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【玉川上水】 7月19日(水) 第6回玉川上水・分水網上下流連携総括シンポジウム開催
sibugaki
2023-6-29 18:48
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【開催趣旨】
コロナ渦の影響で延期に次ぐ延期で羽村市から始まった本シンポジウムですが、 やっと最下流にあたる日本橋川に到達することができました。 最終回の本ンポジウムは、これまでの活動を総括する「総括シンポジウム」と位置づけ、中央区にて開催いたします。
江戸城下に水を運ぶために掘削された玉川上水を再生することで、江戸城外濠や日本橋川が抱える水環境を改善し、さらに、そこから未来につながる東京の水辺のあり方について、 玉川上水上・中・下流の皆さまに夢を語って頂きたいと考えています。
基調講演では、江戸文化の第一人者である田中優子先生に 「江戸文化と玉川上水」と題して、 また、直木賞作家である 門井慶喜先生に 「江戸東京の水回り」と題して御講演頂きます。
多くの皆さまに御参加頂き、 東京の水循環を知り、歴史的 価値に目を向ける機会になればと思っています。
【日時】令和5年7月19日 (水) 14時から (17時終了予定)
【会場】 銀座ブロッサム中央会館 ホール/住所: 東京都中央区銀座2-15-6 /住所: 東京都中央区銀座2-15-6
【プログラム】
■基調講演1 「江戸文化と玉川上水」 法政大学前総長 田中 優子氏 他
■パネルディスカッション/パネリスト: 沿川市区長 (調整中)
コーディネーター: 水文・ 水資源学会長 沖 大幹 氏 (東京大学教授)
詳細情報、申し込みはこちら> 参加無料
http://www.edoshitamachi.com/pdf/2023.7.19tamagawajousui.pdf
今までの、活動情報はこちら>
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd10/
【隅田川川開き】 令和5年(第46回)隅田川花火大会 令和5年7月29日(土)4年ぶりに開催
sibugaki
2023-7-31 19:15
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写真>2023年7月29日撮影 突然飛来したUFO型花火(?)
隅田川の「川開き」といえば、すぐに両国の花火を連想するのは、江戸時代も同じ。 両国で花火を打ち上げるようになったのは享保19年(1733)から。前年に始まった大飢饉(享保の飢饉)とコレラの大流行に伴い、江戸でも多くの死者を出した。
そんな死者の霊を慰めるためと病魔退散を願い、幕府は両国で水神祭を実施した。その際に花火を打ち上げたのが、隅田川花火の始まり。
関連コラムはこちら>
・武蔵國・江戸物語 〜 No42 享保の厄災と、隅田川川開き
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo42.pdf
・江戸の夏行事〜今に継承されているものの由来〜「隅田川の「川開き」
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/
【隅田川川開き】4年ぶりに開催 令和5年(第46回)隅田川花火大会 7月29日(土) "
sibugaki
2023-6-29 17:57
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隅田川の「川開き」といえば、すぐに両国の花火を連想するのは、江戸時代も同じ。 両国で花火を打ち上げるようになったのは享保19年(1733)から。前年に始まった大飢饉(享保の飢饉)とコレラの大流行に伴い、江戸でも多くの死者を出した。
そんな死者の霊を慰めるためと病魔退散を願い、幕府は両国で水神祭を実施した。その際に花火を打ち上げたのが、隅田川花火の始まり。
絵>歌川広重画 『名所江戸百景』 両国花火:東京都ライブラリー)
関連コラムはこちら>
・武蔵國・江戸物語 〜 No42 享保の厄災と、隅田川川開き
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo42.pdf
・江戸の夏行事〜今に継承されているものの由来〜「隅田川の「川開き」
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/
【江戸第一の梅の名木】 「臥龍梅 (がりょうばい)」
sibugaki
2024-2-10 1:46
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>歌川広重画「名所江戸百景 梅屋敷」(国立国会図書館所蔵)
水戸光圀が命名したと伝えられ、梅の名所として江戸市中に知られ、数々の浮世絵、書物でも紹介されています。
『本所亀戸天満宮より三丁ほど東方にある、清香庵(せいきょうあん)喜右衛門の庭中に、臥龍梅と唱える名木がある。実に龍が横たわっている如くした形で、枝は垂れて地中に入ってまた地を離れ、いずれを幹とも枝とも定めがたいものである。匂いは蘭麝(らんじゃ)に負けずと張り合うほどで、花は薄紅色である。園中には梅の木が多いと言えども、この臥竜梅は殊に勝れた樹木である。四月の頃に至れば、実梅(みうめ)と号(な)づけて、人々はその詠めながめを楽しむ。』
「江戸名所花暦」(訳文は棚橋正博著 江戸の道楽から引用)
関連コラムはこちら>
・江戸ことば月ごよみ二月 「初卯と梅見」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/
【江戸第一の梅の名木】ゴッホは広重の模写から何をつかみ取ったのか?
sibugaki
2024-2-10 1:59
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>ゴッホ画「花咲く梅の木」アムステルダム・ゴッホ美術館蔵
最初のコピーには、歌川広重の亀戸の梅の木の茶室を選びました。彼は構図を文字通りコピーしましたが、色をはるかに強く強調しました。彼は木の幹の黒と灰色を赤と青の色調に変えました。また、装飾的でエキゾチックな効果のために、日本の文字で2つのオレンジ色の装飾的な境界線を追加しました。
>ゴッホ画の「花咲く梅の木」を観る
油彩・キャンバス 55.6 cm x 46.8 cm
ゴッホ画「花咲く梅の木」アムステルダム・ゴッホ美術館蔵
https://www.vangoghmuseum.nl/nl/collectie/s0115V1962
【江戸の範囲】初めて正式に示された江戸の範囲で、「朱引内(しゅびきうち)」、「御府内(ごふない)」、などとも呼ばれる。
sibugaki
2023-9-6 20:52
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「朱引内(しゅびきうち)」の範囲。文政元年(一八一八)に目付からの問い合わせにたいして絵図面に朱線をもって示した評定所の決定による範囲。
この朱引の範囲は、東は中川まで西は神田上水まで、南は目黒川周辺まで、北は荒川・石神井川下流あたりまでとなっており、目黒付近で町奉行支配場の境界線である黒引が外へ突出している。
絵>旧江戸朱引内図(東京都公文書館所蔵)
関連コラムはこちら>
コラム 江戸十万日 月日の鼠「江戸下町は文化創造センターだった」
・
http://www.edoshitamachi.com/web/fuyugaki/2021/04/
【江戸の見世物】 寛永4年(1851)この4月、浅草寺奥山に鯨の見世物
sibugaki
2024-4-7 8:29
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日本人は舶来ものが大好きである。江戸時代には、ラクダ、ゾウ、ロバ、ヒョウなど、異国の動物が次々と日本にやってきている。そして珍獣の見世物として庶民に親しまれていた。
文政4年(1821)、長崎に雌雄一組の「らくだ」が輸入され、翌年から大坂・江戸で見世物として評判になった。
画像>
『和合駱駝之世界』(2巻)江南亭唐立作・歌川国安絵 文政8年(1825)国立国会図書館蔵
「和合駱駝之世界」は、江戸時代に浅草奥山と両国河岸で行われた見世物小屋の一つ。この興行は、駱駝をテーマにしたもので、人々にエキゾチックな体験を与えた。
関連コラムはこちら>
・江戸言葉 月ごよみ「らくだの見世物と落語」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/
【江戸山車】 江戸の祭の華は山車(だし)。江戸型山車は著名な神社の多くの祭に曳き出された。
sibugaki
2023-9-6 22:02
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江戸型山車の最大の特徴は、徳川将軍の上覧に際し、江戸城門をくぐるために最上部の人形が上下するカラクリを備えている。城門をくぐる際に人形をさげ、くぐり抜けた後に人形を上げていた。
明治以降、「天下祭」が廃絶すると山車は衰退の一歩をたどり、関東大震災・東京大空襲が都心部を襲い、徐々にその姿を消したが赤坂氷川神社に9台現存。その赤坂氷川祭りが令和5年9月15日〜17日に予定。
写真>神武天皇(じんむてんのう)飾り幕(上段)鳳凰/飾り幕(下段)桐紋
関連情報はこちら>
・「江戸山車」について NPO法人赤坂氷川山車保存会
https://www.hikawadashi.or.jp/
・コラム 江戸言葉 月ごよみ「山王祭と喧嘩」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=7
【江戸城無血開城】3月13日慶応4年(1868)勝安房・西郷隆盛、江戸城会場につき会談
sibugaki
2024-3-4 0:59
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いよいよ、江戸城総攻撃が3月15日と決まり、事態は緊迫。その前日に、江戸の薩摩藩邸において、幕府側の勝海舟と新政府側の西郷隆盛の会談が行われ、交渉は無事成立。
こうして1868年4月11日、江戸城無血開城が実現しました。この会議に当って、勝海舟は、交渉決裂を想定し、 徹底抗戦に備え江戸焦土作戦を立てていました・・・・・
・画像>
勝・西郷血開城会見の碑 (東京都港区芝5-33-11 三菱自動車ビルの一角に存在) (細見撮影)
関連コラムはこちら>
・水都江戸-東京物語〜第一部武蔵國・江戸物語「No53 東京への改称 」
>
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo53.pdf
【三河萬歳】(みかわまんざい)正月に江戸へ来る萬歳は、三河の国からやって来るので三河萬歳とも言う。今の漫才のルーツ。
sibugaki
2023-12-6 5:12
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太夫は 鳥帽子大紋で両刀を帯び、 才蔵(右)と称する脇師を伴い、鼓に合わせてめでたい春の寿を連ねる。
節おもしろくして、お屋敷 町家の得意先を巡り歩いてお祝儀を貰う。
絵>四時交加(しじのゆきかい)/三河万歳(みかわまんざい)
関連コラムはこちら> 「江戸ことば 月ごよみ」
江戸の生活の話し 『大福と才蔵市』
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=16
【初午(はつうま)】 二月初めの午の日を江戸中至る所で初午祭りを行っていた。
sibugaki
2024-2-10 2:06
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「伊勢屋稲荷に犬の糞」 と言われるほど稲荷神社(町内毎の祠も含む)が多かった江戸、
町中至る所で初午祭りを行っていた。
>楊洲周延画(ヨウシュウ, チカノブ)『江戸風俗十二ヶ月之内 二月初午稲荷祭之図(ニガツ ハツウマ イナリサイ ノ ズ)』国立国会図書館所蔵
全国稲荷の総本社たる京都の伏見稲荷の祭神 「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」が降臨したのが二月初めの午の日だったからで 、二月初めの午の日を初午と称するようになった。
稲荷神社の「稲荷」は「稲生り」に由来するとされ、その年の豊作を予祝する意味の祭りといえる。
関連コラムはこちら>
・江戸の春の楽しみ〜「初午」と「桃の節句
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/
【上巳の節句(桃の節句、雛祭り)】
sibugaki
2024-3-4 1:02
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3月3日は、五節句の1つである上巳(じょうし)の節句で、「桃の節句」とも呼ばれます。中国の水辺での厄払いの風習と、日本の身を清める風習や人形を流す風習が混ざって生まれた祭りです。雛人形はこの人形が源流です。 江戸時代には、京都から江戸に広まり、雛市が立ちました。日本橋十軒店(じっけんだな)が有名で、『江戸名所図会』などに描かれています。江戸後期には、雛人形飾りが豪華になりました。 明治時代には、五節句の廃止で一時期衰退しましたが、明治半ばには復活しました。百貨店でも雛人形が売り出されました。 雛市で人形を買い、家で雛人形を飾る習慣は、今も続いています。
画像>
『江戸名所百人美女_十軒店』歌川豊国(三代)、歌川国久(二代)画 東京都立図書館蔵
内裏雛の前で雛人形の冠を持つ女性、コマ絵(右枠内の絵)には雛人形を売る十軒店の風景があります。十軒店は現在の中央区日本橋室町にあった町で、仮設のお店が10軒並んでいたから名付けられました。 江戸では雛市がいくつかありましたが、十軒店が一番盛況でした。十軒店の人形師・原舟月が作った古今雛は、現代の雛人形の元になりました。江戸時代には豪華な雛人形が禁止されるほど、様々な雛人形が作られました。
関連コラムはこちら>
・江戸の春の楽しみ 『初午」と「桃の節句』
>
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/
【新着コラム】花見の季節。うきうきと浮かれる気分になるのは、江戸の頃からもおなじ
sibugaki
2024-3-4 1:04
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花見の落語といえば、「花見酒」や「長屋の花見」、「花見の仇討(あだうち)」が頭に浮かぶ人もあろう。番頭さんが花見で、はめを外して旦那にばったり出会う「百年目」や、頭に桜の木が生えてくるナンセンス噺(ばなし)の「あたま山」を思い浮かべた人は、相当な落語通である・・・・・
コラムの続きはこちら>
・江戸言葉 月ごよみ『「花見酒」の経済』
>
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11
・画像>
『江戸名所図会 隅田川堤春景』長谷川雪旦画(一部) 国立国会図書館蔵
隅田川堤の花見の風景。堤いっぱいに広がって子どもたちや女性たちが歩いている。賑やかな声が聞こえてくるようだ。手前の一行の荷物には毛氈や角樽(つのだる)が見え、若い衆が弁当の包みを解いている。
コラムの続きはこちら>
・江戸言葉 月ごよみ『「花見酒」の経済』
>
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11
【日本橋】慶長8年(1603)3月3日 初めて日本橋架橋。
sibugaki
2024-3-4 0:55
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関東に入府した家康は、 江戸を拠点とすることとし、江戸城を築きながら、 戦いに備えたインフラを築造します。 水と米と塩です。このため、水を江戸城に引くため神田上水が築造され、 近郊生産地確保のため 亀有にため池が造られ塩を運ぶために小名木川が開削されます。
さらに家康は、江戸を人流・物流の中心にするため、 日本橋を築造して五街道の起点とするとともに、 江戸湊を造成します。
画像>
・『江戸名所図会_日本橋』 国立国会図書館蔵
関連コラムはこちら>
・武蔵國・江戸物語『戦いに備えた江戸の最初のインフラ』
>
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo30.pdf
【日本橋初売】 正月2日の朝市
sibugaki
2024-1-2 12:53
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江戸、正月2日の朝市でとくに賑わいを見せたのが魚河岸の初売。
朝市は絵にあるように大勢の買い物客であふれかえっていた。日本橋魚河岸の始まりは、江戸時代初期、徳川家は江戸城内の台所を賄うため大坂の佃村から漁師たちを呼び寄せ、 江戸湾内での漁業の特権を与えました。漁師たちは魚を幕府に納め、残りを日本橋で売るようになった。これが魚河岸の始まりと言われている。
日本橋の魚河岸は関東大震災の被害によって築地に移転されるまで、 江戸および東京の台所として活況を呈していた。
絵>橋本貞秀画「大江戸年中行事之内 正月二日日本橋初売」東京都中央図書館蔵
関連コラムはこちら>「江戸の正月風景」
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/
歌川広重「大橋あたけの夕立」の新解釈
sibugaki
2023-12-6 5:44
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12月7日元禄6年(1693)新大橋架橋。
「名所江戸百景」の制作時と、天変地異の発生時期、ペリー来航を重ねると、 先行き不透明な世相の中に合って庶民を元気付けるため、
老骨に鞭打ち、 復興や 天下泰平の願いを込めて描いたと考えます。
絵>歌川広重筆 名所江戸百景 『大はしあたけの夕立』 江戸時代 安政4年(1857)
詳しくはこちら>武蔵國・江戸物語
歌川広重 「名所江戸百景」の新解釈
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/PDFNo49.pdf
絵は江戸時代の富士登山スタイル 6月1日は富士山や大山などの山開
sibugaki
2023-6-13 20:21
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絵>富士講の一行(東都歳事記)
当時の登山は宗教活動の一環で、登拝する人は、水垢離(みずこり)などで身を清めて山へ向かった。
数ある山のなかでも富士山は古くから霊峰と呼ばれ、別格の存在。とりわけ角行東覚(かくぎょうとうかく<1541〜1646>) の始めた富士講は、庶民に富士山信仰を広めるきっかけとなった。
関連コラムはこちら>
・江戸から今に伝わる伝統芸能「大道芸」『山開き』
http://www.edoshitamachi.com/web/daidougei/
江戸時代 夏の夜の楽しみ、夜店で「麦茶」!風紀を乱すとして取り締まりを受ける。
sibugaki
2023-6-13 18:52
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6月24日嘉永3年(1850)近年増加した麦湯茶見世(麦湯店)が、
風紀を乱すとして取り締まりを受ける。
絵>江戸府内絵本風俗往来「むぎゆ店納涼」図 国立国会図書館所蔵
六月二十四日 町奉行は最近になって往還に出店した
麦湯店の過剰サービス規制に乗り出し、問題のある店は即刻取り払いとする通告を市中に発した。
夏の宵涼み客を目当てに麦茶を供する店はすっかり江戸の風物詩として定着。
火災のリスクと風俗取締観点から一昨年にも統制が試みられていた。
ところが、最近になって若い女性を雇って接待をさせたり、涼み台で客と酒食を共にさせる店が増え、 問題となっていた。さらに門付けと称して、若い女性芸 能者を呼び、酒の相手をさせる店も相次ぎ、とうとう 強硬措置に踏み切った。(今様大江戸瓦版より)
関連コラムはこちら>
・江戸の四季を彩る「物売り」
http://www.edoshitamachi.com/web/edonomonouri/2023/05/post.html
四年ぶりの神田祭り 20年振りに宮入した「水神神輿」
sibugaki
2023-5-16 12:40
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魚河岸水神社 魚河岸会の由来>
魚河岸水神社の歴史は古く、天正一八年(一五九〇) 徳川家康の入府とともに江戸へ移り住んだ日本橋魚市場の開祖、森孫右衛門が、徳川家の武運長久と子孫繁栄を祈り、併せて大漁安全を祈願するため、武蔵国豊嶋郡柴崎村神田明神境内(今の千代田区大手町)に一社を建設し、祭神「彌都波能売命(ミズハノメノミコ ト)」を祀ったことにはじまるという。
元文五年(一七三九) 八代将軍吉宗の時代には、魚問屋仲間により、社殿を新築再建し、神輿を修理して大祭を執行したという。
しかし、明治初年社殿が頽破したため、明治六年(一八七三)から明治三三年(一九〇〇)までは、当時魚市場内にあった長浜町の常盤稲荷神社に合祀されていた魚市場の関係者が旧来の姿に戻すべく努力され、明治三四年(一九〇一)に、神田明神境内に社殿を新築し、魚河岸水神社と社名を 変更し、日本橋魚市場の守護神としたという。【神田祭公式ブログ】より引用
関連情報はこちら>
・江戸言葉 月ごよみ〜コラム 「山王祭と喧嘩」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=7
・国立国会図書館〜コラム「神田明神と祭礼」
https://rnavi.ndl.go.jp/imagebank/column/post-60.html
・神田祭公式ブログ〜魚河岸水神社 魚河岸会の特徴
https://kandamatsuri.ch/report/2726
・なぜ、平将門が神田神社の主祭神なのか ?
水都江戸・東京物語〜「第一部「武蔵國・江戸物語」No10.
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/2022/12/post.html
四年ぶりの神田祭り 神幸祭(じんこうさい)風景
sibugaki
2023-5-16 12:38
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日時>2023年(令和五)5月13日
概要>
江戸・東京の町を巡行し、祭礼絵巻を繰り広げる神田祭で最も盛大な神事。
三柱の御神霊を遷した 「一の宮鳳輦」 「二の宮神輿」「三の宮鳳輦」はじめ、
諫鼓山車(かんこだし)や獅子頭山車などからなる行列が東京都心の氏子108町会を巡り、
神々の力によって各町会を祓い清める。
写真>
昭和通り 秋葉原駅前巡行
関連情報はこちら>
・江戸言葉 月ごよみ〜コラム 「山王祭と喧嘩」
http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=7
・国立国会図書館〜コラム「神田明神と祭礼」
https://rnavi.ndl.go.jp/imagebank/column/post-60.html
・なぜ、平将門が神田神社の主祭神なのか ?
水都江戸・東京物語〜「第一部「武蔵國・江戸物語」No10.
http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/2022/12/post.html
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