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日枝神社 山王祭 今年はかげまつりの年にあたり、メインの「神幸祭」や「下町連合渡御」は行われません
場所>日枝神社 千代田区・新宿区・中央区・港区の氏子エリア72ヶ町(神輿20基) 【江戸時代は山車45本、神輿3基、160ヶ町】
由来>江戸時代、徳川幕府の総鎮守として、祭りの行列を江戸城内に入れることを許された江戸一番の規模を誇った山王祭。隔年毎の本祭は末社八坂神社の祇園祭に始まり、数々の行事を経て、2基の鳳輦と1基の宮神輿を中心にした神幸祭の大行列が見せ場。 地名>江戸時代、このあたり一帯は武家地で、馬場のあった道筋に永田姓の旗本屋敷が並んでいたため「永田馬場」と呼ばれていたことがこの町名の由来。
連絡先> http://tenkamatsuri.jp/index.html 03-3581-2472
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(継続中)
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鳥越まつり
概要>6月10日(土)鳥越まつり各町御輿渡御)19時頃一部町会連合宮入 6月11日(日)千貫神輿渡御6:00~21:00(19:00頃~鳥越夜まつり) 夕刻、神輿の弓張提灯と町会の高張提灯に火が入ると、祭りは最高潮を迎える。この宮入道中は、「鳥越の夜祭り」と言われている。半纏ではなく、絹のお召しに角帯、麻のたすき、白足袋の正装で参加。 宮出し宮入り道中に担ぎ、拍子木役は会員のみが担当する。 宮神輿>台座四尺三寸(130㎝)制作/昭和2年、神輿師/神田・宮惣作、延軒屋根、平屋台造り、独特の飾り紐と大鳳凰 胴を唐草で覆う 由来>白雉二年(651年)、日本武尊を祀って白鳥神社と称したのに始まるとされ、前九年の役のおり(1046~1053年)源頼義・義家親子がこの地を訪れ鳥越大明神と改めたと伝えられている。
地名>平安時代後期頃までは白鳥村と称し、此の村の小高く見晴らしの良い白鳥山の山頂(現在地)に白鳥明神として創建された。源親子が東国に向かう途中武蔵の大川で難儀した。その時、一羽の白鳥が飛んできて浅瀬をおしえ無事に軍勢を渡河させた。それに感謝して、鳥越大明神の社号を奉じ。それ以降社地のあたりを「鳥越の里」と呼ぶようになった。(御府内備考) 社宝>古代の蕨手太刀、高坏、勾玉、菅玉、銀環など鳥越から出土品。
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8時00分~16時30分
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隅田稲荷神社例大祭
10日前後の日曜・3年毎宮出し 8:00 宮入16:30
令和五年(2023) 6月 11日 (日曜日) 8時00分
■概要 万燈発祥の地といわれる万燈。 ・背景の社殿天井の竜の絵は、鴨下晁湖(1890~1967)。名は中雄。月東京に生れ、東京美術学校卒、松本楓湖門下。 ●万燈神輿:江川善左衛門雅門は墨田開拓の祖でもあり、その徳を称えて、元治年間(1864~1865)に万燈に江川善左衛門雅門の開拓由来を錦絵で描き、担いだのが始まりという。 大正4年に中止されていたが、昭和50年に復活した。万燈神輿発祥の地とされている。 ■宮神輿 台座幅/三尺三寸(101㎝) 制作/大正5年、神輿師/不明、延軒屋根、平屋台造り、桟唐戸の細工や彫刻が見事。万灯神輿の発祥の神社。 ■由来「葛西誌」「新篇武蔵風土記稿」なによれば、天文年間(1532~1555)と伝えられている。この時代に、伊豆韮山の堀越公方政知が亡び、その家臣の江川善左衛門雅門とその郎党がこの地へ逃れてきて、京都伏見稲荷を勧請して氏神とした。 天文年間、伊豆より逃れてこの地を開拓した堀越公方政知の家臣江川善左衛門雅門が、伏見稲荷大神を勧請し氏神として祀った。昭和五十年に復活した万燈神輿は、善左衛門の徳を称えた里人によって、元治年間に始まったと伝えられる。
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