新着情報 : 新着情報 :【鳥山石燕(とりやま せきえん)】>『べらぼう』にも活躍(片岡鶴太郎熱演)する天才絵師。
投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2025-5-8 12:03:21 (31 ヒット)

鳥山石燕は江戸時代中期に活躍した浮世絵師。正徳2年(1712)〜天明8年(1788)。
[蔦屋 重三郎 〈つたや じゅうざぶろう〉 寛延 3年 (1750 )〜寛政 9年 5月6日(1797)]

個人の業績と今日の評価>
・肉筆画(美人画など)や、寺社への奉納額(東京都雑司ヶ谷の『大森彦七図』、埼玉県秩父市の円融寺の『景清牢破りの図』など)を制作。奉納額に歌舞伎役者の似顔絵を用いたことで評判を得た。
・浮世絵版画に用いられる「拭きぼかし」の技法を考案し、版本に初めて使用したのは石燕の画集『鳥山彦』(『石燕画譜』とも、1774年)であると伝えられている。
・壮年以降に出版された『画図百鬼夜行』をはじめとする妖怪画の版本で特に名を知られるようになった。
石燕の描く妖怪画は、従来の妖怪絵巻などに見られるような露骨な恐怖感や残酷さではなく、どこかユーモラスで親しみやすい作風が特徴。
今日の評価として、石燕の妖怪画は、後の葛飾北斎や歌川派の絵師たちにも影響を与え、現代の日本の妖怪イメージの形成にも大きな役割を果たしたと考えられる。特に、漫画家の水木しげるも石燕の作品から多くのインスピレーションを得ていた。

弟子の教育・輩出>
石燕は門弟の教育にも熱心で、 かの浮世絵美人画家として知られている喜多川歌麿(美人画で名を馳せ化政文化を代表する浮世絵師の一人)や、戯作(げさ くしゃ)の恋川春町(こいかわはるまち:浮世絵師であると同時に、黄表紙などの戯作者としても活躍)、歌川豊春(うたがわ とよはる:西洋の遠近法を浮世絵に取り入れ、後に浮世絵の一大流派となる歌川派の祖となった)など多くの著名な弟子を輩出。次世代の浮世絵界を担う多くの才能を育て上げた点でも大きな功績があった。

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