コラム「江戸蕎麦めぐり」
ほしひかる氏プロフィール
蕎麦エッセイスト、 江戸ソバリエ認定委員長 (江戸ソバリエ協会副理事長) 1944年5月21日生まれ佐賀県出身 1967年中央大学卒後、製薬会社に入社、 営業、営業企画、広報、関連会社の代表取締役などを歴任する。 2004年、製薬会社退職後、広報コンサルタント会社や化粧品会社の顧問をつとめる。 傍ら、2003年に「江戸ソバリエ認定事業」を仲間と共に立ち上げ、現在にいたる。 他に、蕎麦・食文化に関するエッセイや小説を業界紙などに連載中。 「荒神谷遺跡の謎を解く」、「出版会への提言」、「朔太郎と私」、 「日経・余暇開発センター」などがエッセイ賞に入賞。 江戸ソバリエグループ著『至福の蕎麦屋』(ブックマン社)。
《6日目 つゆに誘われ「蕎麦閻魔」》

「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」
千住宿で舟を上がった松尾芭蕉は、いよいよ前途三千里「おくの細道」への旅に立つかと思うと胸がいっぱいになって、思わず惜別の涙が落としたという。
中山道千住宿には寺社はむろんのこと、本陣、脇本陣、旅籠、絵馬屋、蕎麦屋などが軒を連ねていた。
とある日の風のある午後であった。街道沿いにある蕎麦屋のつゆの香が氷川山金蔵寺までとどいてきていた。このお寺に祀られていたのは厳つい顔をした閻魔様であった。旨そうな蕎麦汁の匂いを毎日嗅いでいるうちに閻魔様は、「あア、たまらないな。一度でいいからあの旨そうな汁のかかった蕎麦を食べてみたい」と思うようになった。我慢できなくなった閻魔様は、とうとう旅籠の若い飯盛女に化けて蕎麦屋へ出かけて行った。
「〈かけ〉をくださいな」「へえ」てな具合で、何喰わぬ顔をして食べようとするが、何か変である。女郎はやたらと千住葱や唐辛子をかけている。他の客が「おいおい、あんなに唐辛子をぶっかけりゃ、口の中が地獄みたいに熱くなるぜ!」と呆れるが、女郎は気にもとめずにズ・ズ・ズーと一気に食べ終わって出て行った。それからというものの、その若い女郎は幾度となく蕎麦屋に顔を出すようになった。そしてあいかわらず〈かけ〉にたっぷりの千住葱と唐辛子をかけるのである。
宿場町にはいろんな人間が集まってくるが、若くて色っぽい女がちょっと目立ったことをすればすぐ噂になる。蕎麦屋は物見高い客たちでいっぱいになった。そのうちに客の一人が「何処の女郎かつきとめろよ」と店主に言う。最初は渋っていたが、客のいうことには逆らえない。店主が若い女郎の跡をつけると、女は金蔵寺の閻魔堂の前で立ち止った。「ン」と思ったとき、女郎の横顔がチラリと見えた。とたん、店主は腰を抜かした。何とその口は目元まで裂け、唐辛子より真っ赤だったのである。「エ、エンマ様だ!エンマ様がおれを迎えに来たんだ!」それから店主は這うようにして店に帰って、「いやだ、おれはまだ三途の川を渡りたくねえ」と泣きながら、布団を被って寝込んでしまった。
 そこへ「つきとめろ」とけしかけた客がやって来て、布団をはがして「オイ、お迎えを断るにゃ、こっちから行って、蕎麦をお供えするしかねえぞ」とまたけしかける。「あっ、なるほど」と蕎麦屋も合点し、翌日から閻魔堂に蕎麦をお供えするようになった。ト、閻魔様も安堵したのか、店に来なくなった。
 そんな話が宿場町の遊女たちに伝わり、いつのまにか彼女たちも閻魔堂に蕎麦を供えて幸せを祈るようになったという。オシマイ。

【閻魔様】
閻魔様


これで一旦「江戸蕎麦めぐり」は終了いたします。これまで浅草の蕎麦喰地蔵と尾張屋(4日目)、小石川の蕎麦稲荷と萬盛(5日目)、千住の蕎麦閻魔と蕎麦屋(6日目)などを巡って、店主や江戸の人たちを見ていますと、「一番大切なことは単に生きることではなくて、善く生きることである」というプラトンの言葉を思い出しました。
まだまだ江戸蕎麦ゆかりの地はたくさんありますが、またの機会にご一緒できれば幸いです。(チョン! 幕)

☆おすすめのお蕎麦屋さん
・「ほしひかるの江戸東京蕎麦探訪」千住編1〜4(GTF) ⇒「南千住砂場」「千住竹やぶ」のご案内 
http://www.gtf.tv/blog/users/gtf-staff5/?itemid=5235&blogid=113&catid=2762

☆さらにお調べになりたい方のために
・金蔵寺、『おくの細道』(角川文庫)、
・ほしひかる「蕎麦夜噺」第21夜 (『日本そば新聞』平成19年11.12月)
・江戸ソバリエ協会編『江戸蕎麦めぐり。』(幹書房)

〔蕎麦エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕


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