氏子>神田・日本橋・大手町・丸の内を含む108ヶ町会(200基)
日程 >
5月8日(木) 午後7時 鳳輦神輿遷座祭
5月9日(金) 夕刻 氏子町会神輿神霊入れ
5月10日(土) 終日 神 幸 祭 (神田、日本橋、大手・丸の内、秋葉原巡行)
5月10日(土) 午後3時頃〜 附け祭
5月10日(土) 終日 神幸祭神輿宮入
5月11日(日) 終日 神輿宮入
5月14日(水) 午前11時 表千家家元奉仕献茶式
5月14日(水) 午後5時30分 会場 明神能・幽玄の花(金剛流薪能)
5月15日(木) 午後2時 例 大 祭
大神輿渡御>
平成16年より大神輿渡御は、氏子の百八町会を三ブロックに分けて実施。
神田第1ブロック。 [神保町、猿楽町地区・神田公園地区・中神田13ケ町連合・神田駅東地区・大手町、丸の内地区]
神田第2ブロック。 [外神田連合・秋葉原東部地区連合・岩本町、東神田地区連合]
日本橋ブロック。 東日本橋、馬喰町、横山町、浜町、中洲、 蛎殻町、人形町、大伝馬町、室町、本町地区の受け持ちで渡御が実施される。
本祭りは江戸三大祭りの神田祭りで、宮神輿三基の神幸祭と町会神輿の連合宮入。
宮神輿>
本祭りの年は宮神輿(座寸法4尺1寸、平成10年製作)を担ぐ大神輿渡御。
一之宮:延軒屋根・平屋台造り 瓔珞と錺は京風 祭神:大己貴命 建造年度:昭和27年
*大己貴命(おおなむちのみこと:だいこく様。縁結びの神様。別名:大国主命(おおくにぬしのみこと)
二之宮:延軒屋根・平屋台造り 祭神:少彦名命 台座:三尺建造年度:昭和48年 製作者:下谷・種田豊次郎 *少彦名命 (すくなひこなのみこと:えびす様。商売繁昌の神様)
三之宮:切妻屋根・鳥居を付けず 祭神:平将門命 建造年度:昭和59年
*平将門命 (たいらのまさかどのみこと:まさかど様。除災厄除の神様)
由来>
社伝によると、天平二年(730年)に出雲氏族の真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建。
戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬された。
慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦に臨み徳川家康公が戦勝の祈祷を行ない、9月15日、神田祭の日に見事に勝利。これ以降、江戸幕府の尊崇する神社となり、元和二年(1616年)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」の古社。
江戸っ子が神田祭を詠んだ記録(川柳、俳句、狂歌)>
神田祭は天下祭(てんかまつり)、御用祭(ごようまつり)とも呼ばれ、単なるお祭りではなく、自分たちの活気や勢いを象徴する特別なものでした。豪華絢爛な山車や神輿、そして熱気あふれる人々の様子は、まさに江戸の粋そのものでした。
>「神田衆 粋を競うや 衣装まで」
・神田の男たちが、祭りのために粋な衣装に身を包み、その姿を競い合っている様子を描写しています。
>「神の留守 皆浮かれ立つ 神田祭 よいよいの声に 我も我もと」
・神様が留守の間(神輿渡御中)、氏子たちが我先にと神輿を担ぎ、浮かれ騒いでいる様子を面白おかしく詠んでいます。
>「江戸っ子は 生まれながらの 祭り好き 神輿担いで 一喜一憂」
・江戸っ子は生まれつきの祭り好きで、神輿を担いで一喜一憂する様子が、生き生きと表現されています。
連絡先>神田明神 外神田2-16-2 03-3254-0753
詳細情報>神田明神 https://www.kandamyoujin.or.jp/
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