宅を回って搗く形もあったし、搗いた餅を届ける店もあった。そして、餅の値段は目方(重さ)によって付けられていた。
 井原西鶴(さいかく)の『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』(元禄元年〈1688〉刊。巻2ノ1)には、この賃餅にまつわる吝嗇(りんしょく)な男の話が書かれている。

詳細>江戸ことば月ごよみ 正月の餅 「賃餅屋(ちんもちや)」を讀む
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=15


投稿者: 江戸 渋 投稿日時: 2021-1-2 16:58:08 (511 ヒット)

広重が江戸の有名料理茶屋を描いたシリーズもの錦絵「江戸高名会亭尽 雑司ケ谷之図」 (えどこうめいかいていづくし ぞうしがやのず)
(制作年代/江戸時代 天保6〜13年頃 1835〜1842年頃)
芝神明の火消し「め組」と角力小屋の力士との大喧嘩で有名な 「め組の喧嘩」の手打ち式が行われたことも知られている「茗荷屋」も描かれている。

詳細>神田川界隈物語「想像に及ばない 〜『鬼子母神』参道門前茶屋の繁盛ぶり !」を読む
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd6/


投稿者: 江戸 渋 投稿日時: 2021-1-2 16:58:00 (423 ヒット)

「寄席」の楽しみ方は十人十色。好きな芸人の話を聞く、笑いを求めて、ゆっくり時間をすごす などなど。昨今は「趣味コン」で寄席を利用するケースも増えている。
今回は寄席でのデート場面を紹介。

詳細>コラム 「寄席à la carte(アラカルト)」を讀む
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd8/




投稿者: 江戸 渋 投稿日時: 2021-1-2 16:53:00 (371 ヒット)

 江戸の町内に一軒か二軒あった湯屋は、正月元旦から営業していた。「初湯」に入る老若男女が訪れてにぎわっていた。
 正月三が日は、女湯では、板の間に茶釜を据えて大福茶(おおぶくちゃ)を振る舞い、男湯のほうは、男湯だけにあった二階で大福茶を振る舞った。そして、11日の鏡開きの日には、二階で鏡餅の入った雑煮や汁粉に舌鼓を打つ馴染(なじ)みの男の客もいた。
 正月の三が日と七草(7日)、11日の鏡開きは、湯屋でも特別な日という意味の「紋日・物日(もんび・ものび)」であった。紋日・物日には、客は普段の湯銭に2文(もん)足した金をお捻りにして番台に置いた。寛政6年(1794)からは湯銭は10文となり、2文高い12文をお捻りにした。
古典落語の演目の一つ「湯屋番」がその面影を伝える。

詳細>江戸ことば月ごよみ一月「湯屋の正月」を讀む
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/


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