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【富士塚】(ふじづか) 富士信仰に基づき、富士山に模して造営された人工の山や塚。
sibugaki
2024-9-11 8:45
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概要
江戸時代に多く作られ、富士山に登ることが難しい人々が代わりに登拝するためのものとして利用された。
江戸時代の中期に富士信仰が盛んになると、江戸を中心に多くの富士講が生まれ、それに伴い富士塚も多数つくられ、現在東京都内には約50か所に存在するとされる。 当時は「江戸八百八町講中八万人」と言われ、江戸市中の有名な富士塚は特に「江戸八富士」と呼ばれた
画像は>
歌川広重作『名所江戸百景』に描かれた目黒富士(新富士) ブルックリン美術館蔵
手前のミニ富士は1819年に建てられた。斜面に沿ったジグザグの道は、実際の山を登るスイッチバックルートを模倣している。
関連コラム詳細はこちら>
・江戸から今に伝わる伝統芸能「大道芸」 江戸の夏行事〜今に継承されているものの由来 ≪山開き≫
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/
【江戸朱引図】(しゅびきず)江戸幕府が江戸の範囲を定めるために地図上に朱色の線を引いた。この朱引は、1818年(文政元年)に初めて定めらた。
sibugaki
2024-9-11 8:40
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概要
1590年(天正18年)の江戸城築城以来、江戸の市域は拡大を続け、19世紀初頭にはすでにその範囲は不明確となっていた。
1818年(文政元年)9月26日、江戸の範囲を町奉行・勘定奉行が若年寄に区域を答申。それを受けて同年12月、老中・阿部正精(あべまさきよ)によって示された幕府の公式見解が朱引。
江戸の範囲はその地図上に、江戸城を中心とする朱色の線(朱引線)で囲まれた区域として示されている。
画像は>
「旧江戸朱引内図」(1818年、東京都公文書館所蔵)
江戸の範囲はその地図上に、江戸城を中心とする朱色の線(朱引線)で囲まれた区域として示されている。
関連コラムはこちら>
江戸十万日 「江戸下町は文化創造センターだった」
・
http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/2021/04/
【新着コラム】江戸歌舞伎(後期)のスパースター五代目市川団十郎公演の『暫』(しばらく)を描いた浮世絵。
sibugaki
2024-9-11 8:54
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江戸歌舞伎(後期)のスパースター五代目市川団十郎公演の『暫』(しばらく)を描いた浮世絵。
五代目市川団十郎:元文6年(1741年)〜文化3年 (1806年)は、江戸時代の歌舞伎役者で、成田屋の屋号を持ち、俳名は梅童・男女川(おながわ)・三升・白猿などがある。
『暫(しばらく)』:この演目は、初代市川団十郎が始めたもので、五代目もその伝統を受け継ぎ、特に鎌倉権五郎の役で知られ、豪華な衣装と派手な隈取(くまどり)で観客を魅了した。
上方(かみがた)で観劇といえば人形浄瑠璃(文楽)である。しかし、江戸では人形浄瑠璃は盛んではなかった。
人形を使った筋書通りにキッチリとやる舞台よりも、アドリブと決めゼリフたっぷりの団十郎の豪華な舞台を江戸っ子が好んだ。
画像は>
歌川国政作の寛政8年(1796)五代目市川団十郎公演の『暫』を描いた浮世絵。
コラム詳細はこちら>
・江戸ことば 月ごよみ 『三度の飯と団十郎』
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/
【蔦屋重三郎】(つたや じゅうざぶろう)版元として出版物に登場した肖像画。屋号を蔦屋、耕書堂。版元印=富士山型に蔦の葉のマーク。
sibugaki
2024-9-11 8:31
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蔦屋重三郎
寛延3年1月7日(1750年2月13日)〜寛政9年5月6日(1797年5月31日)天明3年(1783)9月蔦屋重三郎が、吉原から日本橋通油町(とおりあぶらちょう)に進出。
蔦屋重三郎は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した著名な版元(出版人)で喜多川歌麿や東洲斎写楽などの作品を世に送り出し江戸の出版文化をリードした。
2025年放送の大河ドラマ「べらぼう 〜蔦重栄華乃夢噺〜」。主人公の「蔦重」こと蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)。
画像は>山東京傳 作 『箱入娘面屋人魚 3巻』, 蔦唐丸,[寛政3 (1791)]. 国立国会図書館デジタルコレクション
「箱入娘面屋人魚(はこいりむすめめんやにんぎょう)」は、江戸時代の作家山東京伝による作品で、1791年に出版されました。この物語は、江戸時代の風俗や文化を背景に、ユーモアと風刺を交えた内容
関連情報はこちら>
台東区文化芸術総合サイト特設コンテンツ
「2025年大河ドラマ主人公 蔦屋重三郎」ページ
https://www.culture.city.taito.lg.jp/ja/tsutaju
【いろは48組】8月7日享保5年(1720)町火消し組合が改正、「いろは」48組となり、纏幟の制度が設けられる。
sibugaki
2024-8-2 20:11
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江戸は火事の多い都市だった。三度の大火以外にも、毎年のように火事に見舞われ、
長屋の密集した下町では、焼かれては建て直すことを数年ごとに繰り返していた・・・・・
画像は>
「江戸の華-いろは組の内“を組”組を立て火に迎ふの景」は、歌川広重が描いた浮世絵の一つで、江戸時代の火消し(消防士)をテーマにしている。この絵は、江戸の町火消し「いろは47組」の一つである「を組」が火事に立ち向かう様子を描いている。
*下部に描かれている大刺股は家屋を押し倒す際に使われ、四間<約7m>位
関連コラムはこちら>
・江戸十万日 月日の鼠 『江戸=東京の下町から生きられた記 憶への旅』
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd8/index.php?id=13
【永代橋崩落】8月19日文化4年(1807)深川富岡八幡宮祭礼の人出で永代橋が崩れ落ち、1730余人が死亡・・・・・
sibugaki
2024-8-3 15:38
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江戸時代の橋梁は、 木製で老朽化が激しく (耐用年数、 約20年)、 さらに水害による流失があって、維持管理するのが大変でした。
"両国橋は、架け替えの度に道幅を狭くしてコスト縮減され、また幕府が維持管理しない橋梁は、地元 (町方)に委譲されていきました。
画像は>
「文化四年八月富岡八幡宮祭礼永代橋崩壊の図」歌川豊国(3代目)画 江戸東京博物館蔵
「永代橋崩落の図」に描かれている人々の服装や表情は、当時の江戸の風俗をよく反映している。(法量/27.5cm x 76.5cm)
関連コラムはこちら>
・武蔵國・江戸物語 〜 『永代橋にみる民間活力導入の惨劇』
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo46.pdf
【新着コラム】江戸の昔、馬はとくに東日本の農家で農耕馬として飼われ、西日本の農家は牛を飼って農耕に使ったようであるが・・・
sibugaki
2024-8-3 15:34
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どうして日本の東西で農耕馬と農耕牛と、飼う動物が異なっていたかというと、農地と気候の問題があったからである。
江戸では馬の数が圧倒的に多かった。いざ戦陣という場合に備え大名や旗本などは家格や石高(こくだか)に応じ、ある一定の数の馬を飼っておく必要があったから、武家屋敷の玄関の横には「馬の口」という厩舎があり、そこでは馬の嘶(いなな)きが聞こえていた。
画像は>
馬並の客に驚き、床から逃げて泣き出す振袖新造。
山東京伝(さんとうきょうでん)の黄表紙(きびょうし)
『九界十年色地獄(くがいじゅうねんいろじごく)』(寛政3年〈1791〉刊)より。
コラム詳細はこちら>
・江戸ことば 月ごよみ 『江戸の馬いろいろ』
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=9
【新着コラム】 高尾太夫(たかおだゆう)は、江戸時代の吉原で最も有名な遊女の一人で、歌舞伎や浄瑠璃などで多く取り上げられている・・・
sibugaki
2024-8-2 20:31
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姫路藩主榊原政岑(さかきはら まさみね)にみそめられ、高尾太夫を1800両で落籍する。 高尾大夫を秤に乗せてそれと同じ重さの小判を積み重ねたという話もある。
画像は>
・『古代江戸絵集』 「三浦屋高尾」 歌川豊国画 国会図書館蔵
『古代江戸絵集』の「三浦屋高尾」は、歌川豊国(3代目)が描いた浮世絵。
豊国は美人画や役者絵で名を馳せた浮世絵師で、この絵は、文久元年(1861) に制作され、三代目岩井粂三郎が高尾太夫を演じた姿が描かれていいる。
コラム詳細はこちら>
・神田川界隈物語 『榊原家の菩提寺「本立寺」に眠る 名妓·高尾大夫』
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd6/index.php?id=50
【天明の浅間焼け】 7月6日天明3年(1783) 浅間山が大噴火、江戸に灰がふる。
sibugaki
2024-7-4 8:02
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1783年(天明3年)7月6日、浅間山が噴火し、降下した火砕物により家屋の焼失や倒壊、用水被害や交通遮断等が起こすとともに、鎌原火砕流/岩屑なだれと天明泥流により浅間山北麓から利根川流域を中心とする関東平野に甚大な被害をもたらした。(死者:1624人、流失家屋:1151戸、焼失家屋51戸、倒壊家屋130戸余り)
絵>浅間山の天明大噴火を描いた「浅間山夜分大焼之図」
関連コラムはこちら>
・武蔵國・江戸物語 〜 No45「浅間山噴火により、 関東郡代が潰れる」
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo45.pdf
【閻魔賽日】(えんまさいじつ)七月十六日は閻魔賽日(えんまさいじつ)といって閻魔の休日。 "
sibugaki
2024-7-4 8:05
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お盆休みには「地獄の釜の蓋(ふた)が開く」と言った。
地獄で罪障(ざいしょう)を犯した者を裁く閻魔様も、
江戸時代も後半になった江戸では、お盆休み(7月16日前後の休み「藪入〈やぶいり〉」)になると、
休暇をとることになるだろうと見立てたところから生まれた言葉だった。
藪入(やぶいり)で奉公先から休みをもらった人々も、閻魔詣で繰り
その日は閻魔大王を祀る寺では縁日として大変に賑わった。
▲挿絵 『地獄極楽図』河鍋暁斎画 東京国立博物館蔵
関連コラムはこちら
>江戸言葉 月ごよみ『地獄とエンマ様』
・
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/
>江戸の夏行事〜今に継承されているものの由来〜
・
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/
【土蔵造り】壁を土で塗った土蔵のような造りの家屋 7月22日享保9年(1724)日本橋通に、塗屋土蔵造りが命じられる。
sibugaki
2024-7-4 7:57
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「火事と喧嘩は江戸の華」といわれた江戸は、大小数えきれぬ火事に見舞われた。
江戸時代の日本橋通りの商家は、屋根に瓦を葺いた。当初は町人の家で瓦を載せることは許可されず、享保五年(1720年)に町屋の土蔵造・塗屋造や瓦葺が奨励され、逆に瓦葺を勧めて板葺や茅葺を禁止した。江戸は火事が多発したため、大店では瓦葺が一般的になった。この目抜き通りの商家は、ほとんどが二階建てで瓦葺されており町並みが統一されていた。しかし木造建築だったため、飛び火すれば炎上は免れなかった。大店をはじめ資力のある者たちは、土蔵や穴蔵を設けて大事な品物を保管し、いざ火事となれば目塗りをして被害を避けた。
絵>
約220年前の江戸一番の繁華街、日本橋通りの「熈代勝覧」(きだいしょうらんえまき)絵巻の一部。
文化2年(1805年)頃、江戸最大の繁華街-日本橋通を今川橋から日本橋を描いた「熈代勝覧」(きだいしょうらん)(縦43.7cm、横1232.2cm/人物:1671名/犬:20匹/馬:13頭/牛:4頭/猿:1匹/鷹:2羽/店舗:89店描画 / べルリン東洋美術館蔵
関連コラムはこちら>
・江戸一番の繁華街〜日本橋通りを江戸人と一緒に歩く!
>
http://www.edoshitamachi.com/web/e/
【江戸の物売り】夏商いの各種売り声で(金魚売り、ところてん売り、茄子売り、水売り、植木売等々)で町は賑やか。
sibugaki
2024-7-4 8:53
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朝早くに来る、売り声が「アッサリ、死んじめえ」と聞こえるという「アッサリ、シジミ」という掛け声の浅蜊(あさり)・蜆(しじみ)売りは子どものアルバイトであった。納豆売りや豆腐売りも朝早くやってきた。
今は、こういった街中を売り歩く物売りそのものがいなくなってすっかり久しい・・・
関連コラムはこちら>
>江戸言葉 月ごよみ『江戸の売り声』
・
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=8
画像> 『今様職人尽歌合』* 金魚売より
*「今様職人尽歌合」(イマヨウショクニンズクシウタアワセ)は、江戸時代中期に成立した狂歌集。銕廼屋大門と五柳園一人が編纂、紹真が筆写して、文政八年(1825年)に刊行。
狂歌は、俳句の一種で、風俗や職業についての歌を詠んでいる。
■金魚
金魚(錦魚)は元和年中に南支那あたりから輸入された事は「和事始」や「大和本草」等にあり、 賞玩用としての流行は元禄以前からで、品評会風のものを、金魚の狂言と云った。
>金魚屋・金魚うり
金魚屋は「江戸鹿子」や「西鶴置土産」に、下谷池之端しんちうや市(郎)右衛門の名がある。幕末には本所割下水、谷中、根津、白金あたりに多くあった。金魚うり(物売り)の者はこれらの店から金魚を受けて、売り声も「目高かアー、金魚ウー」とよんで売りあるいた。
>金魚の種類・価格
守貞漫稿」*に「形小、尾大にし大腹のものあり、常に尾を上に首に下に遊ぐ、京坂これを蘭虫(らんちゅう)と云う、まるっ子と云うは江人の訛りなり。 大腹に非ずして尾大の者を三都とも朝鮮と云う。各必ず尾は三尖なり。貴価の者は三五両に至る」とある。
>人々の寸評・見立
○『硝子(びいどろ)の金魚の命すき通り』 武玉川*
○『およし遊ばせ死ますと金魚売り』 柳樽*
*「守貞漫稿」(もりさだまんこう、守貞漫稿とも)
「江戸時代後期の三都(京都・大阪・江戸)の風俗や事物を説明した一種の類書(百科事典)。著者は喜田川守貞(本名:北川庄兵衛)で、1837年(天保8年)から約30年間にわたり執筆され、全35巻(「前集」30巻と「後集」5巻)にまとめた。この書籍は約1600点の図版と詳細な解説によって、近世風俗史の基本文献とされている。
*「武玉川」(むたまがわ)
江戸時代の俳諧の高点付句集『誹諧武玉川』。江戸座俳諧の宗匠、慶紀逸撰。1750年(寛延3)から56年までに10編,以後《燕都枝折(えどしおり)》と改題して5編,紀逸撰。1771年から76年まで2世紀逸撰で3編,計18編。
*柳樽(やなぎだる)
単に「柳多留」とも「柳樽」とも呼ばれる誹風柳多留(はいふうやなぎだる)とは、江戸時代中期から幕末まで、ほぼ毎年刊行された川柳の句集。呉陵軒可有編、花屋久次郎版。明和2年から天保11年(1765–1840)にかけて167編が刊行された。
"【江戸の出版取締】 町奉行遠山金四郎による幕末天保の「好色本」出版取締令・・・ "
sibugaki
2024-5-5 22:43
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幕府は、性描写に関する出版物の製作刊行については、幕末まで大らかに黙認していたのである。出版取締令によって取り締まられた「好色本」とは、色街などを舞台に社会風俗を乱すような淫(みだ)らな小説の謂(いい)であった。
絵>山東京伝(さんとうきょうでん)画『艶本枕言葉(えほんまくらことば)』(天明5年〈1785〉刊)より
関連コラムはこちら>
・江戸言葉 月ごよみ 「春画と春本」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/
【彰義隊】 明治元年(1868)5月15日上野の彰義隊を官軍が攻撃・・・
sibugaki
2024-5-5 22:45
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上野、下谷、本郷付近に火災が起こり、焼失1200戸に及ぶ。
彰義隊に同情した江戸っ子の町火消は、彰義隊の側について上野に籠もり、寛永寺や輪王寺宮を守ったという。
とくに新門辰五郎を頭とする10番の「を」組は、上野に籠もって纏を立て、寛永寺に謹慎中の慶喜を警護した。
辰五郎自身は、上野の戦いの前に慶喜公に同行して江戸を離れたが、「を」組の子分たちは、彰義隊と共に上野に籠もった
絵>『本能寺合戦之図』(歌川芳盛画、明治2年)上野戦争を明智光秀が織田信長を襲った本能寺の変の名を借りて描かれた浮世絵。
この頃、上野戦争に関する絵や本の出版が憚られ過去の合戦名を使用した画。
絵は『本能寺合戦之図』(歌川芳盛画、明治2年)上野戦争を明智光秀が織田信長を襲った本能寺の変の名を借りて描かれた浮世絵。
この頃、上野戦争に関する絵や本の出版が憚られ過去の合戦名を使用した画。
関連コラムはこちら>
・江戸十万日「月日の鼠」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/
【打ちこわし】 1月25
sibugaki
2024-1-2 12:48
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1月25日享保18年(1733)享保の打ちこわし。
江戸時代最初の打ちこわし。米不足と米価高騰が原因で庶民による米商人(高間伝兵衛)の家屋や米俵を破壊する暴動。」
1732年(享保17年)夏に起こった享保の大飢饉による米不足で米価が高騰した際、庶民の間で米価高の原因は徳川吉宗に協力し、米価の安定に尽力していた米商人の高間伝兵衛が米を買い占め、米価をつり上げようとしているという噂が立った。それに対し、幕府は米を供出するなどして米価を下げようとしたが失敗した。
絵>『幕末江戸市中騒動記』 東京国立博物館蔵
慶応2年(1866)江戸でおこった打ちこわしを描いた絵。
米屋を襲い、家屋を破壊、商品を台無しにする場面。
関連コラムはこちら> 江戸十万日 月日の鼠」
http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/2021/07/
【江戸城無血開城】3月13日慶応4年(1868)勝安房・西郷隆盛、江戸城会場につき会談
sibugaki
2024-3-4 0:59
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いよいよ、江戸城総攻撃が3月15日と決まり、事態は緊迫。その前日に、江戸の薩摩藩邸において、幕府側の勝海舟と新政府側の西郷隆盛の会談が行われ、交渉は無事成立。
こうして1868年4月11日、江戸城無血開城が実現しました。この会議に当って、勝海舟は、交渉決裂を想定し、 徹底抗戦に備え江戸焦土作戦を立てていました・・・・・
・画像>
勝・西郷血開城会見の碑 (東京都港区芝5-33-11 三菱自動車ビルの一角に存在) (細見撮影)
関連コラムはこちら>
・水都江戸-東京物語〜第一部武蔵國・江戸物語「No53 東京への改称 」
>
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo53.pdf
【江戸野菜】・・・新着コラム>大根は練馬より雑司ヶ谷がよりうまい。
sibugaki
2024-6-6 11:11
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画像>雑司が谷 いろはかるた 絵と文: 矢島勝昭
(ね) 練馬(ねりま)をしのぐ巨大根献上(きょだいこんけんじょう)
いま、江戸野菜に注目されている。
江戸時代の大根といえば「練馬大根」が有名であが、
雑司ヶ谷産の巨大根(長さ30センチあまり、胴回り45センチあま)が
珍重され大奥へ毎年冬の時期に届けられた。
関連コラムはこちら
>神田川界隈物語
・『地域特産の「大だいこん」は冬期に大奥へ献上』
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd6/
【明暦の大火】 1月18日
sibugaki
2024-1-2 12:49
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1月18日明暦3年(1657)本郷丸山町の本妙寺より出火、江戸の4分の3が焼失し焼死者十万二千余人の大火。大火後に江戸の都市改造が行われ、御三家の屋敷や寺社が移転し、市区改正や架橋、防火線などの施策が実施された。
火事の多かった江戸の中でも特に3分の1以上を焼き、多数の死傷者を出した『明暦の大火』『明和の大火』『文化の大火』を江戸三大大火と呼ぶ。
絵>『江戸火事図巻』 田代幸春画 江戸東京博物館蔵
関連コラムはこちら>「江戸十万日 月日の鼠」
http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/2019/12/
【天明のうちこわし】 5月20日天明7年(1787)市中に米騒動おこり、関東郡代伊奈忠尊に飢民救済を命じる
sibugaki
2024-5-5 22:39
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大飢饉の影響(天明2年<1782>以来、全国的飢饉)による米価高騰による米騒動。
大打ち合わせは20日夜の赤坂辺からはじまり、赤坂中の米屋を残らず打ちこわした。
翌21日は芝金杉・高輪・新橋・日本橋・小網町の玄米屋、舂米屋を残らず打ちこわし、
22日から24日まで米屋だけでなく、日用必需品の商家約8000余軒が襲撃された。
発生当初は参加者の間には盗みをしない, 火の用心をし、打ちこわしの対
象(米屋など豪商)の近隣に迷惑をかけないようにする、 という規律があった。
絵>『幕末江戸市中騒動記』 東京国立博物館蔵
慶応2年(1866)江戸でおこった打ちこわしを描いた絵。
米屋を襲い、家屋を破壊、商品を台無しにする場面。
関連コラムはこちら>
江戸十万日「月日の鼠」
http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/2021/07/post-5.html
【玉川上水】 6月20日承応3年 (1654)完成。玉川庄右衛門・清右衛門、褒賞として300両をうける。
sibugaki
2024-6-6 11:13
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画像>
玉川上水の取水口である羽村堰付近にある銅像。
正面から見て、右側に立っているのが兄の庄右衛門。左側が弟の清右衛門。庄右衛門が持っている縄のようなものは「間縄(けんなわ)」、清右衛門が持っている棒状のものは
「間竿(けんざお)」でどちらも当時の測量道具。
・関連情報はこちら
>「暦から読み解く江戸東京」 玉川上水年表
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd8/PDF/tamagawanenpyo.pdf
>水から読み解く江戸東京「玉川上水物語」
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo36.pdf
>「羽村市郷土博物館蔵」
https://www.city.hamura.tokyo.jp/0000001544.html
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