投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-7-2 15:56:23 (33 ヒット)

【新着コラム】

お盆休みには「地獄の釜の蓋(ふた)が開く」と言った。地獄で罪障(ざいしょう)を犯した者を裁く閻魔様も、休暇をとることになるだろうと見立てたところから生まれた言葉だった。と言っても、本物の閻魔様は、あの世の地獄にいて、六道(ろくどう)の辻から地獄へ行かないと逢えないわけだが。その閻魔様を祀(まつ)った閻魔堂は江戸のあちこちのお寺にあり、幕末成立の『東都歳事記(とうとさいじき)』によれば66箇所だったというから、閻魔堂を巡る閻魔様もなかなか忙しかったようである。

関連コラムはこちら>
・江戸言葉 月ごよみ『地獄とエンマ様』
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/

画像はこちら>
・ 『地獄極楽図』河鍋暁斎画 東京国立博物館蔵
 http://www.edoshitamachi.com/modules/myalbum/photo.php?lid=782&cid=50


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-6-5 15:20:30 (77 ヒット)

いま、江戸野菜に注目されている。
江戸時代の大根といえば「練馬大根」が有名であが、
雑司ヶ谷産の巨大根(長さ30センチあまり、胴回り45センチあま)が
珍重され大奥へ毎年冬の時期に届けられた。

雑司が谷 いろはかるた 絵と文: 矢島勝昭
(ね) 練馬(ねりま)をしのぐ巨大根献上(きょだいこんけんじょう)
画像を見る> http://www.edoshitamachi.com/modules/myalbum/photo.php?lid=778&cid=50

関連コラムはこちら
>神田川界隈物語
・『地域特産の「大だいこん」は冬期に大奥へ献上』
 http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd6/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-6-5 14:43:42 (76 ヒット)


*『熈代勝覧』絵巻
文化2年(1805年)頃、江戸最大の繁華街-日本橋通を今川橋から日本橋を描いた「熈代勝覧」(きだいしょうらん)照覧絵巻。(縦43.7cm、横1232.2cm/人物:1671名/犬:20匹/馬:13頭/牛:4頭/猿:1匹/鷹:2羽/店舗:89店描画 / べルリン東洋美術館蔵)

天明6年(1786)、江戸の町人だけで100万人を超えていたという。それから5年後の寛政3年(1791)の江戸の人口調査では、江戸の武士は「2億3600万人余」居住していたとされる。現在の日本の人口より多いではないかと驚かれるだろうが、その心配は・・・

画像はこちら
>『熈代勝覧』絵巻_日本橋北詰絵
http://www.edoshitamachi.com/modules/myalbum/photo.php?lid=777&cid=50

関連コラムはこちら
>江戸ことば月ごよみ『百川と百万都市・江戸』
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=7

関連情報はこちら
>水都江戸・東京物語『江戸時代の歴史人口が語るもの』

http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo36.pdf


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-5-5 15:18:05 (93 ヒット)

幕府は、性描写に関する出版物の製作刊行については、幕末まで大らかに黙認していたのである。出版取締令によって取り締まられた「好色本」とは、色街などを舞台に社会風俗を乱すような淫(みだ)らな小説の謂(いい)であった。

関連コラムはこちら>
・江戸言葉 月ごよみ 「春画と春本」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-3-31 12:33:13 (124 ヒット)

日本人は舶来ものが大好きである。江戸時代には、ラクダ、ゾウ、ロバ、ヒョウなど、異国の動物が次々と日本にやってきている。そして珍獣の見世物として庶民に親しまれていた。
文政4年(1821)、長崎に雌雄一組の「らくだ」が輸入され、翌年から大坂・江戸で見世物として評判になった。

関連コラムはこちら>
・江戸言葉 月ごよみ「らくだの見世物と落語」
  http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-3-11 3:20:29 (114 ヒット)

花見の落語といえば、「花見酒」や「長屋の花見」、「花見の仇討(あだうち)」が頭に浮かぶ人もあろう。番頭さんが花見で、はめを外して旦那にばったり出会う「百年目」や、頭に桜の木が生えてくるナンセンス噺(ばなし)の「あたま山」を思い浮かべた人は、相当な落語通である・・・・・

コラムの続きはこちら>
・江戸言葉 月ごよみ『「花見酒」の経済

  >http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-1-1 19:04:55 (153 ヒット)

外苑の中心施設は、やはり聖徳記念絵画館であった。聖徳記念絵画館は、
普通の美術館とは違って、明治天皇の事歴を再現した絵画80枚が、
現在に至るまでそのまま展示され続けている。 

詳細はこちら>> 「江戸十万日 月日の鼠」
『明治神宮外苑はなぜつくられたのか(後編)』
http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/2023/12/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-1-1 19:02:32 (136 ヒット)

度重なる凧揚げ禁止の町触で下火になったかと思うと、そうではなく、子どもより大人のほうが夢中になって揚げるようになっていた。凧が空高く上がる様子を天に昇る隆盛で商売繁昌と見立て、縁起物として凧揚げを楽しんだ。

コラム 江戸言葉 月ごよみ「大人の凧揚げ」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=15


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2023-12-3 18:14:27 (117 ヒット)

明治天皇が亡くなったのが明治45年(1912)7月30日だから、内苑完成まで約八年、外苑まで約十四年が経過していた。
明治神宮の祭神である明治天皇は、日本最初の立憲君主だった。立憲君主の死は、我が国にとって初めての経験だった。天皇の葬儀や陵墓についての法律も整備されていなかった。法律も先例もないこの事態にどう対処するべきか。新聞各紙には著名人の意見が多数寄せられ、多くの国民が新聞に投書して意見を述べたという。

詳細はこちら>> 「江戸十万日 月日の鼠」
『明治神宮外苑はなぜつくられたのか(前編)』
http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2023-12-3 18:11:56 (129 ヒット)

江戸時代の大福餅は、「福」を呼ぶめでたい名前の餅にして、お祝いに使ったり、
冬には餅を温かくして売ったりした。街中を売り歩くか、簡単な屋台店で売られていた大福は、ひとつ四文(もん)が相場であった。

詳細はこちら>> 「江戸ことば 月ごよみ」
生活とお金の話 『大福と才蔵市』
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=16


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