12月14日 「赤穂四十七士」 吉良邸討入り

投稿日時 2021-12-8 1:07:40 | トピック: お知らせ

元禄15年(1702)赤穂浪士が本所松坂町の吉良邸を襲撃して義央を討ち取る。

元禄14年(1701)3月14日、勅使接待役の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、
指南役の高家(こうけ)吉良上野介(きらこうずけのすけ)に切りつけた。
その後、浅野内匠頭は即日切腹、御家は断絶。元禄15年(1702)12月14日、
浅野家家老・大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を含む赤穂浪士(四十七士)は
吉良を討取り、主君の無念を晴らす。天下泰平の世の中を騒がせた一連の事件は、赤穂事件と呼ばれた。

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