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展覧会 企画展「江戸・東京の祝祭とおしゃれ- 飾る都市と人 -」
概要 都市やそこで暮らす人々の姿は、いつも同じではありません。祭りや行事の時、町には提灯や飾り付けがなされ、人々は日常とは異なる装いをし、それに参加したり、見物したりします。
江戸においても、日枝神社や神田神社の山車や仮装を伴った祭礼をはじめ、地域に鎮座する神社の祭りまで、様々な祭りや行事が行われていました。明治時代以降には、「大日本帝国憲法」の発布などでも町は飾り付けられ、山車が出されるなどしました。また、時代が変わっていくと、そこで暮らす人々の化粧や装いも変わっていきます。
本展示では、このような江戸・東京における飾る都市と人をテーマに、町や人が日常とは異なった華やかになったり、よそいきな姿をみせたりする様子を神田神社や本学所蔵資料を中心に見ていきます。
*本学の学生だけでなく、どなたでも無料でご利用いただけます。
公式サイト "http://museum.kokugakuin.ac.jp/special_exhibition/detail/2025_edohare.html
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鉄砲洲稲荷神社例大祭 〜 例大祭は蔭祭のため、神輿渡御はありません。。
5月に入って都内で最初に行われる祭りで有名。 本年は蔭祭のため、神輿渡御はありません。。
場所>京橋・明石町・入船・新富・銀座エリア氏子17ヶ町会 連絡先>鉄砲洲稲荷神社 中央区湊1-6-7 03-3551-2647 宮神輿>台座4尺1寸5分 大正5年製作 製作者/八丁堀・秋山三五郎、延軒屋根・平屋台造りの品格漂う大神輿 概要>5月に入って都内で最初に行われる祭り 3年に一度の本祭は、全17ヶ町の氏子区域を御鳳輦・本社神輿が渡御。 由来>起立の年月として口碑に伝えるところはきわめて古く承和年間(9世紀)というが、 元祿十六年および文政十二年の火災に社記を焼失して詳しいことはわからない(中央区史)" 江戸湊の入口に鎮座する神社として、地域の人々の信仰を集めてきた。鉄砲洲の地は、徳川家康公入府のころは、鉄砲の形をした南北八丁の細長い、隅田川口の島であった。寛永のころ(一六二四−四四)砲術の家井上、稲富両家が、ここで鉄砲、大砲の射撃演習をしていたのでこの名が生じたともいう。
HP>http://www.teppozujinja.or.jp/yuisho.html
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烏森神社例大祭〜令和七年の例大祭 〜蔭祭り>大祭祭儀のみ斎行で、神輿渡御などの神賑わいはなし。
令和七年の例大祭 〜蔭祭り>大祭祭儀のみ斎行で、神輿渡御などの神賑わいはありません。
場所>新橋エリア15ヶ町会 連絡先>烏森神社 港区新橋2−15−5 03−3591−7865 宮神輿>八つ棟型、四方の蕨手にカラスをのせた本社千貫神輿。四面ある屋根の各面に切妻が載っている八つ棟型の神輿は珍しい。 昭和5年11月製作:台輪寸法123cm×125cm 神田田代町の神輿師[だし鉄]こと山本正太郎作 概要>2年に1度の本祭りでは本社大神輿の渡御 由来>祭神 倉稲魂命、瓊々杵尊、天鈿女命。 もと烏森稲荷と稱した。朱雀天皇の天慶二年、藤原秀郷が平将門追討の時、自己の封彄中で景勝の緑樹地帯を選び、稲荷の神靈を勧請したのに起源すると傳へられてゐる。(芝區誌)
HP>http://karasumorijinja.or.jp/
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