江戸の「物売り」から読み解く江戸・東京のご案内

江戸の「物売り」 から読み解く江戸・東京のご案内

➀家康 江戸入り前後の風景・・・

江戸時代に入る前の江戸の人口は、約1万人程度だったといわれています。
下絵は「別本慶長江戸図」(東京都立中央図書館蔵)といわれ現存する最古の江戸図を写した絵図です。
描かれている範囲は「御城」を中心に現在の内濠周辺まで。左側下方の陸地に海が入り込んだ部分(青く塗られたエリア)は、
現在の皇居前広場から新橋駅あたりと思われ、慶長7年(1602)頃の江戸の町並みを記したものではないかと推定されています。

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▲現存する最古の江戸図を写した絵図。
『別本慶長江戸図』『慶長七年江戸図』ともいわれています。(東京都立中央図書館蔵)


➁江戸の町づくり・・・
徳川家康は天正18年(1590)江戸入り。
まず始めたのが小石川上水(のちの神田上水)の開設と家臣・商人の住宅地の開発です。
慶長8年(1603)年に征夷大将軍となり、江戸に幕府を開き城を中心として町づくりが始められ、
寛永12年(1635)参勤交代を制度化により人口急増。
さらに玉川上水を承応2年(1653)羽村から四谷大木戸まで開削。
享保期(1716~1736)頃に人口は武士が約5割、町人が約5割で100万人を超えたと言われ、
「大江戸」と呼ぶにふさわしい巨大都市となりました。


・参考: 江戸前期 主要関係年表
1590年(天正18) 8月徳川家康江戸に入る
1590年(天正18) 神田上水築造
1593年(文禄 2) 亀有溜井設置
1594年(文禄 3) 千住大橋架橋
1597年(慶長 2) 荒川上流 (深谷市) に六堰が設置し用水路開削
1600年頃 牛島築堤 (宮戸川が隅田川本川に)と小名木川開削
1603年(慶長 8) 3月徳川家康征夷大将軍 幕府を開く
1603年(慶長 8) 日本橋架橋、 翌年五街道の基点となる
1604年(慶長 9) 江戸城大改修始まる
1614年頃 江戸湊くし型埠頭完成
1614年(慶長19) 瓦曽根溜井築造
1615年 (元和元) 綾瀬川締め切り
1620年頃 日本堤築造、 神田川開削
1635年 (寛永12) 家光参勤交代を制度化:以後江戸の人口急増
1653年 (承応 2) 玉川上水開削:1654年(承応3)6月玉川上水完成。
1657年 (明暦 3) 振袖火事:1月18日-(江戸三大火災)死者10万余人、400町延焼、江戸2/3消失
1682年 (天和 2) お七火事:12月28日-明暦大火以後の大火災
1696年 (元禄 9) 千川上水竣工(保谷、本郷、下谷、浅草方面給水)田無分水開設  
            9月両国橋改架完成
         

⓷江戸の町の特徴・・・
諸大名とその単身赴任の家臣団、商家の大店の独身男性の奉公人が江戸の住人になる。
明暦3年(1657)の「明暦の大火」など、町の復興のために大量の労働人口が江戸に流入。
上記の事由等で男性型社会の巨大な消費市場が誕生しました。
それにともない、物資も江戸に集まり江戸には上方産の「下り物(くだりもの)」と、
周辺地域からの「地回り物」が多数供給されるようになりました。

➁ 熙代勝覧 大道芸通信 No257  JPG.JPG



















『熙代勝覧』ドイツのベルリン国立アジア美術館蔵
文化二年(1805)頃の江戸日本橋から神田今川橋までの大通り南北約7町(約760m)描いた縦43.7cm、横1232.2cmの長大な絵巻。

江戸の生活・・・・
・江戸時代は農業・漁業の発展や流通網の整備などで外食産業も発展。
握り寿司、鰻(うなぎ)の蒲焼(かばや)き、蕎麦(そば)、天ぷらは江戸時代に誕生しました。
江戸っ子の胃袋を満たすべく魚や野菜などを調理した食品を売り歩く「煮売り」や「焼売り」商売が急増。
そして江戸時代後期になると、簡単な食事や酒を出す茶屋や小料理屋から高級料理屋まで、
人々の要求に応じた様々な飲食店が登場しました。


物売り・生業稼業・・・
天秤棒担いで商う様々な意匠、口上で江戸は振り売りの威勢のいい活気にあふれる街でした。
食料品以外に、家具や調度品、動物や花や苗を単品で売る多種多様な商売もありました。

当企画では、季節の様々な物売りを中心に見世売り・生業の諸職を絵図(挿絵・浮世絵)、草双紙(江戸期の雑誌)、
古川柳などから当時の暮らしの実態に迫り、さらに現在との関係・比較もしてみたいと思います。

                                                                江戸生業研究会