投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2021-8-1 17:14:25 (410 ヒット)

竹本焼は、明治初年から大正期にかけ旧旗本の竹本家3代(要斎・隼太・皐一)にわたって作った陶磁器です。窯と工場は神田川に近い竹本家の屋敷「含翠園」にありました。やきものに必要な水は敷地から湧き出る豊富な清水を利用し、土は瀬戸などから取り寄せたほか、地元雑司が谷や落合の粘土も使用していました。竹本焼はまさしく豊島区の水と土から生まれたやきものです。

*詳細>神田川界隈物語 雑司ヶ谷物語〜豊島区の「水」と「土」から生まれた竹本焼
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投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2021-8-1 17:12:57 (409 ヒット)

犬と江戸時代といえば、即座に「犬公方(いぬくぼう)」こと五代将軍徳川綱吉(つなよし)を想起する人が多かろう。悪名高い「生類憐(しょうるいあわれ)みの令」を思い浮かべるからで、「生類憐みの令」は貞享2年(1685)からはじまるとされ、将軍が通るときに犬・猫がいても構わないという町触(まちぶ)れを発端に、やがて牛・馬にまで拡大し、次第に犬の保護に力を入れるようになった。
  武蔵国(むさしのくに)中野村(現在の東京都中野区)に約30万坪の保護区をつくり、江戸市中の野良犬10万匹を保護するにいたり、綱吉の生母桂昌院(けいしょういん)が戌年生まれだから犬を保護するのだとの孝行談もうまれて、「生類憐みの令」が江戸市民の怨嗟(えんさ)の的(まと)となる。

*詳細>コラム 江戸言葉 月ごよみ 江戸の「狆」ブーム
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投稿者: 江戸 渋 投稿日時: 2021-7-7 5:14:00 (395 ヒット)

寄席に行くなら余一会(よいちかい)をチェック!

1年中落語がある寄席は、東京では新宿末廣亭、上野鈴本演芸場、池袋演芸場、浅草演芸ホールの4か所。
これらの寄席は、1ヶ月を3分し。1日から10日が上席(かみせき)、11日から20日が中席(なかせき)、21日から30日が下席(しもせき)と呼ばれる。
31日のある月はその日だけ特別興行をおこない、これが余一会(よいちかい)という。独演会や二人会など多いが、時々、普段見られないような特別企画に出合うこともある。

*詳細>コラム 「寄席à la carte(アラカルト)」
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投稿者: 江戸 渋 投稿日時: 2021-7-7 5:11:18 (359 ヒット)

もともと宮中の女御(にょうご)の年中行事だった七夕は、江戸時代、幕府の大奥や大名などの奥向きで流行し、それがしだいに民間に広まっていったといわれる。
江戸市中では、七夕が近くなると、笹竹(ささたけ)売りや短冊(たんざく)売りが町中を売り歩き、夏の風物詩となっていた。
寺子屋では、寺子たちが書道上達の願いを短冊に書いて笹竹に結わえたものだった。

*詳細>コラム 江戸言葉 月ごよみ 「七夕」
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