投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-3-31 12:36:51 (31 ヒット)

・お江戸の探訪・探索には「貨幣」はつきものですが、お金の理解はなかなか面倒です。江戸時代には、金貨、銀貨、銭貨の3種類の貨幣が使われて(三貨制度)いたり、さらに江戸時代における貨幣の価値が現在いくらに当たるか?という疑問・悩みが出てきます。
『日本銀行貨幣博物館』は、「三貨制度」をビジュアル化をして解りやすく工夫をしたり、昔のお金の現在価値を目安として知る仕掛けもあります。
 是非、訪れてください。
 
「日本銀行貨幣博物館」はこちら>
https://www.imes.boj.or.jp/cm/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-3-31 12:33:13 (26 ヒット)

日本人は舶来ものが大好きである。江戸時代には、ラクダ、ゾウ、ロバ、ヒョウなど、異国の動物が次々と日本にやってきている。そして珍獣の見世物として庶民に親しまれていた。
文政4年(1821)、長崎に雌雄一組の「らくだ」が輸入され、翌年から大坂・江戸で見世物として評判になった。

関連コラムはこちら>
・江戸言葉 月ごよみ「らくだの見世物と落語」
  http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-3-31 12:31:14 (39 ヒット)

振売商いを制限する町触で、これまで商っていた振売に鑑札を与え、税を取ることを命じる。
絹紬・木綿布・小間物・麻・蚊屋(かや)・帋帳(しちょう)の商いの鑑札を与へ無鑑札者には罰金を命じた。
さらに、50歳以上か15歳以下・障害者しか商いができない15品目を設け社会的弱者救済措置をした。
15品目>肴売・菜ざらし売・たばこ売・時々のなり物菓子売・塩売・あめおこし売・下駄あしだ
味噌売・酢醬油売・豆ふ蒟蒻売・ところてん売・もち売・籠ざる売・とうしん売・附木売
その規制は、その後行われなくなり、振売の商人は増加していった。

参考資料 
『東京市史稿』
『近世商人法制の研究』 (隈崎渡著 芦書房)

*【振売(ふりうり)】は籠(かご)に商品を入れ、道を売り歩く物売りで
棒手振(ぼてふり)ともいい、当時の江戸の生活に欠かせない存在。

関連コラムはこちら>
・江戸の四季を彩る「物売り」
http://www.edoshitamachi.com/web/e/

・江戸から今に伝わる伝統芸能「大道芸」
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-3-31 12:28:19 (32 ヒット)

外国貨幣に対処すべく1854年から鋳造された金銀。 特に安政二朱銀の目方は洋銀1個の目方の半分にあたる3匁6分であったため、外国から抗議をうけ、洋銀との交換に失敗、かえって金貨の濫出を招いた。そこで1860年、新たに万延金が鋳造され、金の流出を阻止するが、国内の物価が高騰した。なお、新小判・ 新一分判の品位は77匁5分(56.77%)、 新二分判・二朱金は200匁 (22%)だった。
金貨流出の対応策として発行された万延二分金は、幕府財政の補填のため大量に発行され、国内で急激なインフレをもたらした。

詳細情報はこちら>
・「日本銀行貨幣博物館」 不平等条約の締結と貨幣
https://www.imes.boj.or.jp/cm/history/content/#HistoryEarlyModern


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-3-31 12:26:41 (40 ヒット)

元々鞍馬山の坊主が、 所願のことがあって江戸へ来たが何も叶わないうちに資金が尽いた。それで生活のため、習い覚えたお経等をしながら市中を巡り銭や米の喜捨を受けたのが始まりという。但し『嬉遊笑覧』は「そんなの嘘だ」と一蹴し乞食へ分類している。橋本町 (秋葉原近辺)や下谷山崎町(東上野近辺)を居住地として、当初は代願人として、水垢離などを代理でしていたといわれるが、次々と色々な手を考えだしていた。すたすた坊主や金比羅行人、半田稲荷、考え物、御日和御祈願(おひよりごきがん)等がある。

関連コラムはこちら>
・江戸の四季を彩る「物売り」
http://www.edoshitamachi.com/web/e/

・江戸から今に伝わる伝統芸能「大道芸」
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-3-31 12:24:32 (25 ヒット)

【玉川上水】 4月-この月 承応3年(1654)

玉川上水が虎の門まで到着し、6月に完成する。同時に野火止分水もできる。

詳細情報はこちら>
「暦から読み解く江戸東京」 玉川上水年表
  http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd8/PDF/tamagawanenpyo.pdf


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-3-11 3:20:29 (40 ヒット)

花見の落語といえば、「花見酒」や「長屋の花見」、「花見の仇討(あだうち)」が頭に浮かぶ人もあろう。番頭さんが花見で、はめを外して旦那にばったり出会う「百年目」や、頭に桜の木が生えてくるナンセンス噺(ばなし)の「あたま山」を思い浮かべた人は、相当な落語通である・・・・・

コラムの続きはこちら>
・江戸言葉 月ごよみ『「花見酒」の経済

  >http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-3-11 3:19:17 (44 ヒット)

関東に入府した家康は、 江戸を拠点とすることとし、江戸城を築きながら、 戦いに備えたインフラを築造します。 水と米と塩です。このため、水を江戸城に引くため神田上水が築造され、 近郊生産地確保のため 亀有にため池が造られ塩を運ぶために小名木川が開削されます。
さらに家康は、江戸を人流・物流の中心にするため、 日本橋を築造して五街道の起点とするとともに、 江戸湊を造成します。

関連コラムはこちら>
・武蔵國・江戸物語『戦いに備えた江戸の最初のインフラ』

 > http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo30.pdf


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-3-11 3:17:57 (34 ヒット)

いよいよ、江戸城総攻撃が3月15日と決まり、事態は緊迫。その前日に、江戸の薩摩藩邸において、幕府側の勝海舟と新政府側の西郷隆盛の会談が行われ、交渉は無事成立。
こうして1868年4月11日、江戸城無血開城が実現しました。この会議に当って、勝海舟は、交渉決裂を想定し、 徹底抗戦に備え江戸焦土作戦を立てていました・・・・・

関連コラムはこちら>
・水都江戸-東京物語〜第一部武蔵國・江戸物語「No53 東京への改称 」

  >http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo53.pdf


投稿者: 江戸渋 投稿日時: 2024-3-11 3:16:15 (51 ヒット)

3月3日は、五節句の1つである上巳(じょうし)の節句で、「桃の節句」とも呼ばれます。中国の水辺での厄払いの風習と、日本の身を清める風習や人形を流す風習が混ざって生まれた祭りです。雛人形はこの人形が源流です。 江戸時代には、京都から江戸に広まり、雛市が立ちました。日本橋十軒店(じっけんだな)が有名で、『江戸名所図会』などに描かれています。江戸後期には、雛人形飾りが豪華になりました。 明治時代には、五節句の廃止で一時期衰退しましたが、明治半ばには復活しました。百貨店でも雛人形が売り出されました。 雛市で人形を買い、家で雛人形を飾る習慣は、今も続いています。

関連コラムはこちら>
・江戸の春の楽しみ 『初午」と「桃の節句』
 >http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/


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