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展覧会 企画展「江戸・東京の祝祭とおしゃれ- 飾る都市と人 -」
概要 都市やそこで暮らす人々の姿は、いつも同じではありません。祭りや行事の時、町には提灯や飾り付けがなされ、人々は日常とは異なる装いをし、それに参加したり、見物したりします。
江戸においても、日枝神社や神田神社の山車や仮装を伴った祭礼をはじめ、地域に鎮座する神社の祭りまで、様々な祭りや行事が行われていました。明治時代以降には、「大日本帝国憲法」の発布などでも町は飾り付けられ、山車が出されるなどしました。また、時代が変わっていくと、そこで暮らす人々の化粧や装いも変わっていきます。
本展示では、このような江戸・東京における飾る都市と人をテーマに、町や人が日常とは異なった華やかになったり、よそいきな姿をみせたりする様子を神田神社や本学所蔵資料を中心に見ていきます。
*本学の学生だけでなく、どなたでも無料でご利用いただけます。
公式サイト "http://museum.kokugakuin.ac.jp/special_exhibition/detail/2025_edohare.html
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【神田祭り】 本年は本祭
日程> 5月8日(木) 午後7時 鳳輦神輿遷座祭 5月9日(金) 夕刻 氏子町会神輿神霊入れ 5月10日(土) 終日 神幸祭(神田、日本橋、大手・丸の内、秋葉原巡行) 5月10日(土) 午後3時頃〜 附け祭 5月10日(土) 終日 神幸祭神輿宮入 5月11日(日) 終日 神輿宮入 5月14日(水) 午前11時 表千家家元奉仕献茶式 5月14日(水) 午後5時30分 会場 明神能・幽玄の花(金剛流薪能) 5月15日(木) 午後2時 例 大 祭 大神輿渡御> 平成16年より大神輿渡御は、氏子の百八町会を三ブロックに分けて実施。 神田第1ブロック[神保町、猿楽町地区・神田公園地区・中神田13ケ町連合・神田駅東地区・大手町、丸の内地区] 神田第2ブロック[外神田連合・秋葉原東部地区連合・岩本町、東神田地区連合] 日本橋ブロック。東日本橋、馬喰町、横山町、浜町、中洲、 蛎殻町、人形町、大伝馬町、室町、本町地区 の受け持ちで渡御が実施される。 本祭りは江戸三大祭りの神田祭りで、宮神輿三基の神幸祭と町会神輿の連合宮入。 宮神輿> 本祭りの年は宮神輿(座寸法4尺1寸、平成10年製作)を担ぐ大神輿渡御。 一之宮:延軒屋根・平屋台造り 瓔珞と錺は京風 祭神:大己貴命 建造年度:昭和27年 *大己貴命(おおなむちのみこと:だいこく様。縁結びの神様。別名:大国主命(おおくにぬしのみこと) 二之宮:延軒屋根・平屋台造り 祭神:少彦名命 台座:三尺建造年度:昭和48年 製作者:下谷・種田豊次郎 *少彦名命 (すくなひこなのみこと:えびす様。商売繁昌の神様) 三之宮:切妻屋根・鳥居を付けず 祭神:平将門命 建造年度:昭和59年 *平将門命 (たいらのまさかどのみこと:まさかど様。除災厄除の神様) 由来> 社伝によると、天平二年(730年)に出雲氏族の真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建。 戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬された。 慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦に臨み徳川家康公が戦勝の祈祷を行ない、9月15日、神田祭の日に見事に勝利。 これ以降、江戸幕府の尊崇する神社となり、元和二年(1616年)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」の古社。 江戸っ子が詠んだ記録(川柳、俳句、狂歌)> 神田祭は天下祭(てんかまつり)、御用祭(ごようまつり)とも呼ばれ、単なるお祭りではなく、自分たちの活気や勢いを象徴する特別なものでした。豪華絢爛な山車や神輿、そして熱気あふれる人々の様子は、まさに江戸の粋そのものでした。 >「神田衆 粋を競うや 衣装まで」 ・神田の男たちが、祭りのために粋な衣装に身を包み、その姿を競い合っている様子を描写しています。 >「神の留守 皆浮かれ立つ 神田祭 よいよいの声に 我も我もと」 ・神様が留守の間(神輿渡御中)、氏子たちが我先にと神輿を担ぎ、浮かれ騒いでいる様子を面白おかしく詠んでいます。 >「江戸っ子は 生まれながらの 祭り好き 神輿担いで 一喜一憂」 ・江戸っ子は生まれつきの祭り好きで、神輿を担いで一喜一憂する様子が、生き生きと表現されています。 連絡先> 神田明神 外神田2-16-2 03-3254-0753 詳細情報>神田明神 公式HP> https://www.kandamyoujin.or.jp/ 関連コラムはこちら> 水都江戸・東京物語〜「第一部「武蔵國・江戸物語」 No10.武士の先駆けだった平将門 (たいらのまさかど) http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/
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下谷神社大祭
行事> 5月9日(金):大祭式典執行 5月10日(土):各町神輿渡御・連合神輿渡御 5月11日(日):本社神輿渡御
*本社神輿の渡御を行う「本祭り」と町会神輿の渡御だけの「陰祭り」が隔年で行われる。
場所>東上野エリア29ヶ町会(40基) 東上野を中心に、西はJR山手線。東は鳥越、北は小野照崎、南は神田明神、西はJRをまたいで五条天、湯島天神の氏子域に隣接。御徒町、上野の繁華街を有する縦長のエリア。
宮神輿>宮神輿:台輪寸法4尺1寸(124)、大正15年行徳・後藤直光作。大鳳凰を載せた急勾配の延軒屋根と胴羽目木彫り勾欄造りの大神輿。四隅の小鳥は八咫烏
概要>この祭の見どころは千貫神輿(台輪:四尺一寸(約1m24cm)、総高さ:十尺一寸(約3m)を各町会の担ぎ手によって次々と手渡しされ一日かけて氏子氏子29ヶ町、 延べ約6千人の威勢の良い担ぎ手による渡御。 由来>下谷神社は、天平2年(730)峡田の稲置らが、上野忍ケ岡の地に創建したと伝える、寛永4年(1627)上野山下へ、延宝8年(1680)広徳寺門前へ遷座。 明治5年下谷神社と改称、昭和3年区画整理により当地へ遷座。
■下谷神社拝殿天井絵「龍」(横山大観/縦174cm、横296cm)湧き立つ雲の中に突如として現れる竜を描いた水墨画で、迫力あふれる作品 ■寄席発祥の記念碑 寛政10年(1798)6月に初代山生亭花楽が下谷稲荷社(現下谷神社)の境内で江戸最初の寄席興行を行った。 ■子規の句碑 江戸で始めて寄席が催された「寄席発祥の地」にちなんだ句「寄席はねて上野の鐘の夜長哉」が刻まれている。
連絡先>下谷神社 台東区東上野3-29-8 TEL: 03-3831-1488
HP>http://shitayajinja.or.jp/
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