都市の中を流れる 「川」
の再生を目指した調査も研究を手がけて三十数年になるが、その間、脳裏から離れなかったのは、東京都心を流れている「日本橋川の未来像」
のことであった。
日本橋川は、今では、神田川と分派しているが、江戸の城下町形成期から舟運機能をはたすとともに町民の生活用、防火用、親水用など多面的に利用され、江戸のまち特有の水にまつわる文化を育んできた。いわば江戸・東京の発展を物語る象徴的水辺空間を都市部に刻印しているのである。
江戸、そして東京の発展を支えた歴史的遺構を点在させている日本橋川の中に高速道路を通すためコンクリートの大きな列柱群を打ちこんだのは今から四十数年前のことである。
この情景を日本橋の上で眼前にした時は、自分の体に釘を打ちこまれたような衝撃を受けた。
それ以来、都市空間と 「川」が共存し、川から恵みを受ける都市デザインを研究し、舟運で繁栄した時代の日本橋川の復活に貢献する研究・計両を捉果しようと決意した.十数年前のことだが、研究室に積まれた「広重」「北斎」などが.描いた浮世絵図集をひらいているうち日本橋川、隅田川、神田川
(三川と呼ぶ) の水辺を美しく措いた絵図が集中して多いことがわかった。絵図の中には、水辺でゆかたを着流して散歩する乙女たち、水辺をゆきかう舟上で夕涼みを楽しむ町民、水辺の桜の下で宴会して踊る人々の活き活きとした姿や、水辺風景が丹念に表現されていた。
江戸・東京の川を蘇らせるにはこれらの絵図に表現された水辺活用の知恵を伝承した水辺空間の創出をテーマにしようと考えた。絵図を描いた場所をつきとめ、周辺の環境調査をしたところ、日本橋川沿いには、堀割の跡、舟着場の石積護岸、珍しい橋群、風景の残像など江戸、明治、大正期の面影を残す造形や風景が存在していることがわかった。
これら数百年前の歴史的遺構は博物空間となる、環境を整えれば、展示空間(サテライト)
になると、その場所に立つと絵図で描かれた空間や風物詩を追体験もできる。また江戸のまちの学習や研究材料の現場となり、野外体験型博物館になると考えた。 4年前 (平成14年) になるが、この着想を基本にして
『江戸・東京の川一体感型博物館構想』と題した研究成果を専門誌に発表した。
この構想立案の前提としたのは、近い将来
日本橋川上部の高速道路は、代替案が出され解体される時代が来るものと考えた。構想の要点は川辺沿いの散歩路と小広場
(舟着場と一体化) の復活を図り、花見、夕
涼み、屋台店など江戸の風物詩を体感できる水辺空間を復活する。また当時活躍した小型舟を登場させ水運路を整え、舟上で絵図に描かれた楽しい行為が体感できるというものである。
都心のヒートアイランド現象や砂漠化が進む時代にあって、日本橋川などの都市の川は、かけがえのないオアシス空間である。江戸の人々が楽しんだ水辺空間こそ、東京の人々の、復活実現可能な
『夢』 である。
絵図に表現された水辺空間を復活させようと知恵を結集し動き始めるとこの
『夢』 はエネルギーを発揮し、都市砂漠化が進む東京の大地を潤す川となって蘇るものと期待している。
両国納涼花火ノ図- 国立国会図書館蔵