投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2023-12-3 18:17:29 (73 ヒット)

歌川広重は、70歳近い1856年 (安政3) から、1858年(安 政5)にかけて、「名所江戸百景」を制作します。この百景の中に、ゴッホが模写した傑作の一枚があります。 それが、1857年 (安政4)に制作された 「大 はしあたけの夕立」です。 絵の設定が、なぜ夕方の雨なのかなぜ大はし(新大 橋)なのか、推論しましょう。

関連コラムはこちら> 「第一部 「武蔵國・江戸物語」」
No49 歌川広重「名所江戸百景」の新解釈
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo49.pdf


投稿者: 江戸 渋 投稿日時: 2023-9-6 17:04:34 (162 ヒット)

江戸の範囲は支配向きにより、町奉行支配場,江戸払御構場所・寺社勧化場・札懸場など独自に設定・解釈されていたが、19世紀になると江 戸町支配には,その範囲の確定が不可欠になってくる。
1818年 (文政元)8月14日、目付牧野義珍から御府内の範囲に関して伺いが立てられて、寺社勧化場と札懸場にほぼ相当する境界に朱線が引かれ,正式な江戸の範囲と定められた。
                      「江戸東京年表」小学館より引用

関連コラムはこちら> 
コラム 江戸十万日 月日の鼠「江戸下町は文化創造センターだった」
http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/2021/04/


投稿者: 江戸 渋 投稿日時: 2023-9-6 17:02:49 (162 ヒット)

江戸型山車の最大の特徴は、徳川将軍の上覧に際し、江戸城門をくぐるために最上部の人形が上下するカラクリを備えている。城門をくぐる際に人形をさげ、くぐり抜けた後に人形を上げていた。
明治以降、「天下祭」が廃絶すると山車は衰退の一歩をたどり、関東大震災・東京大空襲が都心部を襲い、徐々にその姿を消したが赤坂氷川神社に9台現存。

関連情報はこちら> 
・「江戸山車」について NPO法人赤坂氷川山車保存会
https://www.hikawadashi.or.jp/

・コラム 江戸言葉 月ごよみ「山王祭と喧嘩」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=7


投稿者: 江戸 渋 投稿日時: 2023-9-6 16:58:56 (134 ヒット)

中国では奇数を陽数、偶数を陰数と考えて、その陽数の最大数である「9」が重なる日を佳節(かせつ)として「菊花節(きっかせつ)」と呼び祝ったのが発祥。

江戸の庶民のあいだでは、9月9日のことを「後(のち)の雛祭り」と呼んで、3月3日の雛祭りのように、雛人形を飾って祝う風習があった。おそらく、3×3=9ということで、桃の節句と重陽の節句を重ね合わせたものだろう。

関連コラムはこちら> 
江戸言葉 月ごよみ 「重陽(ちょうよう)の節句」
  ・http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=10


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