トピックス : 【寛永通宝】2月27日元禄10年(1697)亀戸村に1万5千坪の新銭鋳造場で寛永通宝を造る。
江戸時代、金銀の高額貨幣のほかに、銅や鉄でつくられた「銭(ぜに)」が少額貨幣として使われていた。まん中に穴があいている丸い銭は、紐(ひも)や緡(さし)で束ねられるようになっていた。銭形平次が投げたのもこれで、四文銭(しもんせん)である。
日本の中央政府が久々に銭を発行したのが寛永通宝であり、約660年ぶりのことであった。
その結果、寛永通宝が市場を席巻し、なんと戦後の昭和28年(1953)まで通用していたことは、年配の人なら記憶されているだろう・・・・・
関連コラムはこちら>
>江戸言葉 月ごよみ 生活とお金 『銭の話』
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=16%20&file=edokotobaseikatsutookane
関連情報はこちら>
>貨幣博物館_日本貨幣史_17世紀金・銀・銅の貨幣の統一
https://www.imes.boj.or.jp/cm/history/content/#HistoryEarlyModern