魚河岸水神社 魚河岸会の由来> 魚河岸水神社の歴史は古く、天正一八年(一五九〇) 徳川家康の入府とともに江戸へ移り住んだ日本橋魚市場の開祖、森孫右衛門が、徳川家の武運長久と子孫繁栄を祈り、併せて大漁安全を祈願するため、武蔵国豊嶋郡柴崎村神田明神境内(今の千代田区大手町)に一社を建設し、祭神「彌都波能売命(ミズハノメノミコ ト)」を祀ったことにはじまるという。 元文五年(一七三九) 八代将軍吉宗の時代には、魚問屋仲間により、社殿を新築再建し、神輿を修理して大祭を執行したという。 しかし、明治初年社殿が頽破したため、明治六年(一八七三)から明治三三年(一九〇〇)までは、当時魚市場内にあった長浜町の常盤稲荷神社に合祀されていた魚市場の関係者が旧来の姿に戻すべく努力され、明治三四年(一九〇一)に、神田明神境内に社殿を新築し、魚河岸水神社と社名を 変更し、日本橋魚市場の守護神としたという。【神田祭公式ブログ】より引用
関連情報はこちら> ・江戸言葉 月ごよみ〜コラム 「山王祭と喧嘩」 http://www.edoshitamachi.com/modules/tinyd11/index.php?id=7
・国立国会図書館〜コラム「神田明神と祭礼」 https://rnavi.ndl.go.jp/imagebank/column/post-60.html
・神田祭公式ブログ〜魚河岸水神社 魚河岸会の特徴 https://kandamatsuri.ch/report/2726
・なぜ、平将門が神田神社の主祭神なのか ? 水都江戸・東京物語〜「第一部「武蔵國・江戸物語」No10. http://www.edoshitamachi.com/web/suitoedo/2022/12/post.html
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