投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-1-1 19:04:55 (51 ヒット)

外苑の中心施設は、やはり聖徳記念絵画館であった。聖徳記念絵画館は、
普通の美術館とは違って、明治天皇の事歴を再現した絵画80枚が、
現在に至るまでそのまま展示され続けている。 

詳細はこちら>> 「江戸十万日 月日の鼠」
『明治神宮外苑はなぜつくられたのか(後編)』
http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/2023/12/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-1-1 19:02:32 (52 ヒット)

度重なる凧揚げ禁止の町触で下火になったかと思うと、そうではなく、子どもより大人のほうが夢中になって揚げるようになっていた。凧が空高く上がる様子を天に昇る隆盛で商売繁昌と見立て、縁起物として凧揚げを楽しんだ。

コラム 江戸言葉 月ごよみ「大人の凧揚げ」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=15


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2023-12-3 18:14:27 (57 ヒット)

明治天皇が亡くなったのが明治45年(1912)7月30日だから、内苑完成まで約八年、外苑まで約十四年が経過していた。
明治神宮の祭神である明治天皇は、日本最初の立憲君主だった。立憲君主の死は、我が国にとって初めての経験だった。天皇の葬儀や陵墓についての法律も整備されていなかった。法律も先例もないこの事態にどう対処するべきか。新聞各紙には著名人の意見が多数寄せられ、多くの国民が新聞に投書して意見を述べたという。

詳細はこちら>> 「江戸十万日 月日の鼠」
『明治神宮外苑はなぜつくられたのか(前編)』
http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2023-12-3 18:11:56 (62 ヒット)

江戸時代の大福餅は、「福」を呼ぶめでたい名前の餅にして、お祝いに使ったり、
冬には餅を温かくして売ったりした。街中を売り歩くか、簡単な屋台店で売られていた大福は、ひとつ四文(もん)が相場であった。

詳細はこちら>> 「江戸ことば 月ごよみ」
生活とお金の話 『大福と才蔵市』
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=16


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2023-12-3 18:10:14 (52 ヒット)

小田原征伐で八王子城、世田谷城を攻め落とした前田利家が、雑司ヶ谷の法明寺に引き上げて、軍を休めたその縁からか、東陽坊(大行院と改称し、その後法明寺に合併)の建立がなったのだろう。 小田原を征圧した翌年、天正19 (1591)年頃であろうと思われる。

詳細はこちら>> 「神田川界隈物語」
『大行院」』(雑司ヶ谷)を寄進した前田利家』
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd6/index.php?id=47


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2023-11-5 0:08:49 (89 ヒット)

実効のあがる経済政策の舵取りはなかなか難しい。
なぜ経済活動のことを「景気」と書くのだろうか。
中国の「経紀(けいき)」(生活、商売する、売買の仲立人、旅商いする人の意味)という語が日本に渡ってきて、その「経紀」が「景気」という漢字と混用されたという、江戸時代からある説がどうも正しいようで・・・・・

〇コラム 「景気」と「経済」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=16


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2023-11-5 0:07:21 (74 ヒット)

11月23日宝永4年(1707)宝永の富士山大噴火。富士山が噴火し、
江戸市中に灰が雪のように降り積もった。その復旧・復活事業で活躍した人物伝。
 
関連コラムはこちら>
〇コラム 「富士山噴火の復興で、神様になった伊奈忠順」
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo39.pdf


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2023-11-5 0:06:02 (71 ヒット)

酉の市は、11月の酉の日に行われる鷲(おおとり)神社の祭礼で、江戸時代に盛んになった。年末の商家では、酉(とり)の市(いち)で熊手(くまで)を買い替えて、歳(とし)の市で迎春の縁起物を買い揃える。どちらも年の瀬の風物詩として今も行われている。

関連コラムはこちら> 
〇コラム 年の瀬の風物詩「酉の市」と「熊手」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=12


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2023-11-5 0:04:05 (91 ヒット)

11月8日享保7年 (1722)出版物取り締まり令がでて、幕末まで出版取締令の基本法となる。
山東京伝は出版禁止令に抵触したかどで入牢させられ、町奉行から「手鎖」50日の刑を申し渡された。京伝は錠前が掛けられた「手鎖」で手を束縛され、50日間自宅謹慎。錠前に封印紙が貼られ、5日ごとに与力・同心が封印を確認に来ていた・・・・・
関連コラムはこちら>
〇コラム「手鎖は「てじょう」と読む!
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=10


投稿者: 江戸 渋 投稿日時: 2023-9-6 17:08:27 (138 ヒット)

わざわざ飛脚屋(ひきゃくや)まで足を運んで頼まなければならなかった。
送り先が遠ければ、飛脚が走って届けるだけに日数もかかり料金は高くなるなど、料金は距離によってまちまちだった。
でも、当時としては私信を届けてもらう唯一の手段だったのだから、飛脚に頼らざるを得なかったわけである。


関連コラムはこちら> 
江戸言葉 お金の話 「先払い」と「着払い」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=16