『氷川清話』(角川文庫 1972年) 著者/編集:勝海舟, 勝部真長 角川文庫 角川ソフィア文庫 発行元: 角川書店 発売元: KADOKAWA 明治維新時の幕臣、勝海舟の晩年の語録。 幕末、そして明治維新の中心にいた勝海舟が、晩年、赤坂氷川の邸で、自身の経験、彼と親交のあった人物(西郷隆盛・坂本龍馬・木戸孝允・藤田東湖など幕末から明治維新にかけて活躍した人々)、時局などについて自在に語った談話。 |
氷川清話 (講談社学術文庫) 文庫 – 2000/12/8 勝 海舟 (著), 江藤 淳 (編集), 松浦 玲 (編集) 完全校訂版 江藤淳・松浦玲編、未収録談を大量増補 海舟が自在に語る談話の数々 幕藩体制瓦解の中、勝海舟は数々の難局に手腕を発揮、江戸城を無血開城に導いて次代を拓いた。晩年、海舟が赤坂氷川の自邸で、歯に衣着せず語った辛辣な人物評、痛烈な時局批判の数々は、彼の人間臭さや豪快さに溢れ、今なお興味が尽きない。本書は、従来の流布本を徹底的に検討し直し、疑問点を正し、未収録談を拾い上げ再編集した決定版。 |
海舟語録 (講談社学術文庫) 文庫 – 2004/10/9 勝 海舟 (著), 江藤 淳 (編集), 松浦 玲 (編集) 奔放自在、縦横無尽!幕末・維新を語り、明治の政局を評する海舟の炯眼と叡智。 官を辞してなお、陰に陽に政治に関わった勝海舟。彼は晩年、ジャーナリスト巌本善治を相手に、幕末明治の政情や人物等について奔放に語った。本書では、『海舟餘波』『海舟座談』等として知られるそれらの談話を詳細に検討、日付順に再構成し、海舟の人柄や、その炯眼、叡智を偲ばせる肉声の復元を試みた。『氷川清話』の姉妹編をなす貴重な歴史的証言集。 |
子母沢寛 (著) 『勝海舟』(新潮文庫全6巻 1974年度大河ドラマ原作) 時は幕末・維新の動乱期、近代日本の運命を背負った勝海舟の半生を、同時代に輩出した幾多の英傑たちとともに描く大河小説。嘉永六年、浦賀沖に来航したペリー率いる四隻の黒船は、徳川三百年の泰平の夢を破り、日本は驚愕と混乱の極に陥った。そのころ勝麟太郎少年は、父の小吉はじめ愛情あふれる人生の師に恵まれ、蘭学を志しながら豪放磊落かつ開明的な英才へと育ちつつあった。 |
子母澤寛(著) 「父子鷹」(上下、講談社; 新装版 -2006/7/12) 旗本・男谷平蔵の妾腹の子として、江戸深川に生まれた小吉は、微禄の旗本・勝家の養子になった。剣術が強く、根っからの江戸っ子気質で、豪放な性格と面倒見のよさから、周囲の人々に慕われていた。この小吉と妻・お信の間に男の子が生まれた。名付けて麟太郎。幕末から明治の武家政治家・勝海舟である。 |
子母澤寛 (著) 「おとこ鷹」 (上下、新潮文庫) 天下の直参、と言えば聞こえは良いが、勝小吉はお役に就くこともなく市井に生きる貧乏御家人。だが、人情に厚く腕も立つ小吉は、詐欺師や悪徳高利貸たちを懲らしめるため東奔西走し、町の人々に慕われている。そんな小吉の楽しみは、剣術と蘭学の修業に励む息子・麟太郎の成長だった。後の海舟の若き日を、貧しくとも鷹のように気高く清々しく生きる父子の物語として描いた傑作長編。 |
村上元三(著) 「勝海舟」 (人物文庫‐– 2004/9/1) 貧しい御家人・勝小吉の長子として生まれ、少年時代は剣術と学問の修業に励んだ勝麟太郎(海舟)。しかし時代状況は彼に実力を発揮すべき場所を与えてゆく。幕府海軍の育成に尽力する一方、坂本龍馬らをも育て、やがて咸臨丸での渡米、開国、大政奉還から江戸無血開城へ…。明治維新を推進した幕臣の波瀾の生涯を描く長編小説。 |
津本陽(著) 「勝海舟 私に帰せず」上 (幻冬舎文庫 2007年) 日本よ、開国し、国際社会と協調せよ。広くアジア諸国と縦横連合して共に海軍を盛大にし、学術を研究しなければ、ヨーロッパ人に蹂躙されるのみなのだから…。竜馬の師・勝海舟の雄大な日本再生構想を描く物語。 |
土居良三 (著) 『咸臨丸海を渡る』 (中公文庫 – 1998/12) 軍艦奉行・木村摂津守の従者として咸臨丸に搭乗、太平洋を渡った長尾幸作の航海日誌『鴻目魁耳』―。本書は、著者の曾祖父が遺したこの一次史料を手がかりに、福沢諭吉ら同乗者たちとの友情、勝海舟の辛苦など、渡航のドラマを克明にたどる。第六回和辻哲郎文化賞受賞の画期的労作。 |
橋本 進(著) 「咸臨丸、大海をゆく―サンフランシスコ航海の真相」 (海文堂出版 -2010/7/1) 日本人の多くは、「幕末、勝海舟が咸臨丸で日本人初の太平洋横断航海の快挙を果たして日米国交の道を開いた」と思っているらしい。もともと学校でそれに近いことを教えていた。 しかし、事実はまったく違う。 |
粟宮 一樹 (著) 「咸臨丸難航図を描いた幕府海軍士官 激動の幕末での海軍士官の半生」 (文芸社-2015/3/1) 時は、安政7年(1860年)1月19日、軍艦「咸臨丸」は、アメリカに向けて浦賀を出帆した。江戸幕府の遣米使節の乗った船の随行艦「咸臨丸」の艦上の人となった海軍士官鈴藤勇次郎。彼は、航海とアメリカの実状を、次世代に残すべく詳細な絵を残した。海軍創設のために一身を捧げた鈴藤勇次郎の生涯を、曾孫である著者がドキュメンタリータッチで追う! |
植松 三十里 (著) 「咸臨丸、サンフランシスコにて」 (角川文庫 – 2010/4/24) 安政7年、遣米使節団を乗せ出航した咸臨丸には、塩飽衆の吉松たち日本人水夫も乗り組んでいた。書き下ろし後日譚も併載し、歴史の渦に消えた男たちの運命を辿った歴史文学賞受賞作が大幅改稿を経て待望の文庫化! |
宮永 孝 (著) 「万延元年の遣米使節団」 (講談社学術文庫-2005/3/11) 徳川幕府初の遣米使節団の衝撃的異文化体験修好通商条約の批准書交換を使命に、咸臨丸を従え渡米した77人の使節団。彼らが強い衝撃を受けた初の異文化体験を、日記や回想録、新聞記事等を駆使し再現する! |
尾佐竹(著) 「幕末遣外使節物語――夷狄の国へ」 (岩波文庫 – 2016/3/17) 万延元年(1860)、新見豊前守一行は、遣米使節として海を渡り、アメリカを巡行、初めての西洋を体験する。言葉、風俗、習慣の全く異なる文化に驚き接しながら、サムライたちは、西洋を全身で受け止め、観察、理解しようと努めている。様々な日記、回顧談、新聞記事などの資料を巧みに使って語られた歴史の好読物である。他に池田、竹内、徳川の遣欧使節物語を収載。 |
文倉 平次郎 (著) 「幕末軍艦咸臨丸〈下〉 (中公文庫- 1993/7/1) 咸臨丸の渡航は、遣米使節の派遣と共に、その後の日本の進展に多大な影響を与えた。咸臨丸の数奇な事蹟に続き、航海日記「奉使米利堅紀行」採録を軸に、咸臨丸余談、乗組士官や水夫の略伝等を記し、更にその遺族を訪ね、語り残された話を採集する。 |
石川 栄吉(著)[「海を渡った侍たち―万延元年の遣米使節は何を見たか」 (読売新聞社-1997/5/1) 日米修好通商条約の批准交換のため、77人のサムライがアメリカ大陸の土を踏んだ。彼らは何に驚き、何に震えたのか。日本人として初めての組織的な異文化体験を、日記などの資料をもとに検証する。 |
鳴海 風 (著)「咸臨丸にかけた夢: 幕末の数学者・小野友五郎の挑戦 」 (くもん出版 -2017/10/23) 大海原へ出たら測量と計算ができなきゃ、船は目的地へ着けねえ。それをするのはナビハートルの仕事だ。訳せば航海士だな。小野先生は立派な航海士になれるぜ」 幕末に、勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎らを乗せて、太平洋を横断した江戸幕府の軍艦・咸臨丸。日本人の操縦による初めての太平洋横断という偉業を航海長として支えたのは、小野友五郎という数学者だった。日本独自の数学・和算の才能を伸ばし、技術者として日本の近代化につくした数学者の生涯を描く。 得意な数学の才能を伸ばすことで、技術者として近代化に貢献し、日本とアメリカ、江戸と明治、和算と西洋数学の架け橋となった数学者・小野友五郎を主人公にしたはじめての児童書です。 |
中浜 博(著)「私のジョン万次郎―子孫が明かす漂流の真実」 (小学館ライブラリー-1994/9/1) 日本の夜明けに、坂本龍馬を始め多くの人に大きな影響を与えたジョン万次郎。漂流から百五十年余、直系子孫が語る波乱に満ちたその生涯。 |
井伏 鱒二 (著)さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記 (新潮文庫) (新潮文庫 – 1986/9/29) 都を落ちのび瀬戸内海を転戦する平家一門の衰亡を、戦陣にあって心身ともに成長して行く若き公達の日記形式で綴った「さざなみ軍記」。 土佐沖で遭難後、異人船に救助され、アメリカ本土で新知識を身につけて幕末の日米交渉に活躍する少年漁夫の数奇な生涯を描く直木賞受賞作「ジョン万次郎漂流記」。 他にSFタイムスリップ小説の先駆とも言うべき「二つの話」を収める会心の歴史名作集。 |
海音寺潮五郎(著)『江戸開城』 (新潮文庫 – 1987/11/26) 命の名の下に、血の犠牲を要求するため、官軍を率いて江戸に入った西郷隆盛。動揺する徳川慶喜と幕閣の向背に抗し和平の道を模索する勝海舟。両巨頭が対峙した歴史的二日間は、その後の日本を決定づける。幕末動乱の頂点で実現した史上最高の名場面の、千両役者どうしの息詰まるやりとりを巨匠が浮かび上がらせる。奇跡の江戸無血開城とその舞台裏を描く、傑作長編。 |
童門 冬二 (著)「勝海舟の人生訓 Kindle版 」 (PHP文庫・PHP研究所-新装版 (2008/5/27) 勝海舟はもとは身分の低い御家人だったが着々と出世し、徳川幕府が倒れる寸前には幕府の終戦最高責任者として江戸無血開城を果たした。 その後は明治新政府に参加し海軍大臣や枢密顧問官にもなっている。つまり勝は「二君に仕えた幕臣」の典型である。 |
村上 元三 (著)「勝海舟」〈上.下〉 (徳間文庫–1991/1) 御家人の勝家は、世に容れられない当主・小吉の放蕩のゆえに貧の極みにあったが、長子・麟太郎は直心影流剣客・島田虎之助の内弟子として剣の道に打ちこみ、激変する世情のなか、やがて蘭学を志していた。他人の厚情にも助けられながら学問に没頭する麟太郎の姿は、いつか幕閣の目にもとまり、蓄所翻訳方に抜擢、そして講武所砲術師範、海軍伝習生師範と昇進していった。歴史長篇。 |
加来 耕三 (著)「勝海舟と坂本龍馬」 (PHP文庫・PHP研究所 – 1996/8) 28歳の龍馬が、ときの幕府軍艦奉行並・勝海舟を訪ね、弟子になったといわれるのは文久2年、海舟40歳のときであった。その後わずか5年間に、この“上司”と“部下”は手を携え、「明治維新」という大プロジェクトをみごと成功へと導いた。幾多の人材が輩出した幕末期、なぜこのコンビだけに大きな仕事がなし得たのか?新事実を紹介しながら、その成功の原則を探った著者渾身の野心作。 |
童門 冬二 (著)「小説海舟独言」
(講談社文庫 – 1997/2) 迫る官軍、備える幕府。明日にも江戸突入かという騒然たる中、相対する勝海舟と西郷隆盛。江戸焦土作戦との取引説もある、江戸城無血明け渡し。これは海舟の最大の功績とも言われる。反面、幕府を売った―とも。この真相を解明し、現代日本のポスト・リストラの道筋を明らかにする、文庫書下ろし長編小説。 |
城 昌幸 (著)「江戸っ子武士道・海舟と南洲」 (春陽文庫・春陽堂書店 – 1995/5) “やっぱり、日本は美しいなあ。”万延元年(1860)五月五日、端午の節句の日、浦賀の港で『咸臨丸』の手摺から身を乗り出すようにして四カ月ぶりに故国日本の山河を眺めているのは、あの歴史的壮挙であるいわゆる遣米使節一行の中の軍艦操練教授方頭取・勝麟太郎その人であったが、船中取調べの浦賀奉行所付与力から、この年三月三日上巳の節句の日の雪の朝、登城の途中で大老井伊掃部頭直弼が水戸藩の浪士たちの襲撃により斬殺されたことを初めて知らされることになった。これ以後、大変革の暴風雨が軍艦奉行の勝海舟を襲うことに…。―幕末維新、この日本の大難局を勝海舟の“江戸っ子気質”の武士道が救う。 |
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