◎第二回 ここだけの笑い
噺家は本編に入る前にちょっとした前振りの話をする。これを「枕」話と言う。「枕」は噺家と聴衆の距離を縮め、聴衆はス
ムーズに落語の世界へと誘われる。

 「枕」は世間で注目されている話題をネタにすることが多い。勉強熱心な噺家は政治、経済や国際問題など幅広い分野
から話題をひろい、おもしろおかしい話に仕立て上げて楽しませてくれる。本編が古典落語の場合には、イメージがわきや
すいように、現代に置き換えた小噺をすることもある。それは聴衆が古典落語を理解するための助けになる。

この「枕」が抜群におもしろい噺家がいる。故立川談志師匠や柳家小三治師匠、最近では柳家喬太郎師匠など、あまり
のおもしろさに、もう本編はいいからこのままずっと「枕」を続けてくれ、とさえ思ったりする。独演会に行きたいと思う噺家は
ほぼ「枕」の名人である。
だが、この「枕」を聞いていて、ときどきドキッとさせられることがある。おもしろくてつい笑ってしまうのだが、次の一瞬「あ
れ、これ笑っていいのかな、この噺家さんこんなこと言っちゃって大丈夫」と思ってしまう、そんなネタである。放映や録音、
録画をしていないから、まさに「いまここだけ」の笑いである。

おもしろくて大笑いしながらも、ちょっとスリリングな感じ、それはいわば「ぎりぎりすれすれ」の笑いである。それは洒落が
わかってくれる客の前でしか話せないような微妙なネタである。洒落が通じないと、しらけるか、最悪の場合、怒らせてしまう、
そんなネタである。噺家は聴衆を見渡して「今日の客はこのネタを披露しても大丈夫そうだな」と思ってから話している節が
ある。けっして批判を恐れない確信犯ではない(故立川談志師匠は除く)。
「ぎりぎりすれすれの笑い」は、そのときたまたまい合わせた聴衆に限定された笑いである。例を出して説明したいのだが、
そもそも「ぎりぎりすれすれの笑い」は文字だけでは表せない笑いである。文字だけで表現するとその微妙なニュアンスが
伝わらず誤解を生む可能性が大である。「ぎりぎりすれすれの笑い」は噺家の話術や表情、身振り手振り、そして聴衆の反
応なども含めてようやく伝わる「笑い」なのである。

とはいえ、洒落がわかる聴衆の前だったら何でも話していいのか、といえばどうもそうではない。そこにまったくルールが
ないわけではないのである。
噺家にとって寄席の高座は、話術を芸術にまで高めてきた先達が築きあげてきた、いわば聖域であり修行の場である。
どんなにおもしろくても最低限の品位を失ってはならないのである。
さらに、聴衆の共感しないネタはダメである。「まあ、声に出しては言えないけれど確かにそうだよね」という話でないと笑
いにならない。本音では共感しているのだけれど建前上声に出して言うのははばかられるような話。それを噺家が笑いにく
るんで代わりに言ってくれたとき、聴衆は大笑いしながら同時にスカッとするわけである。共感がなければこうはいかない。
共感をえるために、噺家は常に庶民の目線でものごとを見ていなければならない。

政治家や役人は、庶民が何を考えているか知りたければ寄席に行けばいい。運が良ければ「ここだけの笑い」が庶民の
本音を教えてくれるはずだ。もし笑えなかったり、腹が立ったりしたら、その政治家や役人は庶民感覚からずれている可能
性があるので要注意である。

ちなみに「落語を楽しみ、学ぶ国会議員の会(落語議連)」(会長 遠藤利明元五輪相)が2018年に自民党有志国会議員
によって設立されている。参加しているのは小泉進次郎議員をはじめ落語鑑賞を趣味とする国会議員20数名だ(今はもっと
増えているかもしれない)。その設立趣旨は「落語鑑賞を通じて寄席文化の継承を目指す」だそうである。吉田茂宰相をはじ
め寄席好きの政治家はこれまでもたくさんいたと思うが、「寄席文化の継承」なんて考えていなかったのではないか。ここは
むしろ「落語鑑賞を通じて庶民とのずれを修正するための議員の会」の発足を望みたい。ただし、客席に議員がたくさんいると
噺家は「ここだけの笑い」を話しにくくなるので、議員の皆さんは大勢で押しかけるのはやめましょう。    次回につづく       


△明治時代の寄席絵 江戸博所蔵


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